素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

いわゆる 「 上から目線 」 についての一考察 3

   



   さて、ことの発端、浅田 彰氏の「東京田舎(者)」発言に戻ろう。
   親友 I は憤慨していたが、私は懐かしさを憶えたのでした。
   80年代は差別ギャグが横行していた。田舎者差別は典型で東京人のふりをして実は田
  舎者であることを芸人らがお笑いにしていた。
   博多出身の同級生に「だって、お前(私)はチ・バラ・ギ・グン・タマ(千葉、茨城、栃木、
  群馬、埼玉)だろ」とかニコニコ笑いながら言われても「テへへ・・・」とごまかし笑いするだけ
  で別に怒りもしなかった。

   差別ギャグを発する側は、その心性として当然に「上から目線(優越感顕示)」なのであり
  ます。建前として差別はいけないと言われながらもどんな時代にも厳然と存在する。
   (露骨か隠蔽されているかの差があるだけだ。)
   あまりにコアの差別は放送禁止になってしまうが、出身地による田舎者差別は、本来なら
  ギャグ程度ですむことだったのだ。今やそれもアカンということになってしまったのかし
  らん。
   格差社会における差別(「上から目線」)はリアル過ぎるからね。「1億総中流」で余裕が
  ある80年代だからこそ差別ギャグがまかり通ったのだ。 

   80年代に頭角を現した浅田氏はそんな80年代を引きずっている?
   いや、一端、身を潜めながら「甘ちゃん」に象徴的なように軽い80年代リバイバルの現在
  「時代の空気」に呼応するが如く「田舎者発言」しているようにも思える。
   そうだとするなら、浅田氏は「時代の空気」読み誤っている。いまや勝ち組と負け組がはっ
  きりした格差社会で「1億総中流」の80年代と違うのだからさ。
   
   そう言えば少し前、「空気を読む」なんてのが流行った。
   ピタリと符合するわけではないが、「空気を読む」と「上から目線」は表裏一体の関係にあ
  るように思える。
   どちらも日本的均質社会を反映している?
   ちょっと事態は違うんじゃないでしょうか?
   依然として日本的均質社会のようで多様化して同時に格差が目立ってきているのが今日
  の日本社会だと考えます。だからこそ「この場」(例えば I が訪れた美術展とか)だけはどこ
  かフラットなアジール(自由領域、避難所)であって欲しい、いやそうあるべきだという暗黙の
  了解があるのだと思います。
   そういうアジールはバーチャル空間に存在していますね。
   SNSの「○ ○ コミューン」はこれに該当するだろう。
   ブログは似ているようで匿名でよりオープンですから、ちょっと毛色が違うかもしれま
  せん。
   SNSはクラブとかサロンに近いじゃないでしょうか?
   クラブと言ってもゴルフの会員だったり、銀座のクラブだったり、踊り場としてのクラブ(↗)
  だったりといろんな形態があります。SNSでは何百人、何千人、何万人と友達がいるとか
  いいますが、それは違うでしょ。規約のゆる~いクラブみたいなもんでしょ。
   「ネットのバカ」の著者・中川淳一郎氏も言っておりますな。

    「スマホ中毒の皆さん、世の中、脱ネットの流れになりますよ」と


   それではバーチャル・クラブではなくて本来のクラブ、サロンがどんなものだったかを考
  えるうえで参考になるものとして「クラブとサロン」(1991年)という本があります。
   今や絶版で初版出版時にはあまり関心を集めなかったらしいが、中川氏のように考える
  人も少なくないことから近年、クラブやサロンに関心が集まりつつあるようです。
   クラブやサロンではどんなものが生まれたのでしょう?
   
    ○ コーヒーハウス(イギリス)・・・「小説」「政党」「保険会社」「ジャーナル」「広告」

    ○ サロン(フランス)・・・・・・・・・・「書籍」「百科全書」「化粧品」「美容食」
    
    ○ 茶会(日本)・・・・・・・・・・・・・・陶器のプレミア化(楽茶碗、織部焼)
 

                     ~ 出典 松岡正剛「千夜千冊」『クラブとサロン』 ~

 
   クラブやサロンは文化や人脈だけでなく政治や産業すら生み出したということです。
   (そうそう、茶室は男女に密会の場所としても使われました。)

   これらクラブやサロンはフラットで友愛精神に満ちているようで当然、誰でもウェルカムと
  いうわけではありません。
   松岡氏はクラブやサロンの特徴をこの4点にまとめています。

    ① 最初は必ずや「隠れたもの」を秘める。
 
    ② クラブやサロンにはその時期の最も重要な資金や人材を投入する。
      それが出来る目利きにしてトップリーダーが必要。
      (何でもかんでも市場原理にしない)

    ③ 特定少数の参加者からすべてを始めて、それをゼッタイに不特定多数にさせない。

    ④ クラブとサロンに特有の「ツールとルールとロール」を用意する。



   グローバリズム、監視体制のもとのSNSでは、コーヒーハウスが政党や新聞を生んだよ
  うに新たなものを生み出せるかというといささか心もとないと松岡氏は結論づけている。
   本来、グローバリズムの厳しい競争環境からのアジールのはずのSNSが、これらクラブ
  やサロンもどきまで「広告」というツールで資本主義の侵略、「(リスク)管理」の美名のもと
  に行われる監視体制の徹底化になってしまっているのが現状ではないかと思うのです。

   そうだとすれば、中川氏曰くのように古いようでも「脱ネット」、リアルワールドでの人と
  人のつながりが世界を切り開くということになりはしないだろうか?

                                   (つづく)


 
クラブとサロン
引用しようと探したが行方不明になって
しまった。この本の版元、NTTには
賢い人がいたものだと思う。








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