素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

映画 「 ジャッキー 」

    



    朝鮮半島はどうもキナ臭くなってきたが、50年以上前、あわや第三次世界大戦かいう
   際どい時も、ファッショナブルなファーストレディーがいた。
    ジャックリーン・ケネディーであります。
    私はどうも知り過ぎてしまったところがるので政治的映画はパスなのだが、ケディー夫人
   にスポットを当てているならということで劇場に出かける。

    【歴史上の人物を超える役者】
     
     映画において歴史上の人物映画は戦争映画、SF映画、恋愛映画、ホラー映画、アク
    ション同様、間違いなく一つのジャンルだ。 
     映画における「神話作用」の構築と更新という意味で人々が考えている以上に映画的
    なジャンルだといえる。本邦でも織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、宮本武蔵とあまた
    の役者が演じ続けてきたし、今後も演じ続けられるだろう。「遠山の金さん」の遠山金四
    郎のようにあまりに各役者が個性を発揮してきため歴史上の人物かフィクションかわか
    らなくなってしまったものもある。
     「アラビアのロレンス」のピーター・オゥールなどあまりにヒロイックで実在の人物がどう
    のこうのはどうでもよくなり、「映画のおける神話作用≒スターシステム」の真骨頂だ  
    ろう。おかげでこの映画の隠された意図、すなわち、MI6だったロレンスが英国にいいよ
    うに使い捨てられたという事実の“ 公然たる隠蔽 ” が完遂されるのだ。
     本作のナタリー・ポートマンはどうだろう。優雅にして威厳に満ちた堂々たる貫録ぶり
    に引き寄せられるではないか。本人の演技力もさることながら、「ブラック・スワン」以後
    結婚・出産を経たからこそ醸し出せる存在感だ。これは役作りとか演出ではなく、彼女
    の実人生の彫琢のなせる業だ。私はジャクリーン・ケネディーにさしたる関心がないせ
    いか、実在の彼女はどうでもよくなった。
     さわさりながら、このようなブログやっていることから醒めた見方をすると、ケネディー
    家もジャッキーが再婚したオナシス家も共にイルミナティーだ。それに私の記憶が確か
    ならダラスでJ・F・ケネディーが頭部打ちぬかれた時、ジャッキーは逃げようとしたはず
    だ。それが普通であり特にどうこうではないが、この映画ではJ・F・Kを妻であるジャッ
    キーが頭を押さえようとしたとしている。我々はJ・F・K暗殺の黒幕の一人がパパ・ブッ
    シュであると承知している。これまた私の記憶が確かならば、オナシスもその黒幕の一
    人であったと言われる。当のジャッキーは生涯知るよしもなかったのか途中で気づいた
    か定かではないが実に皮肉だ。
     それは現代の価値観であり、冒頭に列挙した戦国大名の頃なら普通のことだ。
     滅ぼされた方の奥方が仇の妻になることはよくあったことだった。



    【ナタリー・ポートマンの目力と泣き顔】

     ナタリー・ポートマンのデビュー作は「レオン」だ。
     この当時はまだ子供だったが、この時の彼女の演技に多くが集約されるように思える。
     その一つがレオン(ジャン・レノ)に仕事をだずね、「殺し屋」だと答えるとマチルダ(ナタ
     リ-ポートマン)が「すてき」と静かに答える子供とは思えない目力(意思)の強さだ。
     もう一つはレオンが死を覚悟したことをマチルダ覚った時、「レオン、死ぬ気なのね」と
     言いつつ泣きじゃくる顔だ。意思が強く聡明であるが故にこの泣き顔は光る。
     (同じジャン・レノと共演した広末涼子も一時期、泣きの演技を一つのパターンとしてい
     たが、広末の場合、ズルさが滲む)
     そうでもない役もこなしているが彼女の場合、苛酷な状況に身を置く役が好きなので
     はないかと思えてくる。その方が彼女の意思の力を如何なく発揮出来ると本能的に
     知っているのだ。「Vフォーヴァンデッタ」では意思の力は目力ではなく坊主頭になるこ
     とで発揮された。Vに謎かけされるように一時見捨てられるイヴィー・ハモンド(ナタリ
     ー・ポートマン)の泣き顔が印象に残る。「ブラックスワン」では意思の目力はつきぬけ
     て魔物に取り付かれたブラックスワンの目となる。それまではどちからというと母親離
     れできない弱虫の泣き虫に思える。
     今回の「ジャッキー」は、苛酷な状況に生きる女性の真骨頂のような役柄だ。
     目の前で夫が銃弾で頭を撃ち抜かれる女性はめったにいないもの。
     パニックとショックと絶望的な悲しみの中、目力(意思)の女性、ナタリーポートマンの魅
     力はいかんなく発揮される。気丈に構えていればいるほど彼女の泣き顔は響く。
     粛々と進む政権委譲と葬儀の準備、政治家、スタッフの反対の中であくまで己の意思
     で夫の棺と共に行進すること主張するジャッキー。ファーストレディー、ここにありと言う
     ものでどこぞの国の公私の区別がつかないファーストレディーもどきも眼(まなこ)をよ
     く見開いてこの映画を観たらいい。
     葬儀後インタビューを受けるジャッキー(ナタリー・ポートマン)の表情は、意思や悲嘆
     や怒りを通りこして達観した涼しさを漂わせている。「ブラックスワン」の頃の彼女は、
     まだどこか子供っぽさを残していたが、本作の彼女は一気に大人びて見えた。
     「ブラックスワン」でオスカー取っていなかったら女優賞ものだろう。

     そうそう肝心なことを言い忘れていた。
     こんな状況でもジャッキー(ナタリー・ポートマン)はシャネル他を華麗かつ小粋身にま
     とっている。昔の「キネ旬報」風にいえば、このあたりに「興業価値」があるだろう。
     すなわち、どんなときもファッショナブルなジャッキーは女性客を吸引するということだ。
   
     実際、場内は女性客が多かった。








     


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