素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

50代男だけが劣化したのか 後編

    



    思潮としての「ポストモダン」はもうとっくに終わっているが、依然として我々は「ポストモ
   ダン」を漂流している。
    いや、とっくに新しい時代が始まっているという反論もあろうが、そういう御仁には「ポス
   トモダンはウルトラモダンである」という言説の意味をもう一度、噛みしめて欲しい。
    (私はそうは思わないが、世間的には)資本主義一人勝ちの状況におけるIT化による
   サイバー資本主義、グローバル化はハイパーモダン、ウルトラモダンそのものではない
  か。 
    それは、日本のモダニズム時代(大正後期~昭和初期)、丁稚奉公ではなくサラリー
   マンになることがカッコイイ時代、今日同様、企業は合併・吸収を繰り返し、終身雇用はま
   だ少なく雇用が流動的だった約100年弱前と本質的には同じで、より速度と効率が
   上がり、規模が大きくなっただけといえないか。だから当然に「格差」が生じ、少し前では
   あるが、「蟹工船」(1929年)がベストセラーになったりした。
    ビジネスツールが、ビジネスモデルが、スキームが新しくなったようでも本質においては
   変わらない。

    そんな時代、それなりに成功した50代男は何をするのか?
    香山女史ご指摘のとおりだ。

     私のまわりもそうで、医学の学界やシンポジウムに出てそのあとの懇親会に
     行っても、50オトコの話題は「子供の大学受験、クリニックの経営、ゴルフの
     腕前、クルマの買い替え」とかそれくらい。「日本の医療保険制度、TPPが
     実現したらどうなる」などと話しているのは、オンナと60以上のオトコばかりだ。

               ~ 香山 リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」 ~

    
    彼らがポストモダンがウルトラモダンだと知ったとしても、「それがどうした!そうするしか
   ないじゃないか!どうにもならないのだから。この先、状況はより苛酷により強固にシステ
   ム化されていくだけさ」と嘯(うそぶ)くだろう。
    さらに、「それならせめて自分に出来ることはこのシステムの中で 『 勝組 』 になること
   だけだ。俺はここまでやって来たんだ。何言ってやがる」と彼らは香山女史に反論するか、
   さもなければせせら笑うだろう。後者である可能性が高いかもしれない。
    約1年前、引用したこの1節をもう一度、引用する。

      「人間は、給料の高を気にしたり、電車がすいていて喜んだりするだけの
      存在じゃない。親父に聞いてみろ!心の底までひっさらうような物凄い
      感動したことがあるかってな!」

      「ああいう男が人を愛するなんてことができるわけがねぇ。
      自分のことばかりよ。心ン中のぞいたら、安っぽくて、簡単で、カラカラ
      音がしてるだろうぜ」

             ~ 山田太一 作 「早春スケッチブック」 シナリオ ~


   
    1983年放送のこのドラマは、当時、記録的低視聴率であったが、どうだろう、2016年
   初版の香山女史の著作とピタリ符合するではないか。


    要するに彼らはもっとも消極的なニヒリストなのである。
    この最も消極的なニヒリストをさらにニヒリズムで微分するような状況は今後も続くだろ
   う。現在がニヒリストを表明できない「最も消極的なニヒリストの時代」であることを認識で
   きるか否かが第2次的分水嶺だと考える。

    
    80年代にモダンの終わりを感受できなかったポストモダンキッヅは今や「保守」や「ネト
   ウヨ」だったりする。これは40代代に多いかもしれない。私の後輩もその一人だ。
    価値相対主義はひっくり返ってヘイトスピーチに様変わりしたりする。
    「ニューアカ」全盛の頃、喧伝された「強度」のもっとも安直な実践がヘイトスピーチだと
   私は考える。それではヘイトスピーチが価値相対主義を切り裂けるかと言うとそんなこと
   はないのだ。彼らはどこまで言っても「絶対の探究者」たり得ないからだ。
    彼らいわゆる「保守」や「ネトウヨ」は「回帰」することによって「ポストモダン」を切り裂こ
   うとしているように見受けられる。ヘイトスピーチはこれら「回帰」を共有する人々の間で
   ある状況限定でのみ説得力を持つのだ。曖昧だった価値相対主義から明確になった
   相対主義に変わったに過ぎないのだ。逆説的なようだが冷静に考えればそういう結論
   に辿りつく。
    彼らの「回帰」は「プレモダン」まで遡ってしまうのかもしれない。だから人権などどうで
   もいいという理屈になるのだろう。

