素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

東映エロス1972 後編





 〔なぜ東映にはロマンポルノが生まれなかったのか?〕 

     1972年は、前年に始まった日活ロマンポルノが軌道に乗った年であった。
     (この年、村川 透監督「白い指の戯れ」、神代辰巳監督「一条さゆり 濡れた欲情」が
      キネ旬ベスト10にランクインされた。)
     同年に公開された「エロ将軍~」と「徳川セックス禁止令」を契機に東映でもポルノ路線
    が敷かれてもおかしくはない。日活よりも東映の方が猟奇、エログロ路線は先行してい
    たのだから。石井輝男監督、68年「徳川女刑罰史」、69年「異常性愛記録 ハレンチ」
    69年「江戸川乱歩 恐怖奇形人間」等々。

     日活ではロマンポルノが“ 最後のプログラムピクチャー ”として定着したにもかかわら
    ず東映ではこのようなエロ映画は一つの路線ではあったが大きく成長することはなかっ
    た。
     なぜだろうか?
     答えその一は簡単で、時代劇、任侠ものとあくまで男優中心の会社であって、翌73年
    にはあの「仁義なき戦い」シリーズが始まってしまうのだからポルノが表看板になること
    はないのです。(エロ将軍~」の乱交シーンに出演した川谷拓三らピラニア軍団は朝まで
    撮影してそのまま「仁義なき戦い」の撮影にのぞんだという。)
     東映の場合、「緋牡丹博徒」シリーズの藤 純子がこの年引退し、日活ロマンポルノの
    ように女性が本格的に主人公となるのは、「極妻」シリーズまで待たなければならなかっ
    た。
   
     これらは表層的理由であって日活ロマンポルノははるか以前にその萌芽が見てとれ
    る。石原慎太郎原作の「太陽の季節」や「狂った果実」の頃に必然的に日活ロマンポル
    ノは産み落とされることになっていたのだ。そんなバカなことあるか!これらの映画は、
    石原裕次郎という日活の看板をしょって立つ大スターを生み、アクション路線、青春路
    線へとつながるのではないか。日活アクションスターの中には「ロマンポルノが日活を
    ダメした」と言って憚らない人もいるくらいだ。一方、大島渚は日活ロマンポルノを中心
    とした70年代を日本映画の第3期黄金時代だと公言している。
     これらについての議論はともかく、私は石原慎太郎原作のこれらの作品の中にロマ
    ンポルノのDNAを見てとれると考える。それはそれは男根を障子につきたてるという
    性の横溢や反逆する若者といったモチーフだけではない。
     「狂った果実」が実質撮影期間わずか17日だったことに着目したい。
     この厳しい撮影条件を逆手にとり新しい表現が生まれ、トリュフォーやゴダールに熱
    狂的に受け入れられたことは有名だ。石原慎太郎はトリュフォーと歓談した際、彼が
    「狂った果実」(仏題「浜辺の情熱」)について熱く語ったと述壊している。
     「狂った果実」の監督、中平 康はトリュフォーやゴダールを「俺の弟子」と言っていた。
     そんなゴダールらヌーベルバーグの監督に影響された監督(例えば小沼 勝)がロマ
    ンポルノを撮ることになるのだから「狂った果実」にロマンポルノの種子はまかれていた
    と言っても過言でないだろう。さらに重要なのはこの撮影期間17日はロマンポルノの
    基本的撮影期間となる。いくらアフレコとはいえほぼ2週間あまりで映画1本仕上げて
    しまう当時の日活スタッフのパワーと技量にはやはり脱帽するしかない。
     ロマンポルノの熱気はやはりアフレコだった一時期の香港映画に通じると思う。
     (そういえば中平 康は香港でも撮っている。何か気脈が通じるのだろうか?)
    
     「東映エロス」と言いながら日活のことばかり綴っているが、東映には中平 康のよう
    なヌ―ベルバーグの作家に影響を与える監督は現れず、新たな才能といえば時代は
    もっと下ってクエンティン・タランティーノに影響を与える「仁義なき戦い」の深作欣二ま
    で待たなくてはならない。
     東映の場合、新しい表現というより職人芸の監督が多く、任侠映画衰退後、新しい路
    線を模索する段階で新しい才能が出現したというわけではなかった。
     (今となると職人芸の世界も十分魅力的なのだが)
     「東映エロス」とは何だったのかは事項を述べてからにしよう。



  〔やっちまいな!〕  

     「キルビル」でルーシー・リューは「やっちまいな!」と雄たけびを上げる。
     これらは梶 芽衣子の「修羅雪姫」をイメージしているので日活だが、この場合の「やっ
    ちまいな!」は「殺(や)っちまいな!」です。 
     「やっちまいな!」とは言わないが、東映も「やっちまいな!」のシーンが必ずある。
     「エロ将軍~」ではニセ将軍が罪人を集めて大奥の女たちを「犯(や)っちまいな!」と
    言わんばかりに号令下すシーンだ。東映では「やっちまいな!」は「殺っちまいな!」に
    紛れて「犯っちまいな!」の大乱交シーンとして現れる。「私設銀座警察」でも「犯っちま
    いな!」と大乱交シーンがありました。殺っちまいなでも犯っちまいなでもいいのだが、
    東映の場合、「やっちまいな!」は「無礼講じゃ」と言っているように聞こえる。つまり、
    大乱闘でも大乱交でもいいのだが、要するに終われば、また秩序が回復されるのだ。
     「エロ将軍~」でも罪人たちが大奥で大乱交している間、ニセ将軍の角助はあろうこ  
    とか葵の御紋を刀で切り刻む。かなえてより想いを寄せていた女鼠小僧(池 玲子)と
    情交の果て絶命する。葵の御紋を切り刻むという「無礼講」の度が過ぎた瞬間に角助
    は絶命するわけだ。
     増長して手がつけられなくなったニセ将軍・角助をどうやって排除すべく田沼意次が
    思案していた矢先にうまい具合に死んでくれたわけだ。その後、11代将軍・豊千代が
    復帰する、つまり秩序の回復です。(私が勝手に思い込んでいるだけかと思いきや、
    角助のこんなセリフがある。「男女は身分の上下を問わず性の交わりを自由とする。
    風呂屋の三助であろうと、百姓であろうと、囚人であろうと、本日只今より大奥は勝
    手に入ってよろしいッ。本日は無礼講じゃ。大奥へ行って女を抱けッ!抱いたものは
    即刻罪を解き、無罪釈放じゃッ!」) 
 
