素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

すみだストリートジャズフェステイバル 2日目(後編)

     



     前日はめし食ったあと、新宿のバーへ行きラフロイグのハイボールで余韻を味わった
    のだが、今日はとてもそんな気にはなれない。とりあえずめしだということで中華料理
    屋へ入った。

      I  「あんなふざけた自虐的開き直りの挑発を繰り返して普通にジャズ聞きに来
         た人を小馬鹿にするようなことして挙げくにわけのわからない振りつけ強要
         するなんてサイテーだよ。」

     私  「盆踊りを大友流に換骨奪胎しちゃうならそれはそれでおもしろけど」

     I   「あれは違うよ。あれは一種の上から目線だよ。『あまちゃん』とかやって
         人脈も広がって権力のようなものを持ってしまったのかもしれん。
         悪ふざけだけじゃなくて福島がどうのこうの言われたら何にも言えない。」

     私  「そうだね。福島はキラーだよ。確かに俺ら何にも言えないもの。
         権力というか一種の暴力だね。」


     I   「そう、暴力。隣のステージの音も消しているもの。」

     私  「もっともこんなこと言っているのは少数派でみんな普通に盆踊りを楽し
         じゃったりして。」

     I   「何もわかってないよ。」

     私  「ノイズミュージックも興味ない人には暴力だし、のれない盆踊りも暴力。
         でもそんなのどうでもいいよと踊っている人は何にも考えていないんじゃ
         ないのか?」

     I   「そうでしょ」

     私  「盆踊りは一種のエンタメ化なんだよ。今日の盆踊りは暴力的でのれな
         いエンタメ。何か似ているな~」

     I   「何それ?」

     私  「今さ、『渇き。』って映画について記事にしようとして難渋しているんだよ。
         暴力的でのれないエンタメと言う点で今日の盆踊りと『渇き。』は通じる。
         両方とも何らかのメッセージがあるんだよ。だけど暴力的なまでにエンタメ
         化してある。」

     I   「なるほど。それにメッセージとか言って身振り手振りで人を動かすの
         は政治だよね。」

     私  「盆踊りは政治的だよ。政治家はよく盆踊り巡りしているもの。」 


         ピータン豆腐
              何のかんのいってピータン豆腐は旨かった。



     当日はこんなようなことを語りあったのだが、今、冷静に考えれば大友さんは当たり前
    のことをしただけかもしれない。 
     何が当たり前かって?
     彼のブランニューアルバムは「あまちゃん音頭」であり、その販促としてこのイベントを
    利用しただけのこと。これはこの日の参加ミュージシャンだけでなく、各種イベント、コン
    サートで誰もがやっていることだ。(そうじゃない人もいるが)
     大友さんの新作「あまちゃん音頭」が世の中に受け入れられるか、評価されるかは別
    としてとにかく彼はこれを新作として発表したことは間違いない。
     商業ベースにのっているからには「作家」が販促イベントするのは当然のことだ。
     私は石原慎太郎に噛みついた「共喰い」の芥川賞作家、田中慎弥氏が書店のサイン
    会で一人一人、ていねいにサインしているのを目撃した。
     「そんなものやるか!」とか言いそうだが、そんなことはないのだ。
     それとも「俺は読者、ファンは大事にする」とか言うのかしらん?

     本論に戻ると、ジャズ祭のトリに非ジャズの己の新作をメインにすえた演奏していいの
    かということだ。ジャズ祭だが、ここは江戸情緒が色濃い墨田区、季節も盆踊りシーズン
    それに有料コンサートじゃないこと、これらを勘案するに是とも非とも言えなくなってくる。
     (それに主催者側が盆踊りやりたくて「あまちゃん音頭」を発表した大友さんに白羽の
      矢を立てたかもしれん。)
      
     当日、私と I が語ったことは I には悪いが、「あまちゃん音頭」という新作がなくて、
    突如として盆踊りを演奏した場合に限って有効となるとも考えられる。
     もっともこれで「一件落着」という程、事態は単純直角ではない。
     例によって何層にも錯綜しているのです。
     「あまちゃん音頭」はあまちゃんモードの脱線モードにしてシリアスモードだと思う。
     シリアスモードというのは福島がどうのこうのという歌詞であります。
     あまり熱心な視聴者ではなかったが、朝ドラ「あまちゃん」は80年代パロディーモード
    の逆襲にして狂い咲きだと私は考えている。脱線したパロディーモードがとことん行って
    しまえばシニカルで空虚で脱力系の笑いへと誘うだけだ。
     (もちろん、宮藤官九郎はこの陥穽から巧みに逃げている。) 
     「あまちゃん」の脱線モードだから、親友 I が怒っていたようにあの盆踊りはどこか空
    虚で脱力系のテイストがあるのだが、それすら盆踊りという伝統的な踊りで強引にエン
    タメ化しているのです。

     80年代パロディーモード、すなわち価値相対主義の反動が自称「保守」だと私は考
    える。その反動に対する逆襲が「あまちゃん」ブームの下地になったと思うのです。
     来るべき「コーポラティズム」の時代、保守もリベラルも新自由主義も社会民主主義
    もファナティックに糾合されていくと言われる。自称「保守」はもちろん、新左翼の残滓
    を引きずっている人までもがある種、ファッショになっていく事態が予想される。
     大げさに言えば、この盆踊りにその徴候が見てとれると思う。
     大友さんはもう少し早く生まれていれば、「新左翼」に片足くらいは突っ込んでいたで
    あろう。そんな彼が盆踊りで人々を扇動するが如く動かしている様は、ある種、来るべ
    き「コーポラティズム」の時代を象徴しているといって差し支えないだろう。
     この危険な匂いを当日の盆踊りに嗅ぎつけた親友 I の感性は、さまざまな事情を考
    慮しても正鵠を射ている。

     何とも錯綜しているが、それぞれのフェーズにそれぞれの真実があり、その底に「深
    層」(真相)があるものです。

     「盆踊りなんか書きやがって」とお思いの方、何となく政治ブログらしくなったでしょ。

                              (一旦 了 でも「補輯」に続く)








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