素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

映画「告白」 その7



   森口先生(松たか子)は、肉親(子供)殺されたことから少年Aに肉親(母親)を殺させる、
  「ハムラビ法典」の「目には目を」を地でいく復讐をとげる。
   (少年Aの母親の研究室の爆破は事実かフェイクか定かではない)
   
   「目には目を」を行動規範としているのは復讐対象ばかりではない、「ゲームにはゲーム
  を」となっている。少年Aが仕掛けた「ゲーム」を外側から見切り「ゲーム」を破たんさせる。
   「ゲーム」に対して「反=ゲーム」を森口先生は仕掛けているわけであり、親友 I
  の指摘のとおり森口先生も作者・湊かなえの「ゲーム」の駒だろう。

   

   当然、「小説」の外側には「現実」が存在するわけだが、少年Aは極端だとしても彼につな
  がる子供たちが存在し増えている。それは子供たちだけの問題ではない。親たちがつ
  くった「家庭」の問題であり、その親、すなわち祖父・祖母の代まで遡る問題だろう。
 
   いわゆる「団塊の世代」くらいまで遡ることであって、「ニューファミリー」(死語)とか
  今日的「家庭」が現れた時点から考えなくてはならない。
   とすると、当然、「アクエリアン・コンスピラシー」を含む60年代の「カウンター・カル
  チャー」、及び70年代からの「社会の変革」をも考察しなければならない。
   これらは斯界の世界的権威が社会工学(ソーシャル・エンジニアリング)を駆使し
  て実施していることを忘れてはならない。
ところが、日本の場合、社会工学は弱体
  なのだ。経済、科学技術、文化はもとより三流といわれる政治よりも弱体で、無い
  に等しいといっても過言じゃないのかな?
 
  
   中学性がよく「社会が悪い」とか発言するが、日本じゃ大人もネット環境をふくむ今日、
  中学性と変わらない状態だ。これら「社会工学」(ソーシャル・エンジニアリング)を
  駆使した彼らの攻撃には、「道徳教育の強化」とかが叫ばれる程度だ。
   本気でやるなら、彼らの「社会工学」を研究し、それらのすべて逆を「道徳教育」
  に反映させてもらいたいものだ。


   映画「告白」のHPには、藤原和博氏が品川女子学院の「よのなか科」でこの映画を題材
  に特別授業を行ったと伝えられている。先生はもとより「教育」を語る人は必見だろう。


  
   最後におどろおどろしいようで「希望」を語ろう。
   少年Aの母子関係は、「ヘビ族」の母子関係と似ていると述べた。
   少年Aの母親は優秀な科学者で、子供に厳格で、時として虐待に近いが、「ヘビ族」の母
  子関係も同様だという。母親は子供に子猫を殺すように命じる。拒否すると子供には電気
  ショックのお仕置きが待っている。泣く泣く子猫を殺すのだが、子供が「なんでママはそん
  なことをさせるんだ!!」と泣きながら訴えるそうだ。すると、母親は「子猫ぐらい殺せない
  でどうする!お前に強い男になってもらいたいから命じているんだ!!」と返すのだそうだ。
   動物虐待は子供を残忍な性格にし、幼児虐待されて子供は将来、二重、若しくは
  多重人格になるようだ。
恐ろしいことに、二重人格、多重人格になるように、そもそも教育
  されるようだ。
   もし、二重、多重人格にならないと大人になってから、あまりにおぞましい「ヘビ族」の所業
  に耐えられず、人格障害を起こすのだそうだ。
   生まれついての「悪魔教」の子供はめったにいない。
   教育、環境、通過儀礼によって「悪魔教」信者になるのだ。

   
   これらについて知ることは楽しいことではないかもしれないが、なんとなく自然発
  生的に時代の趨勢でそうなるわけではないと知れば、漆黒の彼方に曙光がほのか
  に見えるというものだろう。


                (了)
   
 
告白
    いずれにせよ、必読、必見だ。









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