素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

八百万の神々 第一回 出雲大社 その5

 



 〔古代史という樹海〕  

   古代史は樹海のようなものです。
   すなわち、迷宮の森であって多数の学説、有力説があるのだが、どれが出口(正解)かわ
  からない。おそらく相応の説得力を有する説でもどこかに瑕疵がありすべてに整合するもの
  はないと思われる。有力説が文献と整合しないとしても、そもそもその文献がねつ造、若し
  くは間違いだったりすることもあるのです。
   そんなわけで整合性を求めつつ出口(正解)を見つけているつもりでも、ますます迷宮の
  森をさまよい歩くだけだったりする。
   本物の樹海と古代史という樹海は、ひとつ決定的に違うところがあります。
   本物の樹海に入ったら森そのものを外から見ることはできないけれど、古代史という樹海
  は森そのものを外から見ることができるという点が違います。

   「ソサノヲの正体」、「国譲り」、「出雲大社とは」と述べてゆこうかと思うが、「木を見て森を
  見ず」という落とし穴に落ちないように進めていきます。とりあえず、一説を紹介してこれを
  検証する方法論を取ります。

   前回、スサノヲは十種神宝を所持していたのではないかと仮定した。
   すなわち、スサノヲが身ぐるみ剥がされて高天原を追放されたとする「記紀」の記述そのも
  のが怪しいのではないかという結論に至りました。
   「スサノヲの正体」を探るにあたって中見氏は姉と言われる天照大神(アマテラス)からア
  プローチするのがよかろうとしている。古代史上、もっとも有名なのがアマテラスであり、こ
  れを確定していけば大きく正解からぶれないだろうということかもしれない。
   卑弥呼が天照大神(アマテラス)だとする説は、古くは和辻哲郎氏の頃から唱えられて
  いる。
   それでは卑弥呼は誰かと言うと、近年、皇女倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめ
  のみこと)だとする説が有力なようです。三段論法で整理すると、

    天照大神 = 卑弥呼 = 倭迹迹日百襲媛命

   となります。すると、アマテラスの弟スサノヲは、倭迹迹日百襲媛命の弟、吉備津彦命とな
  るのが自然だと同氏は説く。吉備津彦命は桃太郎のモデルとして知られ、「鬼ヶ島」とは鬼
  のような渡来人、温羅(うら)の築いた城であると言われる。(桃太郎 = スサノヲ!?)
   中見氏はスサノヲのスサは水銀などの原料の朱砂(スサ)のことであり、「朱砂の王」では
  ないかと続ける。古代吉備王国が治めた奈良県の纏向遺跡(まきむくいせき)から朱砂とか
  吉備式の土器が出土したこと等をとりあげて挙証する。
   詳細は省くが、とりあずスサノヲ=吉備津彦だとしよう。
   そうすると、どうも時系列がおかしいのだ。
   吉備津彦は第七代崇霊天皇(在位 BC290~215)の第三皇子であり、スサノヲは神武
  東征よりずっと時代の下った頃の人物になってしまう。「国譲り」以前にオオクニヌシは存在
  しないといけないし、その義父スサノヲはなおさらだ。
   さらに吉備津彦命の姉、倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼 = 天照大神となると、神武天皇の
  子孫が天照大神?いよいよ変だ!

   歴史学(古代史)が実在を確実とする天皇は第26代、継体天皇(507~531年)か
  らであり、それ以前は神話の世界も含めて存在自体が怪しい天皇すらいるとされている。
  (特に2~9代あたりは怪しいらしい。)神武天皇の存在は間違いないとしても在位が
  BC7~6世紀とされているが、紀元後だとする説もあるようだ。
   さあ~、困った!わけがわからなくなってきた。

   諸説はともかく、私の結論を言うと、卑弥呼 = 倭迹迹日百襲媛命は、纏向遺跡の箸墓古
  墳(はしはかこふん)に対する年輪年代学や放射性炭素年代測から鑑定される卑弥呼の死
  亡時(BC248年)に近いことからほぼ間違いないと思う。
   同時に卑弥呼 = 天照大神も間違いないのではないか。
   卑弥呼は中国の史書「魏志倭人伝」、「三国志」に登場するくらいの大人物なのだから、こ
  れに匹敵する大物は天照大神だとする説はわかりやすく説得的だ。
   「森」を外から見ることが肝要だ。

   ここで注意しないといけないのは、倭迹迹日百襲媛命のカリスマ性が一方で「卑弥呼」とし
  て中国にとどろき、一方では「天照大神」となったのだが、「天照大神」が倭迹迹日百襲媛
  命と同時代と考えると間違いなのだ。倭迹迹日百襲媛命のカリスマ性はもう「天照大神」と
  して神話の世界の存在となってしまったのだ。私は神武天皇以前に「天照大神」が存在する
  神話が後に作りあげられたと解釈する。つまり、「天照大神」に関しては時代的同一性を問
  うても意味がなく、天照大神 = 卑弥呼 = 倭迹迹日百襲媛命は成立すると思う。
   (キリスト教の「三位一体」よりはわかりやすいと考える。)