    それでは「ポストモダン」に漂うニヒリズムの濃霧を雲散霧消させる思想、小説、映画
   等々が存在するかというと少なくても私の場合、存在しないのだ。
    かつてはこれらに何らかの期待をしていたが、最も消極的なニヒリズムの前にはこれ
   らは無力であると悟ったというのが正確かもしれない。
    かつては「政治」にほとんど興味のなかった私が「政治」に関心を寄せるようになった
   のは、次のように感じたからに他ならない。

    このニヒリズムの濃霧を切り裂く一閃の稲妻、それは政治だ。

     
    誰もがそう感じるかどうかは定かではないが、今日見られる政治ではなく、リアルに
   ダイナミズムをもった政治ならそう思う人もいるだろう。
    私はこの「政治」への接近が第3次的ターニングポイントだと思う。
    この「政治」への接近は、時に「政治」への失望と変わり、ニヒリズムの霧はさらに濃く
   なっていったりする。私より先に「政治」へ接近しそうなっていった友人が身の回りにいる。
    最後の、第4次的ファクターが一番重要かもしれない。
    
    80年代にモダンの終わりを感受した私は、8~9年前から「あの時と同じだ。また再び
   何かが終わり何かが始まろうとしている」と直感した。だからこのブログを始めたのだ。
    我々は「ポストモダン」を終わらせる「次の時代」のとば口に立っている。
    いや、正確には「次の時代」のさらに「次の時代」が「ポストモダン」を終わらせるのかも
   しれない。予想に反して超・超ウルトラモダンな世界になってしまう可能性もある。
    いずれにせよ、非常にエキサイティングで興味が尽きない。
    それはとてもとても「大きな物語」だ。

    だから大げさと言われようが、「100年に1度の世界の大転換」と呼んでいる。

    香山さん、こういう50代男もいることをお忘れなく。

                                    (了)
    


    


 
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50代男だけが劣化したのか 中篇

     



     さて、本書は共感する部分が多いが、違和感を覚えざるを得ない部分も少なくない。
     例えば、女性は世界中、どこへ行っても一個人としてどっこい生きているのに、50
    代男は大学の同窓とか人脈がないと何にも出来ないが如くのこの件だ。
     シンガポールで小料理屋を開いている日本人女性からの伝聞を紹介している。

      「ウチにはやはり日本人のお客様が多いのだが、40代から50代の男性の方
       は現地駐在員でも長期出張の方でも、初めて顔を合わせたどうしはまず、
       『 大学はどこなんですか 』 という話から始まるのよ。もし、同じ大学だとわ
       かったら、もうたいへん。『 OBの彼を知っているか 』 『 こういう教授がいただ
       ろう 』 『 あの科目は単位が取りづらい 』 とか、多少、年齢が違ってもすぐ意
       気投合して、最後は肩組んで校歌斉唱、なんていうパターンもめずらしくない
       わね。
       同じ大学だというだけで、どうしてあんなに盛りあがれるのかしら。そういう人
       たちはその後も何かと仲良くするみたいね。あの感覚はちょっとわからなかった」
       正直言って、私にもわからない。数人の女性の友人に聞いたが、みな同じだった。

                   ~ 香山リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」 ~



     これは別に50代男に限ったことではなく日本の男全般に当てはまることだ。
     それにこれについて心理学者らしくラカンを持ちだして解説するが、ラカンは日本人
    男性と主として分析・研究したのだろうか?違うはずで西欧人にも日本人と同様の心
    的特性を持つ人物がいるからこそかかるラカンの言説が生まれたのだ。一般論たるラ
    カンの言説を個別論、すなわち日本人に当てはめ、これを50代男性に見られる特性と
    するのは大いに違和感ありだ。
     ラカンを持ちだすまでもなく、阿部謹也先生の「世間論」でこれらはすべて説明がつく
    し、「世間論」の方がはるかに正鵠を射ている。

