素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

映画 「 ダンケルク 」




     
     今年は、恒例の「真夏の戦争映画シリーズ」も書き損ねてしまったが、その際、取り上
    げるはずだった「ダンケルク」も危うく見逃すところだった。
     久しぶりに親友 I とこの映画を観に行った。

     結論からいえばこの映画は予想どおり、期待どおりで満足いく出来だった。
     クリストファー・ノーランは本作で今までのフィルモグラフィーの真逆をやってくるだろう
    と思っていた。すなわち、何度も更新されイメージの固まったキャラクターをさらに更新し
    た「ダークナイト」(単純な善悪二元論では収まらない思索へと誘う映画)、革新的な映
    像表現に満ちた「インセプション」、これらとは真逆の「普通の映画」に仕上げてくるな
    と予感してその通りだった。

     正確には「普通の映画」とはヌーベルバーグの精神的支柱、アンドレ・パザンが称揚し
    たアメリカB級映画から派生したフレーズであり、本作は「普通の映画」から逸脱した「普
    通だが、奇妙な映画」と言った方が正確だろう。
     B級映画 ⇒ 普通の映画で思い出される戦争映画といえば、サミュエル・フラー監督
    「最前線物語」、クリント・イーストウッド監督「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」などが
    思い浮かぶが、撮影所のプログラムピクチャーを撮ったことのない監督が現役世代のほ
    とんどを占めるのだから、これら「普通の映画」を今日、期待するのは無理な相談だ。


     さて、親友 I は本作に不満たらたらだったらしく、突っ込みどころ満載な映画だと厳し
    い評価を下していた。
     曰く、

      アメリカ映画(人)は単純だ。
      いくつものエピソードがあるが、それぞれ掘り下げれば1本の映画になる。
      実際のダンケルクの脱出劇はこんなもんじゃなかったはずだ。
      殺気が感じられない。etc

     ナルホド、いちいち、おっしゃる通りだ。
     特に反論の余地はない。
     私の映画を観る目はすっかり鈍らになってしまったのだろうか?

     戦争映画は特にリアリティーが重視されるジャンルかもしれない。
     そういう意味で本作は物足りなさが残るのかもしれない。
     戦争映画は、リアリティーが重視されるとともにたぶんにエンタメ化が必要であり、さら
    に「映画」そのものに肉薄する要素満載であろう。
     これらに関して過去の戦争映画にふれながら、「ダンケルク」を再吟味してみよう。
    
     リアリティーを突き詰めると、「プライベートライアン」かとも思えるが、この映画はたぶ
    んにエンタメ化されていることから、リアリティーそのものというと、ロベール・ブレッソン
    的戦争映画ということになろうか?そんなのあったかな。
     ブレッソンとタッチは違っても、この路線に一番近いのはスタンリー・キューブリック監督
    「フルメタル・ジャケット」ではないか?新兵が殺人マシーンに洗脳されて戦場へ赴く様が
    描かれているが、そこには批判的視線はなく、ラストも絶望すらない。
     何とも人を食った映画で面白いか面白くないかといえば後者であろう。
     兵士を巨大な顕微鏡で眺めているが如くで確か四方田犬彦氏だったと思うが、コンラ
    ート・ローレンツ博士の動物学の視点の映画と言っていたが言い得て妙だ。
     ここまで徹頭徹尾、醒めきった視線はリアリティーの極北というかブレッソン的だろう。

     いやいや戦争映画は、やっぱり派手にドンパチがあって、血沸き肉踊るシーンの連続
    でなければならない。このタイプの戦争映画が一番多いが、兵隊そのものがエンタメ化
    しているのが勝 新太郎、田村高廣のコンビの兵隊やくざだ。
     リアリティーと相反するが戦争映画にエンタメ化は不可欠だ。
     両者の絶妙な匙加減こそB級映画 ⇒ 普通の映画だ。

     戦争映画は、そもそも極めて映画的構成要素で成り立っているのであって、本作同様
    脱出劇である「太平洋奇跡の作戦 キスカ」で当時、キャリアにピークであったろう三船
    敏郎の風格がいいとか、CGの発達した現代では突っ込みどころ満載かもしれないし、
    逆にアナログレコードやカセットテープがもてはやされる昨今、逆に新鮮に映るという
    倒錯趣味かもしれないが、円谷英二の特撮がすばらしいとか、語られるのが「キスカ」
    という戦争映画の映画的風土だ。
    
     戦争映画のいくつかの様相を軽くスケッチしたが本作に戻ると、「ダンケルク」は、やっ
    ぱり「普通だけど奇妙な映画」だ。
     一応、戦闘シーンはあるが、勇敢な兵士が出てくるわけではなく、これといった美談も
    なく、戦争の悲惨が刻銘にフィルムに定着しているわけでもない。
     (同じ脱出劇でも「キスカ」は英雄譚であり美談だ。)     
     本当は闘いたくなく故郷・イギリスに早く帰りたい兵士、反撃すらできず怯える雑兵。
     これらは「エンタメ化」、「映画的構成要素」のどれと照らし合わせても傑出した出来と
    はいえず、少しばかり「リアリティー」があるかと私は思うだが、親友 I にしてみれば、
    それも不満が残るようだ。
     
     戦争映画の常道の代わりに描かれるのは “ 戦場における境界線 ” だ。
     海に不時着した戦闘機のコックピットに浸水してもがくパイロット、民間船に乗船した兵
    士と船長との諍いから命を落とす子供、船底で潮の満ちるの待っている間、船体に空い
    た穴から海水が浸水しパニックる兵隊。
     どれもこれも戦闘の勇猛、兵士の美談、英雄譚とは程遠く、情けなく無様でおマヌケと
    さえいえる。
     クリストファー・ノーランは、おそらく従来の戦争映画ではカットされる事柄を描き続け
    る。 
     
     燃料切れの英国戦闘機がドイツ戦闘機をギリギリで撃墜する様は映画における御都
    合主義(エンタメ化)とも言えるが、そればかりではあるまい。
     瑣末な事柄もカッコいい戦闘もどれもこれも “ 戦場における境界線 ” =ギリギリの一
    線なのだ。この一戦が戦場における生死を分ける。
      当たり前だが、忘れ去られがちなこの事実が本作では何度もリフレインされ刻銘に描
    かれる。
     
     
     本作では親友 I 指摘のように通奏低音のような重低音が始終リフレインされる。
     映画音楽は何か足らなくて映像と一体化して効を奏するものがよいと言われる。
     音楽・音響が前に出ても違和感ないのは、この言説を逆援用すると、映像その
    ものが何とも中途半端で物足りないからかもしない。
     それは凡庸すれすれだがキラリと光る要素を集めて構成されるB級映画 ⇒普通
    の映画ですらない。

     やはり、映画「ダンケルク」は「普通だが、奇妙な映画」だといえよう。
     
     あざといばかりの絢爛たる映像表現でもなく、思索へと人を誘う作劇でもなく、
    戦争映画の重要要素、リアリティーすら脇が甘い、この映画が私は妙に気に入った。

     私は年をとったのだろうか?
     いや、実人生でギリギリの一線の勝ち負けを若い時より何度も経験してきたからだ
    ろう。 



     
    
  







 

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