素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「 1ドル50円時代を生き抜く日本経済 」 を読み直す。 中編

    


    浜女史は説く、「円高脅威論」から円高不況阻止へと躍起になって金融緩和を思いっき
   り推し進めたことがそもそも間違っている、金融緩和するにせよ、もっと緩やかでよかった
   はずだと。
    「???、そんなことを言っても日本はあの当時輸出立国であり、円高が進めば日本経
   済は大ダメージじゃないかと誰もが思っていたし、私はそう思っていたのだが・・・・。

     そこには「円高は日本経済が成熟してきた結果であり、当然の帰結である」
     という認識と、「今後はその円高環境に日本経済の構造を適合せていくこと
     が賢明だ」という発想が欠如していた。
     日本は戦後の焼け跡経済から早々に復興し、高度成長時代を実現した。
     その立役者が輸出であったから、輸出の伸びの邪魔になる円高にアレル
     ギー反応が強く出るのは当然だ。だが、当時の日本経済は、既に焼け跡
     経済でも復興型高度成長経済でもなくなっていた。そろそろ、新しい経済
     モデルにのり換えてしかるべきときが来ていたのである。実を言えば、円高
     はそこに向かっての動きを促してくれる恰好の後押し要因だった。それをテ
     コにして新型経済構造図へとモデル・チェンジを進める。その発想であのと
     きに民間部門が動き、政策も対応していれば、今、我々はここまで苦労せ
     ずに済んだかもしれない。
     
           ~ 浜 矩子 著 「1ドル50円時代を生き抜く日本経済 」 ~




    その後も論考は続くが、日本はもう成熟社会へ突入したのだから、日本の社会・経済の
   構造を変革していくべきだとしている。
    円高不況に呼応するがごとく、通称「前川レポート」(正式名称:「国際協調のための経済
   構造調整研究会」による報告書)の指摘こそあの当時実施すべき政策だったと主張され
   る。時間はかかったが、日本はいつの間にか「内需の国」となり、「小泉改革」を経て「前川
   レポート」の指摘はある程度実現できたのだろう。

    「日本が成熟社会へと転換した」とは、私が再三、指摘してきた「経済的近代化の達成」
   と換言できるだろう。
    85年プラザ合意 ⇒ 86年円高不況 ⇒ 87年円高不況克服 、この時点で日本は「円」の
   国際化の基礎固めを完了し、明治の富国強兵・殖産興業 ⇒ 戦前の恐慌 ⇒ 戦争 ⇒戦後
   復興を経て「経済的近代化」を達成したのだ。
    これは何度も指摘するが、「経済的近代化」を達成した国は、国民誰もが等しく納得する
   明確な国家目標などないのだ。
    かつてなら、「富国強兵・殖産興業」、「大東亜共栄圏」、「戦後復興」、「所得倍増計画」
   「高度経済成長」、そして「日本列島改造論」も入るかな?等々、国民誰もが等しく納得
   する明確な国家目標が存在した。各省庁の、各業界の、各会社の、一個人の明確な目標
   はあっても国家としての明確な国家目標は「経済的近代化」を達成した現在の日本には
   存在しない。世界覇権国家たるアメリカなら、「経済的近代化」を達成した後も常に明確な
   国家目標は存在するが、それらは、かつての日本国民が等しく納得したようにはアメリカ
   人皆が納得するものではない。いつまでも世界覇権国家たらんとするアメリカの国家目
   標と一般アメリカ国民との乖離がトランプ大統領を誕生させた原動力だろう。
    別にアメリカだけではなく、理想的に「経済的近代化」を成し遂げた国など世界中に存在
   しない。「経済的近代化」と共に各国は、様々の病理を抱えている。
    そんなことあるもんかと思われるかもしれないが、某新聞記者が「今の日本は明確な国
   家目標がないです」とイギリス人に語ったら、「何を言います、イギリスは100年前からそ
   んなものありません」と返したという。

    国家目標ではないが、「ライバルは、1964年」と「2020年 東京オリンピック」を広告す
   るのも、オリンピックが「経済的近代化」を成し遂げた現在の日本にとって全国民的な国
   家事業ではないということを示すものです。人によってはサッカーワールドカップの方がオ
   リンピックよりはるかに重要なスポーツイベント、関心事だろう。

    そういえば、「経済的近代化」を達成する以前の、戦後復興期を描く映画「3丁目の夕
   日」では芥川賞を受賞するか否かが文学におよそ縁のない市井の人々にとっても一大
   関心事であったが、現在ではどうだろう、当時ほど世間一般をも巻き込んだ関心事とは
   ならない。
    受賞作のレベルが落ちた?それもあるかもしれないが、次々と時代を刷新していくこと
   が常態であった「モダン」がモダンらしかった時代、すなわち、世間的にいえば「昭和」の
   時代、新進気鋭の作家の登竜門たる芥川賞が今よりはるかに意義があったのだと思う。
    今や、芥川賞よりも本屋大賞かもしれないし、人によっては泉 鏡花賞かもしれない。
    私(わたし)的には瀬戸内寂聴曰くの「芥川賞なんかチンピラでも取れるのよ。その後の
   方が大事なのです」がずしりと響く。それは私自身の“ 近代化 ”が達成されたから、すな
   わち、青春が終わっているからだろう。

    だいぶ脱線したが、「経済的近代化」後の世界を我々、日本人は生きていることは間違
   いない。
    これらがどうしても理解できない、納得できない人々が「明治維新」~「大日本帝国の
   栄光」再びとか、戦後復興のダイナミズムを新自由主義経済と錯覚するのだ。
    これに皇国史観とかが加われば、安倍政権にシンパシーを抱く自称右翼、自称保守の
   姿が浮かび上がってくる。

    30数年前、いち早く新自由主義へと舵を切ったサッチャー政権のイギリスでは、保守が
   すべて新自由主義を礼賛していたとは思えない。保守の“ 御本尊 ” とも言えるイギリスで
   は新自由主義と距離を置いた「保守」が存在したはずだ。ところが、日本では保守=新自
   由主義=グローバリズムが自称保守だった。
    「経済的近代化」を達成してからの熟成度の違いがこの日英の違いを生んだのかもしれ
   ない。
    新自由主義(≒グローバリズム)の発祥の国、英米ではもうグローバリズムとは一線を画
   し自国ファーストとなった。

    思想とは別の次元で、自称保守はやがて時代の仇花となろう。

                                            (つづく)



    
      CMとしては面白いと思うが、戦後復興の到達点としての「1964東京五輪」
      と「経済的近代化」達成後の「2020東京五輪」を同じ土俵で語ることこそ
      ナンセンス。これは万博にも言えることだ。



    



 
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