素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

その先の「町づくり」へ VOL.7

   



   「3.11」から3年を向かえる今日、呑気に「町づくり」のことを綴っていていいのかとも思わ
  れるが、先日の安倍首相の記者会見によると、東北復興、町づくり( ⇒ 高台移転)は今年
  から加速させるそうだ。
   日曜日のNHKでも復興住宅について放送されていた。
   相変わらず土建工学が幅を利かせているようだ。(例えば、15mを超える防潮堤とか)
   「その先の『町づくり』」が東北でどこまで可能か定かではないが、本格的に復興住宅の
  建設が動き出した今、「町づくり」について述べることで「3.11」で亡くなった方へにの鎮魂
  歌とさせて頂きだい。

   陸前高田 模型
   以前、外苑西通りで見かけた東京理科大と名古屋工業大学の学生による陸前高田の
   復興プロジェクト。
 
 
   前回、前々回と公園や空きテナントを具体例にして未利用と利用、不特定多数と特定者と
  いう視点で「社交」、「クラブ論」、「新しい公共」について述べてきた。
   「社交」という概念が具現化されているのは、シャアハウスやソーシャルアパートメントだ
  ろう。概念から視点へと抽象度を下げると、シャアハウス等は不特定多数と特定者という視
  点に落とし込めると思う。不特定多数と特定者からはコーポラティブハウスやコープ住宅も
  ピックアップされる。さらに私の10数年来の持論、コーポラティブ老人ホームも導き出せ
  ると思う。コーポラティブ老人ホーム?そんなものが出来るのかと思われるかもしれない
  が、これは間違いなく潜在的需要があると確信している。別に特段、新しいものではなく
  似たようなものは既に存在している。
   例えばイタリアの「カーサ・ヴェルディー」がこれにあたる。
   この「カーサ・ヴェルディー」はオペラ関連の仕事をしていた人達のための老人ホームで
  あります。イタリアの作曲家・ヴェルディーが企画・建築したもので版権が切れる前までは
  ヴェルディーの印税収入で運営資金が賄われていた。ダニエル・シュミッドがドキュメンタ
  リー映画にしているし、CBS「60 Minutes」でも特集されていたし、確かNHKでも取
  り上げていた。


           メゾン・ド・ヒミコ
            ゲイ達のための老人ホームで繰り広げられる
            奇妙な群像劇。この二人より田中泯の存在な
            くしては語れない。おすぎも興味津々なよう
            だった。


   老人ホームにしてもマンションにしても本来は不特定多数が居住するのであって特定者
 (オペラ関係者、ゲイetc)を対象とするものではなかった。なぜ、そうなったかは山崎氏に語っ      
 てもらいましょう。

  
    山崎  近代以前は、人間関係が濃すぎたから、まさかそれが崩れるなんて思わ
         なかった側面があるんじゃないでしょうか。かつて集落における地縁型の
         コミュニティーは縛りがきつかった。だから近代以降、教育、福祉、環境
         など、各種専門分野に機能分化していっても、集落における厳しい縛りは
         なくならないと思っていた。けれども100年以上も生活を機能でバラバラ
         に分けてきた結果、どこへ行っても自分を全人的に受けとめてくれる場所
         がなくて孤独を感じる人が増えてしまった。極端に分化した専門分野を薄く
         広くつなぐ人、たとえば、外科や内科などの専門家ではなく、町医者的な
         存在が必要とされるようになったんでしょうね。
         
         ~ 長谷川浩己 山崎 亮 編著 「つくること、つくらないこと」 ~


   ここでは「場所」とか言ってますが、巷間喧伝されるフレーズでは「居場所」ということにな
  るでしょう。このあたりの専門家は居方研究家・鈴木毅・大阪大学大学院工学研究科准教
  授であります。


    鈴木  以前、研究で「自分の世界と別の世界」という摸式図をつくったことがあり
         ます。いろんな人にあなたにとって大事な場所、好きな場所の絵を描いて
         もらった。それをKJ法でまとめると、「自分の世界」「別の世界」「別の世界
         を垣間見る場所」になる。自分だけの世界というのは、テレビの前やトイレ、
         行きつけている場所。反対に別の世界というのは、テーマパークやゲーム
         センターなど普段と違うことが楽しめる場所。でもその中間が面白いと思う
         のです。コンビニや本屋、屋上テラスや子どもが遠く遊んでいるのを眺める
         とか、そういう自分の世界と別の世界をつなぐ中間の場所に興味あります。
         
                  (中略)


         そうですね、僕も、「私はここにいる」という意識を空間的・時間的・社会的
         にサポートするのが環境デザインの基本だと考えます。居方の周りには、
         デザインや行動や社会関係などの認識がすべて入ってくる。
         言ってみれば、「他人の居方は、私が環境を理解するためのリソースである。
         あなたがそこにいることが私にとって意味がある」と僕の研究では結論づ
         けています。他者の感情に共感するミラーニューロンという神経が注目されて
         いますが、確かに日常の場面では特に仲間じゃなくてもお互い学びあっている
         という状況がある。人々は相互認識のネットワークの中にいるのです。
   

                               ~ 引用 同上 ~     
   

   私は「自分の世界」と「別の世界」の間の空間に人はいやされると考えます。
   「自分の世界」ではまったり出来てもいやされるには「別の世界」が必要でしょう。
   「自分の世界」は閉じているのであって、「別の世界」につながらないと人はやがて攻撃
  的になってくると思う。ネット環境を考えれば自明のことだろう。


   「地域再生の罠」の久繁氏はいやされる店舗、街並みとはスローフード化によってもたらさ
  れると述べていた。彼によると「スローフード」について日本人は著しく表面的にしか捉えてい
  ないという。

    もともとスローフード発祥の地イタリアでは、スローフードの〈本質〉は、家族や友人
    など身近にいる大切な人と余計な気と金を使わず、ゆっくりと楽しい時間を過ごすこと
    にある。つまり、スローフードの本質は「大切な人との交流」という一点に尽きる。 

              ~ 久繁哲之介 著 「地域再生の罠」 ~



   「大切な人々との交流」では店舗・料理に癒されるのだけでなく、当然、人との「共感」が
  生まれているはずだ。
   あるパーティーでH氏と語らっている時、二人の意見は一致した。

   「若い人は我々よりもはるかに『共感』と『癒し』を求めている。さらにそれらを『シェア』し
    たいと無意識・意識の差はあっても思っている」

   
   「いいね」、「シェア」ボタンの影響か?そうではなくて「共感」、「シェア」の心情をこれらの
  ボタンに反映させているのだ。
   これらは「競争教の信者」によって繰り広げられている苛烈な資本主義社会の裏返しであ
  るとは誰でも容易に察しがつくだろう。
    
   心情的なことではなくて、これらは加速する資本主義と表裏一体の関係にあり、コーポラ
  ティズムの前哨かもしれない。 

                   (つづく)
            








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