     50代男は殴られてきたのに殴れない世代だという。
     これはおっしゃる通りだ。家父長制の恩恵を受けた最後の世代とも女史は分析する。
     そうなのかもしれない。今や家父長制など時代遅れであって夫婦別姓すら論じられる
    時代だ。ここまでは首肯できるとしても、例によって「マザコン男~」とかいう件があるが、
    いまだにそんなこと言っているのかと言いたくなる。乳離れできないのとマザコン男は
    別ものであり、意外とマザコン男の方が出世したりすることをご存知ないのだろうか?
     香山女史には塩野七生女史の著作を読まれることをお勧めしたい。
     まあ~、このあたりは見解の別れるところだろうが、決定的に違和感を覚えるという
    か、矛盾だとすら思うのはこの件だ。

     「え―、オレ、それほど社会的地位が高いわけじゃないけど、会社の部下の女性
      たちは、フェイスブックにプラモデルの写真アップすると、“ いいね ”を押してくれ
      るよ」などという声が聞こえてきそうだ。
     しかし、それは違う。とくにいまだに男性中心の会社で生きる女性たちは、自分の
     サバイバルのためには、内心では「50にもなってプラモデル?しかもアニメのキャラ
     クター?なにをやってんのよ」と思いつつも、表面ではせっせと「いいね!」を押した
     り、目の前で写真を見せられれば「うわ―、課長ってこんな特技があったんですね!
     すご―い」などと言って手のひとつも叩いて見せたりすることなど、簡単にできるの
     である。また後ほど詳しく述べたいと思うが、50オトコの身勝手さ、甘えなどの多く
     は、こうして女性たちの“ 表面的サポート ” によって成り立っていることに、自分た
     ちもそろそろ気づくべきだ。しかも、そのサポートは何も男性たちを守るために行わ
     れているのではなくて、ひとえにきびしい世の中を生き抜くために女性が身につけ
     た護身術のひとつなのである。

                                    ~ 引用 同上 ~


     今日的エピソードで面白いとも思うが、女性たちのサポートって、今に始まったことだ
    ろうか?それは明らかに違うんじゃないか。
     今の50代男はダメで昔の50代男はもっと大人だったと言いたいらしいが、

      「香山さん、あなたが仰ぎ見ていたようなかつての50代男だってずっと母親、妻
       愛人等々の女性のサポート、もって言うならこれら女性に甘えることによって
       存在していたのですよ。」

     それらの女性は大きく言えば、母親を恒星とするマザコン系宇宙の軌道を回る惑星
    群なのであります。
     これをはっきり見切ってしまったこと、及びその他の理由でかつては仰ぎ見ていた
    上司、先輩らのメッキはいまや私にとって完全に剥げ落ちてしまった。
     「凄いな」と思うのはむしろ同世代の50代男に存在する。
     例えば、指揮者の大野和士氏とかだ。
     政治的、反体制的活動において50代男はダメという香山女史も他の分野での50代
    男の活躍は否定できないだろう。別に誰しも社会や政治にコミットする必要などないの
    だ。「いや、そうは言ってもあまりに傍観者で・・・」と彼女は言うだろう。
     それについては全く同感だ。「結論」は同じだが「アプローチ」が違うだけだ。

     私はたかだか政治ブログをやり、タマにデモに行く程度だが、女史ご指摘の「50代
    男」ではないと思っています。むしろ、彼女同様、周りの50代男にあきれることの方が
    多い。香山女史ご指摘の「大きな物語」の終わりは私も周りの50代男等しく通過して
    いるはずなのだが、どうしたことだろう。
     彼女が唱える「大きな物語」とは資本主義対共産主義とか、新左翼まで続く「政治の
    季節」のことを指すと思われる。
     実はもっと「大きな物語」が日本で言うと、80年代に終わっている。
     モダンの終わり、経済的近代化の終わり(達成)であろう。
     それは「昭和」という時代の終わりとほぼパラレルだ。
     昭和天皇崩御の前に、「昭和」が終わる前にこの転換点、いや、正確には移行期と
    いった方がいいか、これを感じ得たかどうかがその後の道筋を第一義的に分けると
    思う。
     
     「ポストモダン」が云々と言っていた同世代は何にもわかっていなかった、いや、感じて
    いなかったのだ。
     当時は、この移行期が何であるのか明確には誰もわかっていなかったのだから、感じ
    る感じないの差でしかないのだ。

                                         (つづく) 
     






 
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50代男だけが劣化したのか 前編

    



    トルコでロシア大使殺害、ドイツでトラックテロらしき暴走と何やら血なまぐさいが、それら
   についてはもう少し情報分析してからにします。
    
    いつもは人様の批評、批判、もっと言うなら悪口書いてきた私だが、今回は我々50代男
   が攻められ批判に晒される番であります。
    テクストは香山リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」です。
    私のスタンスは彼女ほど左に巻いていないし、本書にも違和感を覚える箇所もあるが、
   「全くもってそのとおり」と共感するところが多い。彼女の主張の核となる部分はこの7~8
   年、いや10年以上か、私の身の回りの同世代の友人・知人に折にふれ語ってきたことを
   凝縮したものだ。それ故、煙たがれ、友人・知人はどんどん離れていった。それは致し方
   ないことで、世代は違っても同調、共感する新しい友人・知人も出来たことからよしとする
   しかない。

    香山女史は心理学者であるが、政治的言動を隠さない御仁だ。
    安保関連法案のデモにも参加している。
    そんな彼女からすると50代男の傍観者ぶりが我慢ならないらしい。

     こういった新しい保守派たちの動きに対して、高度成長時代に子ども期を、バブル
     時代に青年期を過ごした人たちは、「なんか違う・・・・・」と思いながら、大きな声で
     は批判したり議論したりしようとしなかった。

          (中略)

     ここに及んでも、私の世代は「まあ、なんとかなるだろう」と楽観的にかまえる姿勢
     を変えようとしなかったのである。この人たち、つまり冒頭の定義で言うところの
     50オトコたちはいつ動くだろう、私は思っていた。
     そして、ついに50オトコは動かなかった。
     時代はそのまま。21世紀に突入した。

                   ~ 香山リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」 ~


    2015年夏、安保法制反対運動の際、香山女史はこんなことをよく耳にしたそうだ。

     「誰か新しい時代のリーダーにふさわしい人、いないかな?アメリカのオバマ
      大統領が出てきたような感じで、みんなが “ この人なら日本を託せる! ”
      と熱狂できるような、自由と平和のシンボルになれる人。
      できれば50歳くらいの男性がいい。もちろん女性でもいいのだけど、まずは
      頼りがいのある男性ということで」
     もうおわかりのように、私までそんなことを聞くということは「該当者は誰もいない」
     からだ。

                                  ~ 引用同上 ~
 

    50代男は傍観者ばかりやっていたからリーダーが育たないのか、同世代にリーダー 
   がいないから50代男はいつまでも傍観者なのか?
    いずれにせよ、古賀茂明氏が解説するように仕事に追われているサラリーマンにアク
   ション起こせといっても無理な相談であり、彼女の批判の対象は50代の学者、ジャーナ
   リスト、知識人ら自由業に求めるしかない。
    とりあえず彼女の主張どおり50代男を「傍観者」とするなら、彼らはいかにして「傍観者」
   となってしまったのだろうか?
    女史曰く、それは価値相対主義に求められる。

     このように異なる意見を目にしたときに、自分の立場を明確にせず、評論家の
     ように両者のプラス面、マイナス面を冷静に判断する態度を「相対主義」と言う。
     「人にはいろんな考え方があるのだから、それをいちいち良い、悪いと判断する
     のは失礼だ」などというのも、「相対主義」だ。
     相対主義は、60年代から70年代にかけて主に文化人類学や社会学などの分
     野でひとつの流行となり、その後、日本の知識人にも大きな影響を与えた。
     価値相対主義、文化相対主義などとも言われる。
     そしてその影響を受けたエッセイストやライターも相対主義的な文章を書くように
     なり、結果的に80年代前後に学生時代を送った50オトコは、この相対主義の洗
     礼を知らないあいだに受けているのである。

                                 ~ 引用 同上 ~

 
    これはだいぶ以前から指摘されることであります。
    香山女史が冒頭で述べているようにこの価値相対主義は「大きな物語」の終わりと表裏
   一体の関係だろう。
    「大きな物語」の終わりの時代、50代男はどこへ向かい何を嗜好するのか?
    彼女は、50代男の好きな作家、理想の生き方を体現した人物として村上春樹氏を取り
   上げている。

     村上春樹氏は多くの50オトコがその顔をなんとなくでも思い浮かべることが
     できて、「バーを経営したこともある」「マラソンをしている」「いまは日本に住
     んでいないらしい」などと、そのライフスタイルを含めて、“ よく知っている ”
     作家と言えるのではない。もっと言えば、50オトコにとってはなんとなくで
     あっても、「こんな生き方ができたらいいだろうな」と思う小説家の代表なの
     ではないか。
                              ~ 引用 同上 ~
   

    
    このあたりは多くの50代男も納得するところだろうが、村上春樹氏は「アンダーグランド」
   あたりから現実社会へのコミットメント回避からコミットするようになった。    
    村上氏のデタッチメントからコミットメントへの転換を目の当たりにして「傍観者」たる50
   代男も背筋に冷や汗が一筋流れただろうか、それすらないかもしれない。
    そんな50代男に対して香山女史は辛辣だ。

     つまり、「まだ十分元気」なのに、自分の持てるエネルギーを社会のため、
     他者のため、未来のためにではなく、「自分と自分のごく近い人のため、
     過去のため」にのみ惜しみなくつぎ込んでいる、ということだ。

                              ~ 引用 同上 ~


    
    彼女は50代男を「ニューアカデミズム」(以下、「ニューアカ」と省略)に象徴されるポスト
   モダンの洗礼を受けた世代として捉える。
    香山女史が50代男を「傍観者」と呼ぶ時、それは反体制的政治活動においてです。
    50代男の中にいる「ニューアカ」を経て「保守」へと変遷、転向した一群を見落として
   いる。それら「保守 50代」は「傍観者」どころか、安倍内閣の一員だったり、官邸のメン
   バーに食い込んだり、大きく言えば安倍ちゃん応援団の政治家、官僚、財界人だったり
   する。
    この「保守 50代」を彼女は考慮していない。

    もっともこの「保守 50代」を考慮しても事態は香山女史の指摘の発展形であることに
   ついては次回、詳述します。

                                (つづく)






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もう一度、大麻について考えてみた。 後編

    



    戦前、日本は大麻(ヘンプ)がそこいらに自生している大麻だらけの国でした。
    以前も述べましたが、戦前生まれの親にも確認しました。
    「昔は麻つくって兵隊さんの衣服にするのに献上していた」と語っていた。
    この麻=大麻(ヘンプ)だということは知りませんでしたが。
    日本を代表する花が桜だとすると、戦前まで日本を象徴する草は大麻草だったと言って
   も差し支えないでしょう。戦前どころか、古来より日本は大麻だらけでしたし、大麻は神道
   と結びつきの強い植物でしたから。
    これらの事実は、戦前に物心がついた人でないとなかなか理解されない。
    そんな大麻だらけの日本だったのですが・・・・・・。

     そして1930年に万国アヘン会議条約に従って、麻薬取締規制を制定し、ケシ、
     コカ、およびその製品であるアヘン、コカインに加えて、インド大麻についても規制
     を加えました。
     この「インド大麻」というのが重要なところです。日本ではこのとき、インドから輸入
     した大麻を医療品として使っていました。これに対して、国内で栽培していた大麻
     は、衣料用素材や下駄の鼻緒、畳の縦糸として、あるいは神社の注連縄や御幣
     として使用していたものだったのです。

           (中略)

     1930年の麻薬取締規制によって、一応はインド大麻を規制対象とした日本です。
     ところが、国内の大麻は栽培や流通を減らすどころか、国家によって奨励されてい
     ました。通気性がよくて丈夫な麻繊維は、軍服やロープなどの軍需品に欠かせな
     い素材であり、富国強兵を進めていた日本にとっては重要な物資だったのです。
     そんな事態が一変したのは戦後でした。

             ~ 船井幸雄 著 「悪法!! 『 大麻取締法 』 の真実 」 ~ 



     ここで留保していた「大麻取締法」で大麻を使用(吸引)しても罰せられないことについ
    てふれておこう。大麻を加工する過程で薬理成分が自然に蒸発することで「大麻酔い」
    になってしまうそうです。戦後だって大麻栽培が全面禁止されたわけではなく、許可制
    でほんの一部ですが栽培している農家もあるのです。戦前同様、作業中に農家が「大
    麻酔い」になったからといって取り締まるわけにはいきません。それ故、所持(吸引)に
    ついては罰則規定がないのです。

     先日も許可制で大麻栽培して関連商品を販売していた鳥取県智頭町の人が大麻取
    締法違反容疑で逮捕された。許可された産業用大麻とは別物を所持したということだ。
     この容疑者・上野俊彦氏は、アッキーこと安倍首相夫人・昭恵女史が「大麻で町おこ
    ししようとする上野さんの情熱に関心した」とイチオシで持ち上げていた人物だ。
     昭恵夫人は語る。

