素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

古くて新しい問題、「表現の規制」

    



     「TVタックル」は11時代に移り、やわらかい話題が中心になってつまらなくなったとい
    う人達がいる。
     この件は以前も取り上げたが、私には身近なたわいもない事柄を扱うようになった今、
    番組本来の姿に戻って好ましいと思っている。当初はこの番組も軽い話題を取り上げて
    いたが、だんだん政治経済事象が中心となっていく。いつの間にか政府・自民党の広報
    番組となってしまった。先日も「集団的自衛権」を巡って露骨にプロパガンダ番組に戻っ
    てしまっていた。安倍ちゃんの番犬たる山際某が出てくることだけでもう怪しい。
     そもそもあんな奴はTVに出れないよ、そのズレっぷりの酷さゆえに。
     それでも出てこれるのは安倍ちゃんの差し金に違いない。
     
     この日の「TVタックル」を評して本来の政治経済中心に戻って結構というなら、その御
    仁は相当に頭がお花畑だ。今となったらあの番組も乗っ取られた感があるが、「たかじ
    んのそこまで言って委員会」を観たことないのだろうか?「TVタックル」と同じパネラー
    でも発言の踏み込み方が全然違うのだから。 
     (全国ネットででないと電通の締め付けが小さいということか)
 
     前置きはこれくらいにして、当日の「TVタックル」について述べよう。
     この日は「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」でした。
     自主規制派はロリコンアニメが悪影響を与えてロリコン性犯罪が誘発されるから、野放
    しにしてはイカン、規制すべきという主張です。
     規制反対派は、「ロリコンアニメがあろうとなかろうとやる人はやる」、「アニメで空想して
    いるだけでむしろ抑止効果がある」等々。
     政治の世界に置き換えると、アニメ規制派は「規制緩和」すべしで、規制反対派はどち
    らかというと「ブラック企業はイカン」、「労働環境は規制緩和するな」と主張すると思わ
    れ、アニメに対する態度と正反対で興味深い。
     反規制派はリベラルに棹さしていることから「核抑止力」なんかとんでもないと日頃考
    えているくせにここでは抑止力を説く。
     海外ではロリコンや暴力の規制が日本よりずっと厳しいにもかかわらず日本より犯罪
    が多い、相関関係は認められない等々、反対派の主張が続き、さらに2次元の世界し
    か恋愛対象にならなないオタクたちの生活が紹介される。
     
     表現の規制の問題は大昔から議論されていて今さら感は否めないが、結論めいたこと  
    をいうと青少年に悪影響を与えるから規制すべしでは何にも解決しない。
     規制派の主張も一理あって影響を与えるのは事実であり、全く規制しなくていいはず
    はないのだが、インターネット時代規制しても意味を持つだろうか?
     さしたる効果がないとなると規制派はさらに「規制だ、規制だ」と騒ぎたてるだろう。
     規制というと昔は猥褻だった。
     「愛のコリーダ」を始めて観た時、ただやっているだけの映画、どこがいいんだと思った
    が、「愛のコリーダ 2000」を観た時は印象がだいぶ変わり、あの映画には確かに日本
    が存在すると思うようになった。大島 渚の意図が完全にわかるようになったのはこのブ
    ログを始める少し前、すなわち21世紀になってからだった。
     猥褻だなんだといってもなんのことはない、日本人は性に関して先祖返りしただけのこ
    とだったのだ。日本人は江戸時代、性に関しておおらかでクリスチャンでは禁忌であった
    はずの男色にすら寛容だった。そんな状況で日本人がとんでもなく堕落していたかとい  
    うと風紀が乱れ過ぎた時代があったこともあるが、総じてそんなことはない。
     (遡れば戦国時代、来日したファンシスコ・ザビエルは自国と同等かそれ以上に強力な
      武士集団を持ちながら男色をも容認した日本人に対して目を白黒させたであろう。)
     日本人のこの特殊性を理解せずに「海外がどうのこうの」は全くもって意味をなさない。
     そもそも西欧だって猥褻の概念は時代とともにコロコロ変わっている。
     例えば、貴婦人がビスチェを身につけ乳房を露出させても何ら猥褻ではないが、シー
    スルーは猥褻だという時代もあれば、真逆にシースルーで乳房が透けても猥褻では
    ないが乳房の露出は猥褻という時代もあった。
     現代だってフランスのTVの猥褻規制の基準はコロコロ変わると聞く。

     残酷描写についていえば、本邦では江戸時代末、絵金(弘瀬金蔵)の血みどろの芝居
    絵が趣向され、一端はすたれたが大正から昭和初期にかけて「エログロナンセンス」が
    復活するのです。「新撰組の斬首に黒山のひとだかりが出来た頃の残虐性を人々は今
    忘れてしまったわけではない」と三島由紀夫が語ってから10数年後、日本ではスプラッ
    タームービーが流行する。
     確かに80年代の方が学園は荒れていたが、やんちゃなだけだった、今より健全だった
    と考える。
     エロも暴力も規制すればなくなるというわけではない。


暴行列車  悪魔いいけにえ
昔は乳首の見えたポスターが街角に        この映画の影響で凶悪犯罪は増えた?
ポスターは大人しくなったが、ネットで        いいえ、この映画は実際の惨劇を元に    
未成年でも何でも見放題。              したものです。 



    【私の提言1】
     ロリコンも暴力描写も規制したけりゃすればいい。
     でも、規制緩和も同時にありだ。
     規制の基準がコロコロ変わることを前提としないとダメだ。
     科学の法則じゃあるまいし、絶対の法則などないのだから。
     実際は、官僚が法律をつくって規制することから一度決めてしまうと規制強化される
     ことはあっても容易に基に戻らない。
     一度決めたことを元に戻すのは恥だと思っている官僚が規制するより民間機関が
     規制基準を決めなくていけない。

    【私の提言2】
     規制派は青少年に悪影響を与えるから規制すべしという。
     確かに影響を与えることは間違いない。
     反規制派の主張も説得力がある。
     でも、これだけでは今日、認識不足だ。
     「悪影響を与えるからダメ」なのではなくて、「悪影響を与え邪悪にし堕落させる
     ためにアニメを利用している人達がいる」と認識しないと21世紀的ではない。
     音楽、映画にはこういう人達が存在することは事情通なら御存知だろう。
     私は音楽、映画にそういう人達がいるのだからアニメ界にも当然に潜り込んで
     いると考えるのです。
      (アメリカの映画界ならプロダクション名までわかるがアニメ界はわからない)
     社会工学的に俗悪アニメを作っている連中と表現の拡充として俗悪を描いて
     いる人々を峻別するのは至難の業だ。
     だから規制すべしは単純すぎるし危険だ。  
     そうしたら、江川達也氏曰くのように俗悪でもアニメとして優れている作品が
     「洗脳装置」としてのアニメを駆逐していくか、これらの違いがわかる見巧者
     を多く育てていくしかないのではないか?   
  






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