素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

映画 「 天国の日々 」 (マジックアワーはロケーションの神髄!?) 前編

   


 
   私はつとめて新作を観る時期と新作など目もくれず、旧作・名作を観る時期が交互にやっ
  てきます。最近は、また「新作などいいや」という時期に入りつつあるようで「天国の日々」
  と「ワイルドバンチ」を新橋文化に観にいきました。
   「天国の日々」は、ほとんど無名の頃のリチャード・ギアとサム・シェパードが出ている映  
  画というより「マジックアワー」の映画として今や映画の教科書の1本といっても過言では
  あるまい。35年前の映画だが、結論から言うと「天国の日々」は色あせない。
   併映の「ワイルドバンチ」は「こんな時代がかった映画だったかしらん」というほど古い。
   先日、北野武「ソナチネ」をまた少しばかり観たのだが、あれを観てしまったら、もう
  「ワイルドバンチ」は古いとしかいいようがない。「ソナチネ」からだって20年経つのだから
  当然だ。同じサム・ペキンパーでも「ゲッタウェイ」や「わらの犬」などは今も古くならないと
  思う。

   テレンス・マリックは「天国の日々」撮ってから「シンレッドライン」撮るまで20年沈黙した
  超寡作の作家と言われる。「シンレッドライン」公開時、期待を込めて観てみたが、正直
  言って、あの映画何が言いたいのか、何をやりたいのかよくわからなかった。
   正確に言うとわけのわからない映画は世の中にごまんとあるのだが、「シンレッドライン」
  の場合、テクストを丹念に読み込めばわかってくる類の“ よくわからない映画 ”だと思いま
  す。そういう意味でホントによくわけがわからない映画ではないのです。彼は哲学科出身で
  思索的なのだと思います。戦争映画は恋愛映画と同様、いくら描いても描き尽くせないもの
  だと思いますから思索する戦争映画があってもいいのですが、今や近代になってからの
  「戦争の正体」を知ってしまった私にとって、戦争について思索することはどうでもいいこと、
  興味のないことなのです。
   「ブラックショールズモデル」を含む金融工学を研究したところで、それは金融の技術論
  なのであって金融の大きな仕組みは決してわからないように戦争について思索しても「戦
  争の正体」はわからないのですから。
   そんなわけでパルムドール受賞した「ツリーオブライフ」も、また思索する映画かとつい
  見逃してしまった。


   そんなこと考えていたら、我が家に住みついた野良猫ウッシーの子供、ウッシー2世が
  ちょこんとお座りしてもの欲しそうな顔で私を見つめている。「そうか、エサが欲しいんだな
  でも、今日お前のエサになるようなものは何にもないよ。そうだ、ダシに使ったカツオ節でも
  やるかと」と猫のエサ皿の方へ歩み出すと兄弟のチロちゃん共々ウッシー2世が駆け寄っ
 てくる。この兄弟はピラニアのような、いやピラニア以上の食欲で、魚は魚肉はもちろん、
  骨も頭も全部あとかたもなく食べつくす。(ピラニアは少なくても骨くらい残すもんな。)
   ダシにして相当ふやけているとはいえ、カツオ節は堅過ぎるかなと思ったがウッシー2世
  がかじり出した。最近はペット食も充実していているが故に犬猫が虫歯になったりする。
   知り合いの女性の飼い犬は虫歯で歯が抜けてしまったそうな。お前らは骨まで食べるから
  カルシウム十分だし、こうやって堅いものも食べさせているから歯が抜けたりしないよな。
   犬猫同様、人間も歯ごたえあるものを食べないといけないそうです。
   歯ごたえのあるものに食らいつかないといけないのは食べ物だけでなく、若い時は小難し
  い本や映画をかじらないとイカンのではないかと近年そう思うのです。
   「こうすれば成功する、儲かる」という類の本は口当たりのいいペット食のようなもんだ。
   クリエイティブな仕事に就かなくても若い頃に小難しい映画の一つくらい食らいついてお
  かないと政治家も読解力、想像力、構想力が払底した似たようなこじんまりとした政治家ば
  かりになっていくような気がする。

   だいぶ脱線して前置きが長くなりましたが、こんな映画です。

    シカゴから流れてきた季節労働者リチャード・ギアとその妹リンダ・マンツ、
    恋人のブルック・アダムスがテキサスの大農場に雇われる。余命幾ばくもな
    い孤独な農場主サム・シェパードがギアの妹を装うブルック・アダムスに求婚し、
    やがて悲劇が起きる。(高崎俊夫)(映画.com)



    

   「ナッシュビル」も1、2年前、観返してみた。初見は中学生の時でさっぱり面白くなかった。
    なるほど陽気に笑うアメリカンの中で一人冷笑するアルトマンが伺える。でも、冷笑する
    アルトアンは今となれば中途半端。オリバーストーンの著作読んだ方がいいだろう。
    彼の同時進行する群像劇でこれが一番というわけではない。カントリーの世界なら
    「究極の101回目のプロポーズ」でもあるジョニー・キャシュの自伝的映画
    「ウォーク・ザ・ライン」を観たらいいだろう。 

  
   この映画は「マジックアワー」を見事に撮影したネストール・アルメンドロスがオスカー受賞
  したことで有名だが、その前にオールロケーションの映画だということにまず注目したい。
   舞台となるテキサスの麦畑の春夏秋冬すべてを捉えているわけではないが、秋冬の農場
  を見事に撮影している。本作の場合、秋、冬別々に撮影したのだろうが、オールロケーショ
  ンでスタッフ、キャスト合宿で撮影すると、ある「磁場」が出来あがると思う。
   前出「ソナチネ」も沖縄合宿して寝食を共にし「北野組」が出来あがったところでシナリオが
  ロクにない(笑い)出たとこ勝負なのだからどうしたって独自の空気(緊張感)が醸成される。
   「ソナチネ」のキャストにもう一度同じことやれといわれても出来ないと思う。
   まだ芸人の余技と思われていた北野武とキャストが沖縄合宿の中で出来あがった関係性
  とテンションによって「ソナチネ」は可能となるのだ。同じことをやっても世界的に認められた
  北野武と役者の関係はあの当時と決定的に違ってしまうのだ。世界的巨匠とロケーション
  の組み合わせというと、北野武ではなく今村昌平の方法論が思い出される。ワンテイク主義
  ではなくて合宿して「今村組」になってからさらにネチネチ役者を追いこんで出てくる演技、
  表情を金魚すくいのようにひろいあげるということだ。真逆のようでもう1回出来ない一瞬を
  記録していくことで両者は通じる。
   映画は「作品」であるのと同時に「記録」であると思います。
   坂東玉三郎さんも語っている。「役者の一番いい演技、表情を撮影し編集できる映画がう
  らやましい」と。

   随分と遠まわりしたが、「天国の日々」は現在のテレンス・マリックでは撮れないと思う。
   デビューしてから2作目の本作は予算の制約もあったろうし、尺(1時間33分)も限られて
  いたからこそ本作は成功している。巨匠になるとどうしても「2時間以上撮らせろ」ということ
  になりややもすると脂太りした映画となりがちだ。
   これだけロケーションできるのだから撮影環境は整っていたと思えるが、テキサスの麦
  畑、大自然が大きな比重を占めるのだから「制約」をうける映画だともいえる。何たって
  自然は必ずしもいうこと聞いてくれませんから。
   私は「制約」がこの映画の隠れた通奏低音だと考えます。
   ですから自然重視のロケーション、後処理のほとんど出来ないロケーション、特に
  「マジックアワー」が効いてくるのだと思うのです。

                                  (つづく)
  
   







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