素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

デス&コンパス (ぬるさとカッタるさは鮮やかさの隠し味)

  



  主演男優・女優はもちろんのこと、脇役から美術、大道具、小道具、衣装、背後のエキスト
 ラに至るまで目の行き届いた映画を完成度の高い映画というのだろう。
 完成度が高い映画が素晴らしいのはもちろだが、必ずしも完成度が高くなくても忘れがたい
 映画が存在する。例えば、アレックス・コックスの「デス&コンパス」(97年)がそんな一本だ。
  
   近未来のメガロポリス。王国は堕落し、邪悪と犯罪のはびこる魔都と化していた。
   ある日、ダウンタウンの北ホテルでユダヤ人学者のヤルモリンスキー教授が惨殺
   された。トレヴィラヌス警察署長(ミゲル・サンドバル)が現場検証を行い、
   被害者は同じホテルに宿泊していた宝石商と間違われたものと推定。
   しかし、敏腕警部のランロット(ピーター・ボイル)は「推理をするならもっと
   おもしろい方がいい」と言い放つと、被害者の部屋を丹念に検証し、タイプライ
   ターに残された、気味の悪い唯一の手掛かりに目を止める。そこには「御名の第一
   の文字は語られた」と綴られていた。ランロットは事件を簡単に処理させようとす
   るトレヴィラヌスの言葉を遮り、自分流の捜査を開始する。まずは遺体の第一発見者、
   ユダヤ系新聞の記者ズンズ(クリストファー・エクルストン)に尋問する。
   現場に残されたカバラ(ユダヤ教の聖典教義書)を事件の真相を掴むヒントと判断
   した彼は、徹底的にカバラを読み始め、関連を洗い直す。だが、捜査は一向に進ま
   ないまま1ケ月が経った。
                    ~ 映画.COM ~


  原作がホルヘ・ルイス・ボルヘスでカバラ絡みのストーリーといえばどうにもこうにもそそる
 ではないか。この時から既に我々、観客は罠にはまっているのだが・・・・。
  一応、近未来という設定なのにロケ地のセコさはどうしたことだ。石井岳龍、塚本晋也らがイ
 ンディーズだった頃と変わらないじゃないか。「時計仕掛けのオレンジ」や「ブレードランナー」
 のようにセット、美術で完璧に構築された世界は望んでいないけど。
  ええ、承知しております。アレックス・コックスが永遠のパンク映画作家だということは。
  それにボルヘスの「伝奇集」に収められた原作、掌編小説は1942年とクレジットされている
 ことから20世紀末が近未来かもしれない。いや時代など関係ないのだとしても、「未来世紀
 ブラジル」や「バンカーパレスホテル」のレトロ趣味やスティームパンクの風合いも無いでは
 ないか!
  どうにもこうにもこの映画はぬるい、そう思わざるを得ない。
  ぬるいのは悪党も同様でクリストファー・ノーランの「バッドマン ダークナイトライジング」に
 おけるベインの悪逆非道ぶりに比べるとねぇ・・・。

  トレヴィラヌス警察署長(ミゲル・サンドバル)と敏腕警部のランロット(ピーター・ボイル)
 の原色使いの衣装はどうしたことだ、「ディック・トレイシー」かいな。
  カバラ絡みの殺人事件なのにキリスト教「7つの大罪」をモチーフとしたデヴィッド・フィン
 チャーの「セブン」のような緊迫感や恐怖はまるでなし。
  いっそコメディーにしちまった方がいいんじゃないかと思い始める。
  これをパロディアスなコメディーにするとテレ朝の「都市伝説の女」になるだろう。
  トレヴィラヌス警察署長が「そもそも単純な殺人事件をランロットがカバラがどうのこうのと
 やたらこじれさせている」とこぼすのを聞くと、この映画にカバラ絡みのミステリーやサスペン
 スや恐怖を期待してもしょうがないのだと諦め気分になってくる(笑い)。
  さらに登場人物がボルヘス、キンズバーグ、スピノザという名前なのだから、やっぱこれは
 パロディーでしょ、パロディーこそふさわしい。それなら日本のTV、すなわち「都市伝説の女」
 の方が面白いよと考え始め、ますます画面はうわの空になってくるのです。

  ところが・・・・・・。

  ラスト、見事にやられました。


        デス&コンパス



  確かに一発芸なのだが、今までのぬるさとカッタるさは何だったのだと思えてくる。
  ぬるくてカッタるくて完成度が低いからこそこのラストは鮮烈、いや鮮烈すぎるのだ。
  完成度は高いがカール・テホ・ドライヤーの「奇跡」も実に鈍重でカッタるい映画だ。
  カッタるいからこそ“ 奇跡 ” がズシリと胸にこたえる。
  ブライン・シンガーの「ユージュアル・サスペクツ」もラストが鮮烈だが、あれは語り口が達者
 であって、あの方向性を突き詰めると、昨今はやりのゲーム映画になる。さらに映画じゃなく
 てもいいのではないか、ゲームでもいいじゃんということになってしまうのです。
  ぬるいと言えばロマン・ポランスキーの「吸血鬼」もタイトルとはうらはらにホラー風味はあっ
  ても少しも怖くなくおちゃらけ調なのですが、ラストでゾッとさせる手際でした。

  この映画のラストの鮮やかなカッティングは、同じくボルヘス原作でベルナルド・ベルトリッチ
 の「暗殺のオペラ」へのオマージュであることは言うまでももない。
  すなわち、この映画のラストの彼方にはゴダールが控えているのです。
  ゴダールの映画も実は完成度の高さを目指しているわけではないのです。(だからこそ、
 「フィルム・ソシアリスム」⇒フィルムはOKカットもダメカットも平等だよ、となるのです。)
  ゴダールはジャンクな映像や言葉、引用の洪水の中に震撼させるようなフレーズを忍び込
 ませたりします。

  今やCGやSFXで映像的にはすべて可能となり、3Dのリアリズムも「日常」となりつつある
 昨今、ぬるさとカッタるさの隙間から「映画」が顔をのぞかせたりすることが新鮮なのです。
 
                                     

 暗殺のオペラ
 ベルナルド・ベルトリッチの1970年作品
 いまだVHSしかない、早くDVDにしてくれ。 






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