     「現在の大麻はほとんど輸入物ですが、日本では戦前までお米に次ぐ商品作物
      でもあったんです。2008年に北海道北見市で産業用大麻特区が認定され、
      鳥取県智頭町など大麻で地域おこしを行う自治体も現れるなど、少しずつ国内
      での栽培が広まろうとしてきています。

      国産大麻はまだ高いのですが、質は外国産よりずっと高い。今後、栽培をする
      農家が増えていけば、少しずつ安くなるはずです」

                                  ~ SPA ~



     この逮捕に際、産業用大麻は毒性が低い旨、報道されたことは思わぬ副産物だった。

     さて、1930年、アヘン会議でインド大麻が禁止されても日本は大麻栽培を奨励して
    いた。では、なぜ戦後、日本は大麻を規制し栽培を許可制にしたのでしょうか?
     それは1948年(昭和23年)に「大麻取締法」が制定されたからです。
     あっさり結論言ってしまうと、「大麻取締法」は日本国憲法がそうであったようにGHQに
    押しつけられたものだったのです。
     「大麻取締法」の先立つ1945年(昭和20年)10月12日の「日本に於ける麻薬製品
    および記録の管理に関する件」というメモランダムにアヘン、コカイン、モルヒネ、ヘロイ
    ンと共に大麻を「麻薬」とすると書かれています。


      GHQの指令に、行政機関は大いにとまどいました。
      前述のとおり、日本では大麻は繊維の原料であり、麻薬のような危険な代物で
      はありませんでした。ほとんどの日本人はそんな利用法があることさえ知らず、
      吸ってきた人の中でさえ、健康や精神への被害、あるいは暴力事件などの問題
      があったわけではありません。
      何の問題も起こしてない植物の栽培、所持を禁止することに、当時の官僚が違和
      感を覚えたのも当然です。あまつさえ本当に禁止してしまえば、農家の貴重な収
      入源を断つことにもつながります。
      そこで、当時の官僚はGHQの指令に抵抗を試みました。

                                    ~ 引用 同上 ~


   
     「官僚は抵抗を試みました」―― 前回の荒井広幸氏の国会質問に官僚は何とか抵抗
    してますが、全くベクトルが真逆ですね。今は大麻規制、昔は反大麻規制。
     それにしても今の厚労省の官僚及び警察当局の大麻に対する頑なさは何なのでしょ
    うか?その昔、謀殺事件を追っている警察が「それ以上はAがダメだといっている。もう
    幕引きだ」と言われれば仕方なく捜査を止めたと言われます。ここでAとは警察の符牒
    でアメリカ(正確にはアメリカ大使館)のことを言っています。
     TPPだって官僚たちの中にはわかっている人はいくらでもいるでしょう。
     これもAがやりたいといっているのだからしょうがないと思っているのか。
     いや、今や官僚そのものがグローバリストになっているからTPP推進派の方が多いか
    もしれません。
     少し脱線しましたが、厚労省の官僚らがかくも「大麻取締法」に頑ななのは「Aが決め
    た法律だから変えたらイカン」と考えているのではないかと勘繰りたくなります。
     「大麻取締法」が制定された頃、GHQはなぜかくも大麻を目の仇としたのでしょう。
     GHQは日本の神道の力を弱めたかったからとか言いますが、大麻が繊維他いろいろ
    な素材となったり、万能薬であったため石油由来の繊維他の製品、同じく石油由来の
    薬にとって不都合だったからでしょう。石油由来の製品、さらに石油そのものというと
    デュポンとかロックフェラーを思い出します。フリッツスプリングマイヤーによればデュポ
    ンもロックフェラーも共にイルミナティーです。(この定義が正しいかどうかやや疑義があ
    りますが)いずれにせよ彼らの会社はアメリカを代表するグローバル企業です。厚労省
    の局長以上は「大麻取締法」を変えて大麻解禁にすることはこれら企業に逆らうことだ
    と理解しているように思えてならないのです。穿ち過ぎでしょうか?
     
