素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

その先の「町づくり」へ VOL.5

   
   



   どうもバタバタしているうちに世の中、騒がしくなってしまった。
   ウクライナを取り上げずに何が政治ブログだとお叱りを頂戴しそうだが、集中してこれを
  終わらせましょう。
   ウクライナのみならずビットコイン破綻、ウイグル族による(とされる)無差別殺人、一見、
  無関係のようでもこれらはつながっています。一連の政変、事件を通じてわかることは
  「新金融システム」へのソフトランディングはほぼ無くなったということであります。
   まだ、情勢が流動的ですが、現時点でそう結論づけられることを記しておきましょう。


   さて、前回までは「成功事例」と呼ばれる「町づくり」が実態は成功しているとは言い難い
  ことを指摘しながら、著者 久繁哲之介曰くの土木工学者主導の現在までの「町づくり」を
  批判・再吟味してきました。これからは「その先の『 町づくり 』」について述べていこうと思
  います。
   参考図書は長谷川浩己、山崎亮 編著 「つくること つくらないこと 町を面白くする11
  人の会話」です。
   長谷川氏(ランドスケープアーキテクト)、山崎氏(コミュニティデザイナー)と鼎談する
  のは、

    建築家、ランドスケープアーキテクト、デザイナー、居方研究家、働き方研究家

    アートディレクター、公共政策学者、哲学者
  
  であります。だいぶ前に買って本棚の肥やしになっていましたが、フト取り出して読んで
  みるとたいそう示唆に富んだ本でありました。
   「町づくり」はつくることであるはずなのに「つくること つくらないこと」はまさに究極的
  な課題の立て方であり、「その先の『 町づくり 』」の参考資料としてふさわしいと考えます。

   「つくらないこと」で我々、不動産屋が思いつくのは未利用地であります。
   未利用地というより建物を「つくらない」土地として「つくらない」を捉えて「公園」をテーマ
  に鼎談はスタートする。
   最初の鼎談者、太田浩史氏(建築家)の指摘によると日本人は「公園」の意味がわかっ
  ておらず「公園」を使いこなしていないそうだ。何とも耳の痛い話で、何のかんの言って土
  建工学者のカテゴリーに属する我々は市町村の「建築指導要綱」(若しくは条例)に基づく
  公園付置義務でしか「公園」を捉えていないし、どうでしょう、若いお母さん方にとって「公園」
  とは“ 公園デビュー ”の場所という程度のことではないだろうか?
   “ 公園デビュー ”は従来の日本人的共同体(町内会、村落共同体)から実は一歩踏み出
  した立ち位置であります。太田氏は「公園とは社交場である」と明言しております。
   “ 公園デビュー ”は実は「社交」の始めの一歩とも捉えれます。太田氏は付言します、
  「社交場」である「公園」は「ピクニック」と共に19世紀に発明されたと。

    山崎  ところで、ピクニック(Picnic)の語源は何ですか。

    太田  もともとはフランス語でPique‐Niquerで、Piqueは皮肉を言う、Niquerは
         どうやら色事を指す。実はとっても悪い言葉だったらしいんです。マネの
         「草上の昼食」がまさにそれですよね。これは僕の個人的推測なんで
         すが、それが18世紀のカフェでの政治集会を意味していて、フランス
         革命の余波として19世紀初頭のイギリスに伝わったのではないかと。
         だって1802年に行われた最初のピクニックは若者の乱痴気騒ぎ、
         つまり合コンなんですよ(笑い)。

    長谷川 その行為が屋外の公園に出て行った契機は?

    太田  1820年代に何かがあったと思うんです。公園の誕生に合わせて、屋外
         の合コンを最先端の流行と読み替える何かの出来事が。僕の勘では、
         紅茶のメーカーあたりが仕掛けたのではないかと。というのも、コーヒー
         は男の飲み物、紅茶は女の飲み物、という理解がイギリスにはあった。
         そしてティーパーティーが象徴するように、紅茶は屋外でたしなむ飲み
         物でもあった。これも中東でもそうですよね。その女性向けの紅茶文化を、
         ピクニックという最先端のデートと組み合わせることで、公園の利用促進
         がはかられたのではないでしょうか。
       
         ~ 長谷川浩己 山崎亮 編著 「つくること つくらないこと」 ~
 


   これらの事態は「クラブとサロン」という著作で紹介したように「クラブ論」と無関係ではなく
  さらに1850年代の市民社会の誕生といった背景があってはじめて「ピクニック」も「公園」
  も発明されたといえるでしょう。
   そう考えると、日本人が公園を使いこなせていない理由が明らかになってきます。
   経済的近代化達成とうらはらに日本社会がいまだに「近代化」を成し遂げているとは言い
  難いことに原因があると考えられるからです。
   日本人にとって「公園」の使い方の一番代表的な例はお花見じゃないでしょうか?
   お花見の無礼講 ⇒ 乱痴気騒ぎ ⇒ 祭りの後の日常的秩序の回復、これに日本社会その
  ものをみるようだとイアン・ビュルマ氏は言います。
   昨今では若い人を中心に日本人ももっとこ洒落ているかもしれない。幕張海浜公園の花
  時計のもとでバスケット持ってワイン片手に公園をエンジョイしている人達も見受けます 
  から。
   
   「町づくり」とは建物建築してテナントを埋め、町を活性化すること思っている御仁にはこの
  あたりの言説は見当違いもいいところだと思うかもしれません。
   久繁氏曰くの土建工学者が容積率至上主義に奉じて利用( ⇒ つくること)を金科玉条の
  ものとしていることこそ、人口減少社会において根本的な間違いではないか、フトそう思わ
  ざるを得ないのです。

   利用( ⇒ 特定者)と未利用( ⇒ 不特定多数)の関係性を探ることこそこれからの「町づく
  り」ではないかと私は考えます。

                  (つづく)
                     







スポンサーサイト

文化 | コメント:0 |
<<その先の「町づくり」へ VOL.6 | ホーム | 日本は無問題(モーマンタイ)!?>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |