素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

夏の戦争映画 VOL.5 「シン・ゴジラ」 その6

   



    【シン・ゴジラ誕生】

     外国人に「怪獣」を説明することはとても困難を伴うと述べた。
     彼らにとって基本、怪物は怪物でしかないし、せいぜいがローランド・エメリッヒの恐竜
    ゴジラでしかない。
     「荒神信仰」、「荒魂・和魂」、「大和魂(大和心)」?何のことかさっぱりわからないだ
    ろう。「GODZI LLA is GOD?why~、Japanese people~!」と厚切りジェンソンが絶叫
    しそうだ。
     一方、日本人の「Japanese kawaii」は妖怪ウォッチ、ポケモンまで行ってしまって、
    今さら怪獣で「可愛い」やってもしょうがいないとクリエーター達が思っているのか、エイ
    リアン、プレディテター等リアルにグロくて気色悪い奴に観客が慣れてしまったのか、
    かつてのような可愛いゴジラはもう出番がないのかもしれない。
     可愛いゴジラは正義の味方ゴジラでもあったわけだが、ゴジラと怪獣たちのプロレス
    ごっこが罷り通るには1億総中流の安定した社会が必要だったのかもしれない。
     ミレニアム頃から格差社会、ブラック企業が当たり前の世の中ではグロくて気色悪い
    怪獣こそリアルなのだろう。
     これらの状況に加えて、前回述べたように不死身のゴジラを防衛側のリアリティーと
    紛いなりにも拮抗させるには、ゴジラは生命を超えた存在、神・ゴジラでなければなら
    ない。神といっても初代ゴジラが体現するアミニズムの象徴のような神や巨神伝説や
    仏教や神道の延長でもなく、21世紀的な神、すなわち反=自然としての神を必要と
    するだろう。井筒監督はゴジラを放射能の化身のように忌み嫌う。反原発は20世紀か
    ら存在するが、鉄腕アトムが原子力の平和利用のキャンペーンシンボルとされてしま
    ったようにどこかリアリティーのない脅威だった。リアルに制御できない邪神として
    放射能が我々の前に立ちはだかったのは福島原発事故以後のことだ。
     平成ゴジラも体内に原子炉を持っていてギャレス・エドワーズのゴジラも同様だが、
    井筒監督が好むと好まざると福島原発事故後のシン・ゴジラこそ体内原子炉がふ
    さわしい。 
     
     だからといって庵野監督はシン・ゴジラ=放射能の化身の如く芸のないことはしな
    い。(そもそも体内原子炉も仄めかされている程度で定かではない)原発は人間が
    作ったものだが、放射能そのものは自然界に存在するものであるから反自然ではな
    いのだ。あくまで反=自然でないと。さらに、歴代ゴジラとハリウッドゴジラも存在す
    るこの状況に神(シン)・ゴジラをいかに誕生させるか。
     庵野監督はこれらの命題を前に一計講じた。
     生物の進化のようにゴジラを変態(メテモルフォーゼ)させることにしたのだ。
     シン・ゴジラ最大のポイントはこのゴジラの変態(メタモルフォーゼ)だと思う。

       第一形態  オタマジャクシのようなもの

       第二形態  両性類

       第三形態  恐 竜

       第四形態  ゴジラ


     庵野監督は西洋の怪物映画のモンスター、ハリウッドゴジラさえも変態(メタモル
    フォーゼ)の過程に取り込み止揚して神(シン)・ゴジラを誕生させたのだ。
     私の身の回りには第二形態の両性類のような、目がいっちゃっているゴジラの気色
    悪さがいいという人がいる。フィギュアの世界でも第二形態はきも可愛いと人気がある
    ようだ。何でも「可愛い」にしてしまう「Japanese Kawaii」恐るべし。

          ゴジラ 第二形態
            第二形態 「蒲田くん」とか呼ばれているそうな。

     これは海外のモンスター映画の怪物であってまだ怪獣になっていない。
     いわば「コロンブスの卵」であるが、この第二形態のゴジラもどきを考えた庵野秀明は
    凄いと思う。ゴジラはすでにスタイルは動かしようがなく、今までは「デザイン」を変える
    だけだった。この第二形態はゴジラの「コンセプト」を変えたしまったのだ。進化の一過
    程ではあるにせよ、「怪獣」ではなく「怪物」のゴジラを提示したのだから。
     それは洋服の「コンセプト(概念)」ぶっ壊したマルタン・マルジェラのようだ。
     やはり庵野秀明はパンクだったのであります。
 
     第三形態で恐竜らしくなったが、これはローランド・エメリッヒのゴジラで日本のゴジラ
    でもシン・ゴジラでもない。「エメリッヒさんよ、あんたのゴジラは『シン・ゴジラ』では第三
    形態に過ぎないんだぜ!」と言っているが如くだ。


          ゴジラ 第三形態
            第三形態 こちらは「品川くん」だそうな。

     第四形態でゴジラになるわけだが、ギャレス・エドワーズのゴジラは平成ゴジラから
    の体内原子炉を引き継ぎ、確か「神(GOD)」とさえ言っていたわけだからその立ち位置
    はシン・ゴジラとさして変わらないかのようです。でも、いきなり神と言われるより進化の
    ように変態(メタモルフォーゼ)を経てから生物を超えた存在、完全生物、神(シン)ゴジラ
    になった方がより説得的だろう。
     第一から第四形態へと進化していく過程と同時に防御側も使用する武器がエスカレ
    ートしていきMOPⅡでも死なない不死身のゴジラ、神(シン)ゴジラの存在がはっきりと
    提示される。
     進化の過程と不死身ゴジラの出現が交差する点で神(シン)呉爾羅(ゴジラ)を誕生さ
    せるシナリオ構成は秀逸だと思う。