     以前、海外で「レッドトップ」吸ったことのあるサーファー氏と会話した際、「もう石油の時
    代は終わるのだから石油由来の薬も終わりで天然由来の大麻がこれにとって変わるの
    は当然だよ」と述べたら、彼はニコニコ笑いながら「そうですね」と言っていた。
     さらに言うと石油の時代が終わるとはドル石油本位制の通貨体制が終わるということ
    です。まだ定かではありませんが、金(きん)とかレアメタル、穀物等に裏打ちされた通貨
    となるでしょう。(石油も入るかもしれませんが一部だと思います。)
     「化学合成された薬があるのだからいいじゃないか」とか言うバカテレビコメンテーター
    がいますが、例えばビタミンCでも化学合成されたものと天然ものは違うのです。
     薬も同様であることと大麻解禁を巡るこれら時代の転換点たる現在の時代背景を知ら
    ないからテレビでバカコメントしているのです。
     これらについてはさらに現代の医療がベンさん曰くの「人殺し医療」であるかまで踏み
    込まなくてはなりません。厚労省が医療大麻を頑として認めないは、薬を始めとして「人
    殺し医療」をどうしても認めたくないから、若しくは守りたいからと私には思えます。
     医療にかかわることなのでブログ程度で書ききれることではありませんが、もう間もな
    く「世界の書き割り」が変わることが明らかになるでしょう。
     何のことかというと、もちろん、米国大統領戦のことです。
     ヒラリーが勝とうがトランプが勝とうが「世界の書き割り」を変えるための戦いが始まり
    ます。その時になれば大麻自体からではなく、むしろ現代医療の弊害の方から天然由
    来の薬としても医療大麻が注目されるようになるでしょう。
     以前も述べましたが、大麻に現代のいろんな問題が凝縮されているのです。

     さて、以上は従前の野生大麻についてであり、2000年以降、流通している改良さ
    れた大麻をもとにした乾燥大麻樹脂には当てはまりません。
     日本人にとって大麻は神道と結びつく植物です。
     神道というとスピリチュアル、スピリチュアルの世界の回りには悪人がいっぱいいま
    す。
     これと同じで世界的大麻解禁を奇貨として麻薬としての改良大麻樹脂を流通させたい
    人達がいるのです。そういうわけで脳天気に「大麻解禁」というわけにはいきません。
     だからと言って日本のように医療大麻も産業大麻もぜんぶダメというのもおかしい。

     大麻栽培解禁主義者は今回の事件程度のことでへこたれてはいけないのです。

  
                                           (了)



悪法大麻取締法の真実
本書まえがきには1954年、京大生だった
船井氏の卒論の指導教授のこんな発言が取
り上げられている。「船井君、いま日本の農業
は衰退期に入ろうとしているね、それを盛り返し、
さらに日本と日本人の精神を立て直すのには、
僕は大麻がいちばんだと思うんだ」 
大麻栽培解禁論はこの頃からあったのだ。
そして今こそ日本の農業は衰退期に入ろう
としている。 


〔関連記事〕

「攻めの農業」より大麻栽培解禁を! 前編

「攻めの農業」より大麻栽培解禁を! 後編








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もう一度、大麻について考えてみた。 前編

    



    医療大麻解禁を訴えて参議院選に立候補した元女優の高樹沙耶さんが大麻取締法で
   逮捕された。
    さっそく、彼女が奔放な性格でついに「大麻解禁」というトンデモにまで染まってしまった
   かとか、沖縄での男性4人との奇妙な共同生活を軽く揶揄しながらこんな変な人が主張
   する「大麻解禁」は奇妙奇天烈なことだと言わんばかりの報道だ。
    アヘン、覚醒剤と関連づけたがるから大麻を吸ったら「大麻取締法」違反と考えがちだ
   が、同法は大麻栽培と大麻所持を禁じているだけで大麻吸引については特に禁じてい
   ない。彼女が「私の大麻ではありません」と供述しているのもこの点を知っているからだ。
    はて?どうして大麻吸引について罰則が設けられていないかはひとまず留保するとし
   て、当初、彼女の擁護論を書こうと思っていたのだが、「アレ?私は間違っていたかな」
   と一瞬、思ったことからもう一度、大麻について考えてみることにした。

    彼女が吸った大麻は大麻の葉ではなく花の部分、いわゆる「レッドトップ」というもので
   す。
    
     大麻事情に詳しい専門家は、「日本では2000年頃から花の部分が主流。葉っぱの
     大麻は、“ 大麻のカス ” という人までいる」と明かす。大麻草の花は幻覚作用のあ
     る成分「THC(テトラヒドロカンナピノール)」が葉より多く含まれており、花が稲穂の
     ように集まった「バッズ(BUDS)」と呼ばれる部分を乾燥させるという。2012年には
     厚労省の調べで、近年流通している乾燥大麻のTHCの含有量率が約40年前の
     野生大麻に比べて約11倍に増えているという調査が公表された。

