素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

NODA・MAP 「 MIWA 」

   


   宮沢りえが「美輪明宏物語」を演じるという話題の舞台、NODA・MAP「MIWA」を観てき
  ました。前売りは即SOLDOUT。当日券(座席券)も私の10人くらい前でSOLD OUT。
   残るは立ち見席のみ、腰の弱者のあたしにはチトつらい。さて、どうしたものかと、キャン
  セル待ちにかけてみることにしたが、4番目、やはりアカンのかと思いながら、開演5分前、
  キャンセル待ちコールに耳をそばだてる。なんとか座席券をゲットして劇場へ駆け込む。     
                               (軽くネタバレを含みます。)


   ナルホド、そうきたか~。
   美輪明宏さんは女装の麗人である。つまり、お化粧する人であり、両性具有とはいえケ
  ンカも強いそうだから、化粧することにより「女」に変身する人である。
   美輪さんは少年時代、銀巴里時代、ホームレス時代、麗人としての復活時代、妖艶な
  美女時代、そして性別を超えた存在としての現在と変貌をとげてきた人でもあります。
   美輪さんの人生を辿るとすると、万華鏡のような変身術を必要とする。
   おそらく、舞台でこれを十全に表現することはできない。
   舞台より、メークが詳細にわかるクローズアップのある映像に向いているといえよう。

   野田秀樹は全く逆のことを試みた。
   MIWA(宮沢りえ)の衣装は少年時代、ロンパリ時代(女装時代)、この2つしか用意
  していない。それぞれの時代、一つの衣装で通し、両時代共にブルー系の色で統一して
  いる。その代わりといっては何だが、MIWAの分身、いや御本尊としての安藤牛乳=アン
  ドロギュノス(古田新太)が、自称「ピカチュー」という現在の美輪さんのいでたちで二人
  羽織のようにMIWAに張り付いている。
   本来、変身するはずのMIWAを変身させず、周辺の登場人物を変身させる。
   井上真央はマリア ⇒ 母親 ⇒ 継母 ⇒ 赤絃繋一郎(あかいとけいいちろう)の妹、
   小出恵介は最初の審判 ⇒ 通訳、父親役もロンパリの店主他何役かやってような。
   野田秀樹は出鱈目な「美輪明宏物語」をつくるとかいっていたが、MIWA本人はのストー
  リーはむしろ正統で、出鱈目なのは何役も演じる登場人物か。

   作者が意識したかどうかは知らんが、この舞台は美輪明宏が具備している「変身」と
  いう磁界に引き寄せられたお芝居なのだ。
   「分身」が「変身」の亜種であることは言うまでもなく、「入れ子構造」も「変身」がお膳立て
  したものだ。本作にはいたるところに「入れ子構造」が見てとれる。
   少年MIWAがスクリーンの裏側から初めて映画を観るシーン、ロンパリ時代、 赤絃繋
  一郎がMIWAと映画館とデートするシーン、映画スター赤絃の映画撮影シーン等々。
   さらにいうと、MIWAの妄想シーンそのものが活字にすれば一種の「入れ子」となるだ
  ろう。

           miwa

  
   私は野田秀樹の言葉あそびが嫌いだが、記号論にはなっていなかった。
   ズバリ記号論なら80年代そのものだが、本作には彼が頭角を現した80年代が色濃く
  残っていると思う。
   「パロディー」、「模倣と反復」、「差異化」、「記号論」が幅を利かせた80年代。
   ズバリ「80年代」復活の朝ドラ「甘ちゃん」は言うまでもなく少し前から80年代ブームな
  のだろう。
   「入れ子構造」は「変身」という磁界が引き寄せただけでなく、そんな80年代のパロディー
  センスがたぐり寄せたとも考えられる。そもそも、この作品自体がリアル「美輪明宏物語」か
  らみれば「入れ子」だとも考えられる。
   そんな具合だからロンパリの舞台は美輪さんの舞台の再現というよりパロディーにみえて
  くる。

   リアル「美輪明宏物語」からすれば、三島由紀夫(本作ではオスカワアイドル)の他に寺山
  修司との関係、ホームレス時代ぬきでは語れないはずだが、きれいさっぱりと取り除かれて
  いる。この両者は野田秀樹との相性は「水と油」なのだろう。  
   でも、「変身」と「パロディー」を究めるなら、ホームレスのMIWAが一瞬にして麗人
  MIWAに「変身」するシーンを見たかったものだ。
   美輪さんの「葵の上・卒塔婆小町」で老婆の美輪さんが麗人に一瞬にして変わるように。

   美輪さんを語るうえでもう一つどうしても外せないのが長崎での原爆被爆だろう。
   一つの街を一瞬にして死の街に変えてしまうという点でこれも「変身」(メタモルフォーゼ)
  といる。私がこのお芝居で一番感心したのがこの原爆投下のシーンだ。軽く鳥肌がたった。

   今の宮沢りえを見逃してはならないという思いと彼女が出鱈目「美輪明宏物語」を演じると
  いうことが芝居に縁遠い私を劇場に走らせた。
   芝居よりも映画が好きな私を舞台に引き寄せたものはそれだけでなかったことが劇場を
  後にする時はっきりした。

    映画における変身は、最初のトリックであるのみならず原型的なトリックでもあった。

               ~ 哲学者・社会学者・映画監督 エドガール・モラン ~
                  
   このお芝居には映画の根源的モチーフである「変身」が強力な磁場をつくっていたのだ。

   贅沢をいうと、本作では「少年」にやや比重が置かれているが、「女優」宮沢りえももっと
  見たかったことを付言しておこう。







   
   
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