     別に防御側のリアリティーに拮抗させるために神(シン)・ゴジラとなったわけではな
    く、神(シン)ゴジラが先にあったのかもしれない。
     説話論が主題論を規定し、主題論が説話論を導き出す。
     両者が緊密に絡みあった作品は、印象批評とは別次元で優れていると評されるべ
    きであると思う。


           シンゴジラ 横2



    【現代ゴジラ映画としての「シン・ゴジラ」】

     「シン・ゴジラ」を観て私は2度鳥肌が立った。
     まさかこの年になって怪獣映画を観て鳥肌が立つとは夢にも思わなかった。
     1回目は米軍のMOPⅡ攻撃をくらってゴジラが口から背びれから尾から放射能吐き
    まくって一暴れした後のゴジラのアップショットだ。
     「ゴジラ、カッケー!」とつぶやきそうになった(笑い)。
     以前、平成ガメラを捉えて岩井俊二が「(家族愛だったと記憶するが)そんなものより
    いかにガメラがカッコよく飛ぶかが問題だ」と述べていたが、ゴジラも恐怖心を抱かせ
    つつもカッコいい破壊神でなくてはならない。

     もう1回は・・・・・、もういい加減公開から日が経っていることからネタばれさせてもい 
    いのかもしれないが、やっぱり明示するのはやめておこう。
     その前から伊福部 昭の音楽は使われていたが、「ここで 『 怪獣大戦争 』 のテーマ
    曲使うかね、庵野よ!やってくれるじゃないの!」と思いつつ鳥肌が立った。
     「シン・ゴジラ」公開を記念した番組で山田五郎氏はファーストゴジラとして「怪獣大
    戦争」を挙げていた。格闘家・佐竹雅昭氏の入場テーマソングは「怪獣大戦争」のテー
    マ曲だった。私は山田氏と佐竹氏の間の年齢だが、我々世代にとってあのテーマ曲は
    必殺のツボだ。必殺仕事人に必殺のツボを一刺しされてしまうようなものだ。
     今まで延々と書いてきたことをすべて吹き飛ばして子供に逆もどり・・・・・・ということは
    ないが、一瞬だけそうなる。
     こういう瞬間こそ「映画」だと思う。
     それに政府、自衛隊がダメだから臨時政府みたいな面々とオタクのような官僚、学者
    であの方法でゴジラを退治することは「大和魂(=何とかする)」の発露以外の何物で
    もない。
     井筒監督も「シェー」するゴジラが好きだそうだから、「怪獣大戦争」が嫌いではないは
    ずだ。怪獣映画なので御都合主義といえばそれまでだが、このシーンからラストまでの
    展開を観て「夢も希望もない」という奴はよっぽどひねくれた奴だ。
     「どうせ夢も希望もない映画なんやろ」と毒づいた井筒監督、映画は最後まで観ないと
    いけません。

     シン・ゴジラそのものよりも初代ゴジラを中心に「ゴジラ論」めいたものを展開してきた。
     庵野秀明の根性と気合いと覚悟がそうさせたのだ。
     この映画は人々を「ゴジラ論」へと誘う。
     「現代音楽」、「現代美術」、「現代詩」、これらは単にup to dateを言うものではなく、
    それぞれ「作品」であるのと同時に「音楽論」であり「美術論」であり「詩歌論」であった
    りするものだ。
     「シン・ゴジラ」はそう言う意味で「現代ゴジラ映画」であると私は考える。

     因みに「シン・ゴジラ」は私の本年度邦画NO.1であります。
     理由その一は、未見の方が多いが、おそらくどの映画観ようと2度も鳥肌が立たない
    だろうからです。理由その二は、俳優、女優さんには申し訳ないが、このゴジラほど大
    画面で観たいと思う対象が見当たらないからです。

     「君の名は。」は未見だが、おそらくリアルにはこちらがNO.1となるのであろう。
     「君の名は。」は本稿「その4」でふれた「大和魂(大和心)」のうち、②の方の意味、
     「日本人の優美で柔和な心情」を体現したものとしてNO.1なのだろう。

     私は仮にも政治ブログやっているのであって「大和魂(大和心)」のうち①の方の意味
    「何とかする」が体現された「シン・ゴジラ」を選びます。

                          (「 夏の戦争映画 」 シリーズ  完)

       


           シン・ゴジラ 後
             庵野秀明はゴジラの監督は1作だけと言っているそ
             うだが、あのラストはどうみても続編がある。
             あと2本くらいやって欲しいものだ。



     〔参考資料〕

     
      「シン・ゴジラ」のパンフ、「ゴジラ解体全書」、「美術手帖 1981年12月号」

  
      「人生読本 映画」、「フランソワ・トリュフォー回顧展」のパンフ、

  
      松岡正剛編 「増補版 情報の歴史」、イアン・ビュルマ 著「日本のサブカルチャー」

      菊地成孔、大谷能生 共著「東京大学のアルバートアイラー 歴史編」

      田中雄二 著 「 電子音楽 in JAPAN 」







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