                           ~ スポーツニッポン 10月27日 ~


    品種改良を重ねて野生大麻とは別物になったしまったようだ。
    私が従前、主張した大麻栽培解禁は野生大麻の方で今日の乾燥大麻(マリファナ)
   の原料となるものではない。
    反大麻栽培解禁者はよくこの点を指摘する。
    一方、大麻解禁主義者は世界の大麻解禁事情を主張する。 
    世界的潮流だけでは片手落ちで大麻は歴史的視点も合わせて考慮しなければなるま
   い。大麻解禁はともかく大麻栽培はOECD加盟国30ヶ国みても広く行われている。

     〔栽培推奨国)
      イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、フィンランド、スウェーデン、
      オーストリア、スペイン、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、
      カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ノルウェー、
      韓国、ポルトガル、アイスランド

     〔栽培抑制国〕
      日本、アメリカ合衆国

     〔非栽培国〕
      ベルギー、デンマーク、ギリシャ、アイルランド、ルクセンブルグ
    
               出典: FTHA(2005)FAO store(2004)
                     Ivan Be cse、The Itivacion of HFWR(1998) 
   

 
    吸引大麻はともかく産業用大麻、医療大麻も全部まとめて「ダメ、ゼッタイ」は日本ぐらい
   のものではないか?
    昨今、流通している大麻はともかく、従前の野生大麻についても様々な障害が喧伝され
   てきた。脳障害、精神疾患、内臓疾患、生殖器障害等々、これらについては欧米で研究
   されてきてことごとく否定されたからこそ大麻(栽培)解禁に踏み切ったのだ。禁断症状、
   習慣性、依存度は酒、タバコより軽いことがはっきりしている。あくまで従前の野生大麻に
   ついてであって、全く毒がないというわけではない。酒だってタバコだって場合によっては
   人体に有害であるのと同じだ。
    それでも日本の厚労省及び警察当局が「大麻はダメ!」と言うからには(野生)大麻に
   ついてこれらに関して反証があるのだろうと誰ものが思うだろう。
    ところが・・・・・。

     そもそもどういう治験をもとに、大麻が危険と判断しているのでしょうか?
     規制薬物について審議している薬事食品衛生審議会会長で薬事分科会
     会長を務める望月正隆委員(東京理科大学薬学部教授)、指定薬物につ
     いて審議する指定薬物部会員を長く勤めている国立精神・神経センター
     精神保健研究所薬物依存部長の和田清委員に問い合わせてみると、
     返ってきた答えは、

     「大麻を研究したことはなく、情報も持っていないので、お答えしようがない」 

     ということでした。  
     次は、和田清委員とのそのときのやり取りを再現したものです。

     著  者 「大麻について、詳しい情報を持っている委員は他にいますか」

     和田氏 「いないと思います」

     著  者 「では誰が、大麻は危険だから規制しなければならないと言ってい
           るのでしょうか」

     和田氏 「私が知っている限りでは、大麻が議論されたことは過去にありま
           せん」

     著  者 「では、何を根拠に大麻を規制薬物として規制しているのですか」

     和田氏 「それは私たちの判断することではありません」

         ~ 船井 幸雄 著 「 悪法!! 『 大麻取締法 』 の真実 」 ~ 



    何じゃ、こりゃであります。
    故・船井氏は京大農学部出身であるから科学的根拠がないと納得しないのだろう。
    これは、その昔、社会保険庁がグリーンピアとか箱物について立ち入り調査しようとした
   ら、「そこから先は国家機密だからダメです」と言ったことを思い出します(笑い)。
    昨今の品種改良した大麻は別としても従前の野生大麻はその有害性性について科学
   的根拠を少なくても日本の当局は持ち合わせているわけではないのです。

    「何が何でも大麻はダメ」という日本の当局と大麻取締法には何やら政治的背景がある
   ように思えてくるのは私だけだろうか?

                                          (つづく)



 

 高樹沙耶の親分、新党改革の荒井広幸氏の国会での質問。
 この人だとイマイチかもしれない。でも、世界で初めて大麻解禁したのがウルグアイの
 ホセ・ムヒカ大統領だと知ると大麻に対するイメージが変わってくるでしょう。
 






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