素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

東北紀行 VOL.1

   



    何となく東北道をドライブしたくなり東北を旅してきました。
    東北は自然、歴史的建造物、風物等みどころ満載なので、順路ではなく換骨奪胎して項
   目ごとにまとめました。  

 
   〔桜 編〕

    【角 舘】
    まずは角館の武家屋敷通りのしだれ桜でしょうが、ご覧の通り今年はやや開花が早く既
   に散ってしまった葉桜でした。

    角舘 武家通1
                  武 家 屋 敷 通 り
  
    角舘 桜6
                  黒塀の内側でご覧の通り満開です。

    角舘 桜2 角舘 桜4

    角舘 桜5

    角舘 桜8
     桜の種類によって違うのかと思いましたが、同じしだれ桜でも角舘樺細工
     伝承館前のしだれ桜は満開でした。

    角舘 桜10
               こちらも満開、桧木内川堤のソメイヨシノ    

    青柳家、石黒家、角舘樺細工伝承館、角館武家屋敷資料館と回りましたが、私には稲
   庭うどん屋さんにあったこの一葉の方が興味深かったです。

    金満家
     凄いですね、全国金満家一覧表とは!三井の三井家、三菱の岩崎家と
     納得の番付が並びますが、真ん中の総後見として三井八郎衛門の右
     隣に本間光輝とあるのが見るでしょうか?(拡大してくだされ)
     「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われますが、
     やっぱり出羽(酒田)の本間家は凄かったですな。



 
    【盛岡城跡公園】

  
   盛岡城址桜2


   盛岡城址3
    隅から隅まで見たわけではありませんが、「3.11」で石垣が大崩れした
   様子は見受けられない。

    盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶな
   お:盛岡藩初代藩主)が,1597年(慶長2年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行
   (そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌1598年(慶長3年)の正式許可の後,
   築城工事が本格的に進められました。
   城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合
  流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪(こしくるわ)などを配し,それぞれに
  雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)(御城内(ごじょうない))としています

                                   ~ 盛岡市HP ~


    私にはわかりませんが、お城マニアによれば同じ石垣でも「野面積」、「乱積」、「布石」
   といろいろ積み方が違うようです。 



    【石割桜】

    石割桜 1
                       石 割 桜 

    石割桜2

    石割桜(いしわりざくら)とは岩手県盛岡市にある巨大な花崗岩の割れ目から育った直
   径約1.35m、樹齢360年を越える桜である。見ごろは4月の半ばから。

    盛岡駅から徒歩15分の、盛岡地方裁判所構内に所在する。1923年(大正12年)に国
   の天然記念物に指定された。寛永年間頃に南部藩主の分家にあたる北監物の庭園で
   あったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていた。家老の屋敷内の庭にあった巨
   石が落雷をうけてできた割れ目にエドヒガンザクラという桜の種子が入り込み成長した
   という伝承も残っている。1932年(昭和7年)に盛岡地方裁判所が火災に遭い石割桜も
   北側の一部が焼けたが、幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせた。火事の際、
   庭師・藤村治太郎が身につけていた半纏(はんてん)を水で濡らし、濡れた石で足を
   滑らせて口を切るケガをしながらも石割桜を守ったという。

   樹勢の衰えが目立っていたため、2000年(平成12年)春に50年ぶりに樹木医による
   本格的な治療が行われた。

                                  ~ WIKI ~



    石割桜4 岩手銀行桜
     盛岡の桜は石割桜だけはないよ     川の向うに見えるのは岩手銀行
     うです。


                                          (つづく)








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