素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「 縁の国の経営学 」 と 「 理の国の経営学 」 中編

 

   さて、アメリカが「本番」になる前にこれを終わりにしましょう。

   すべて同じと仮定しても売れる(お客さんの入る)店と売れない店に分かれるといいま
  した。両者を分けるポイントは何でしょうか?
   それは「気」だと思います。お客さんが入ってこない、入ってきずらい店は何か「気」が
  よどんで暗いのです。前回、3人の馬が会うとか合わないとか言いましたが、それは「気」
  が「波動」が合わずケンカしているのです。合わない「気」、「波動」は打ち消し合いやっぱ
  りよどんでいるのです。

   かつての上司(課長)は、「あの部長の下ではもうこれ以上できない」とこぼし、その部長  
  は「あの社長の下ではもう無視だ」と愚痴っていました。「あらま、いい大人がしょうがない
  ですね」と思ったものでしたが、私も全く同じ経験をしました。よくあることだと思います。
   そうは言ってもみんな我慢してますね、いろんな職場で。
   我慢も限度を超えるとどうなるかというと病気になります。
   メンヘルになったり、体に異変を生じて病気になります。
   私も病気になりました。はっきり言って意味ないですし、こんなバカバカしいことはありま
  せん。何たって無理なものは無理なのですから。
   基本的に人を有機的な「機械」と捉える経営学ではこの点ノーマークじゃないでしょうか?
   その代わりに精神科医のカウンセリングとかセラピーで担保していると思います。
   ブラック企業以前にこれですからブラック企業は絶対無理なのです。

   全店のトップセラー3人をフラッグシップ店にデータではじき出されたシーズンの売上
  ピーク日に集約させることは合理的根拠に基づく正しい判断で実に説得的です。
   でも、実際はこの合理的判断に基づく人を「機械」とみる経営学でこと足りるというわ
  けではありません。もっとも私が説いているのは敢えて経済学になぞらえるとミクロ経営
  学であり、マクロ経営学ではやはり西欧の合理的思考に基づいた組織論が有効だと言
  えるかもしれません。両者のかけ橋になるのがドラッカーの説くリーダー論でしょう。
   いくら馬が合わないトップセラーの3人でも強力なリーダーがいたら別に展開になって
  いたかもしれません。

   社内の人員配置は人事部が“ 職人芸 ”のように適材適所に処遇しているのでしょうが、
  それもいつもうまくいっているというわけではないでしょう。
   いや、これからもっと難しくなっていくと思われます。「競争教」の信者が旗振る、
  能力主義が猛威をふるい、職能を第一にした人事にシフトしているのみならず、派遣社員
  のさらなる緩和、限定社員の導入、グローバル(外国人)人材の増加と複雑怪奇になって
  いきますから。
   
   労働問題に詳しいジャーナリスト、渡邉正裕氏によると海外でも業績を伸ばす会社、
  トヨタ、コマツ等の人材はグローバル化していないという。
   日産みたいに「何が問題かわかっていながら出来なかった会社」には決断、英断でき
  るカルロス・ゴーンみたいなトップが有効な場合もあります。でも、ソニーなぞストリンガー
  がトップになってからうまくいったとは言えないでしょう。
   もう「競争教」に基づく利益最大化の職能主義でも、日本的な曖昧な宥和人事でも
  問題は解決しなくなってくるのではないかと考えます。
   どこかで職能主義と宥和人事のベストバランス(均衡点)を探らなくてはならなく
  なってくると思うのです。

                (つづく)








 
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