     「徳川セックス禁止令」でも閨房禁止令に対して「やっちまいな!」ならぬ「やらせ
    ろ一揆」が起こる(笑い)。それでも目が覚めない殿様(名和 宏)は忠臣やサンドラ
    の死によってようやく閨房禁止令を廃止とする。
     やはり一揆 ⇒ 秩序の回復が見てとれる。
     鈴木則文はこの2作で反権力の詩を謳ったとか評されるが、より大きな構図では
    無礼講 ⇒ 秩序の回復に他ならない。(そもそも「エロ将軍~」は同年先行公開され
    た「徳川セックス禁止令」を岡田茂社長が見て鶴の一声で企画されたという。
    冒頭のナレーションを聞いて「企画案だ・・・・。二十一人の愛妾・・・語呂もいい。
    時代劇にぴったりだ。研究してみい」。社長のこの一言から「エロ将軍~」は生ま
    れたのだから反権力ではなく無礼講=ガス抜きなのだ。)      
     これが東映の伝統的カラーだと思う。
     任侠映画では高倉 健と池部 良の道行きがあって殴り込み=やっちまいなと
    なって、最後誰かの死を持って秩序は回復される。遡ればれば勧善懲悪の時代劇
    もほぼ同じ構造で出来あがっている。だから、様式美、伝統芸は生まれても東映
    の映画からは映画の構造そのものを揺さぶる新しい表現は生まれにくい。
     そうそう、無礼講の後の秩序の回復には顔役の存在が不可欠だ。
     東映には片岡知恵蔵、市川右太衛門 、月形龍之介等「御大」と呼ばれる役者
    がかつて存在していた。「御大」が重くのしかかっているからこそ「無礼講」なのかも
    しれない。

     一方、日活は反権力が大げさならカウンターなのが当たり前。
     戦前はともかく「狂った果実」以降ずっとそうだと思う。
     だから無礼講なんかない。むしろ権力にいかにして敗れるか、その負けっぷりを描
    いてきているように思える。「敗北の詩」を謳うのがよくないなら左にまくしかないのだ。
    「キューポラのある街」とか。
     私は学生時代、日活の直営館でバイトしていたことから日活社員とも交流があった
    のだが、彼らは「赤旗」を定期購読していた。
     新左翼の敗走以降、反権力はもはやリアルではなくなった。
     まだ、ジェンダーフリー、環境問題には早過ぎた70年代、左翼は性の解放あたり
    へ向かっていくだろう。大上段に構えなくても性の解放と新しい映画表現の両輪が
    初期日活ロマンポルノの推進力であったことは間違いないだろう。
     もっとも神代辰巳にインスパイヤーされた大島 渚の「愛のコリーダ」(76年)に
    よって太文字の性の解放はトドメを刺され、以後の日活ロマンポルノはエンタメとし
    ての性と映画表現の可能性にシフトする。

     一方、どこまで行っても「東映のエロス」はエンタメとしての性から一歩も出ない
    と思う。それは無礼講としてのエロスのみならず、東映のカラー、徹底した予算
    主義と大衆娯楽路線が大きく寄与している。東映にはわけのわからない映画を
    つくったとして解雇された鈴木清順のような監督はいない。御大を頂点とした
    スターシステムの残滓と収益性重視のプログラムピクチュアーの中で新参者や
    新人はロマンポルノのように映画表現の可能性など追求できるはずもないのだ。
     出来るのは表現の追求ではなくて新たな題材の発掘だろう。
     石井輝男の猟奇・エログロ作品群がこれにあたる。もっとも石井輝男は予算主
    義の制約をくぐり抜けて「江戸川乱歩 恐怖奇形人間」という怪作をものしてしま  
    うのだが。
     草食男子などという言葉とは全く無縁でAVも無かった70年代初頭、映画の題
    材としてエロスは爆発的に需要があったのです。「当たる映画がいい映画や」と
    公言した憚らない岡田社長が指とこまねいているわけがなく、洋ピン、いわゆる
    洋画ポルノを東映は輸入配給していた。今でいうところのアウトソーシングです。
     
     邦画にはマネできないハードコアを配給していたら、東映エロスは猟奇もの、
    風俗もの、女番長もの、艶笑コメディーといった邦画ならではの路線をいくしか
    ないのです。
     それらはあくまでエンタメとしての性であってロマンポルノとは待ったく別物だ
    が、その中の何本かは時代の徒花のようでも熱き時代の映画として今日でも
    色あせないのだ。
                    (了)
     



鈴木則文
 新文芸坐で追悼特集上映。30日筒井康隆原作「文学賞殺人事件 大いなる助走」も
  観に行こうかしらん。










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