     出雲博物館   卑弥呼の鏡
         古代出雲歴史博物館           卑弥呼が所有したという鏡
         膨大な銅鐸と銅矛を所蔵
     

   それでは、吉備津彦 = スサノヲも正しいのかというと、どうも私は違うように思える。
   スサノヲは神話ではなく、やはり「国譲り」以前に、神武天皇以前に実在しないと辻褄が合
  わない。
   「記紀」に記されているスサノヲの高天原追放が怪しい、いや虚偽だとするなら、アマテラ
  スとスサノヲが姉弟だとする「記紀」に立脚するのも矛盾というものではないだろうか?
   私見を述べると、アマテラスとスサノヲは姉弟ではないと考える。
   スサノヲはアマテラスと姉弟どころか、イザナギとイザナミの子ではなく別の一族だと推論
  する。別の一族だからこそ乱暴狼藉をはたく不肖の弟という濡れ衣着せて高天原から追放
  してもかまわないのだとされたのだろう。

   そうはいうものの、「日本書記」すべてが歪曲されているわけではなく、神武東征以前に
  倭国を統治していたのは饒速日命(ニギハヤヒ)だということは信憑性が高いと思う。
   その3では敢えてカットした部分も含めて再度引用しよう。

     「天皇、素(もと)より饒速日命は是天(あめ)より降(くだ)れる者(かみ)と
     いふことを聞しめして、今し果たして忠効(ただしき)を立てしかば、褒めて
     寵(めぐ)みたまふ。此(これ)物部氏が遠祖(とおつおや)なり。

                                 ~ 「日本書紀」~ ( )内加筆

   饒速日(ニギハヤヒ)が物部氏の先祖であると言っている。
   では、盤石神社の縁起にあるニギハヤヒが大和に入る前、ニギハヤヒはどこからやってき
  たのだろうか?ニギハヤヒが治めた大和(奈良県桜井市)の箸墓(はしはか)古墳から吉備
  王国の土器、綾杉紋、鋸歯(きょし)紋の装飾が出土することから中見氏はニギハヤヒが
  吉備王国からやってきたと結論づける。
   その3でふれたように「先代旧事本紀」にはニギハヤヒは「饒速日尊、天より天御瑞宝受
  来る」と記述され、天御瑞宝 = 十種神宝を授かっている。スサノヲも十種神宝を携えて地
  上に降りたと考えられる。ニギハヤヒとスサノヲはつながりがありそうだ。

   この件はひとまず置くとして、「出雲風土記」にはスサノヲのヤマタノオロチ退治が一つも
  登場しない。その理由はヤマタノオロチ退治が出雲ではなく吉備だったからだと中見氏は説
  く。
   吉備津彦が八大龍王信仰を持つ百済出身の出雲・たたら勢力と戦ったのがスサノヲのヤ
  マタノオロチ退治だと中見氏は言う。
  (後代、時系列が混同されたと考えないと辻褄が合わない)
   この時系列の矛盾はともかく、吉備と出雲は敵対勢力であり、オオクニヌシがスサノヲの
  娘をめとったことは、いわば同盟成立ではないかと思われる。「薩長同盟」の古代版という
  ことではないだろうか?
   そんな敵対勢力をも同盟させてしまうオオクニヌシを祀る出雲大社は、男女の縁結びを超
  えたもっと広い意味でも「縁結びの神様」ではないのだろうか?

   中見氏は、十種神宝所持の共通性、八大龍王信仰とヤマタノオロチ退治の類似をもって、
  ニギハヤヒ = スサノヲ = 吉備津彦で一件落着としたいようだが、そうするとアマテラス
  同様スサノヲも時間的同一性を超えた神話の世界の存在となってしまう。
   どうも腑に落ちないと思っていたら、ニギハヤヒはスサノヲの息子だという説があるよう
  です。
   十種神宝を共に所持している共通点からこの説はかなり有力だと考えます。
   出雲のたたら勢力が百済の出身ならスサノヲも朝鮮半島出身でスサノヲの本名はフツ
  シ、ニギハヤヒの本名はフルというそうだ。
   神武天皇とニギハヤヒの関係を考慮するに、スサノヲ、ニギハヤヒはイザナギと
  イザナミとは全く別の一族であることは間違いないようだ。

   
   持統天皇(女帝)と天照大神と一体化を目論んだ藤原家にとって天孫降臨以前に倭国を
  支配していたスサノヲやニギハヤヒ、およびその末裔、物部氏は邪魔な存在でしかなかっ
  た。
   だから、「記紀」の実質的編纂者と言われる藤原不比等はスサノヲをイザナギ系列に組み
  込み、悪神に仕立てあげたのだろう。

   古代出雲大社の支柱が見つかり、我々の想像以上に古代出雲大社は強大な勢力を誇っ
  ていたとが明らかになり、にわかに出雲勢力、スサノヲ及びその末裔、物部氏は注目を集
  めている。

   「古代史の樹海」はまだまだ深いのです。

                         (つづく)
  

    箸墓古墳
                       箸 墓 古 墳







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コメント

 だったら安来に参究してもよいのでは?」
2014-03-07 Fri 22:42 | URL | 鋼神話の語部 [ 編集 ]

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