素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

昭和天皇のご意思 VS 反東京裁判史観 VOL.4




 〔世界の中の昭和天皇〕
     
    昭和天皇の思いが既述のとおりであったとしてもそれだけでは「昭和天皇実録」に昭和
   天皇がA級戦犯に関して「一切 の恩遇は不詮議」とされるまで厳しい処遇としたことの説
   明としてはまだ説得力に欠ける。
    敗戦国の国家元首だったからA級戦犯に厳しかった?
    それだけではまだまだ説得力がない。
    「世界の中の昭和天皇」という視点で少しばかりでも考察しなければ埒があかない。
     
    東京裁判は戦勝国による一方的なものであり、「A級戦犯」という烙印も不当なものであ
   る。巷間喧伝される反東京裁判史観(≒ 反自虐史観)の主張はほぼその通りなのだろう。
    特に異論はない。それだったら、A級戦犯が不当なものなのだから彼らを合祀したから
   といって政治家が靖国神社の参拝して何が悪い、そういう言説が大手をふってまかり通っ
   ている。
    これに異議を申し立てる副島隆彦氏の言説を今、一度、引用しよう。
 
     いいですか。1978年に、昭和天皇(裕仁=ひろひと=天皇)は、「私は、靖国
     神社に参拝するのは今年からやめる」と決心したのだ。それは、東条英機大将
     (首相)以下の、自分の部下(臣下)だった戦争犯罪者と極東軍事裁判で認定され
     た者たちが、この、1978年から、靖国神社に合祀(ごうし)されたからだ。


     昭和天皇は、「世界の大勢に逆らわない」ということを、自分の敗戦後の出発点に
     した人だ。それでアメリカが押しつけて下げ渡した、現行日本国憲法(別名、平和
     憲法)に従い、主権者(ソブリン)の地位を去り、自ら座敷牢(ざしきろう)に
     入った。

               (中略)
         
     昭和天皇にしてみれば、自分に忠実な臣下であった者たちではあるが、それでも、
     戦争遂行政府を指導したこの者たちは、「世界を知らなかった」のである。それで、
     「アメリカに大きく騙された。お前たちは知恵が足りなかった。知識と情報と学問
     が足りなかったから、騙された」のである。「そして、そのために自分と日本国民
     に大変な迷惑をかけた」のだ。 

     昭和天皇は、東条らに、そのことの責任を言いたかったのだと、私、副島隆彦は、
     日本の政治思想家として判断します。だから天皇は、「私は、もう靖国にはゆか
     ない」と決断した。

     東条ら14柱の戦争最高指導者たちの御霊(みたま)で自分の臣下だった者たちを、
     天皇は祀(まつ)ることを拒否したのである。 悲しく死んでいった他の英霊たち
     を祀ることには異存はない。 だから東条らの合祀(ごうし)は間違いであった。
     昭和天皇は、そのように一人で決断して、ひとりで抗議して、以後、靖国には参拝
     しないストライキを決行したのだ。

     もし、君が、本当に、愛国者であり、右翼であり、民族主義者であるならば、この
     昭和天皇のおおみこころ に従え。 天皇のご遺志に逆らうな。 いいか。

     その御遺志とは、「世界の大勢に逆らうな」 ということだ。世界の大きな流れを
     読めない、深く考えて動けないような者なら愚か者だ。まんまと騙されて、またし
     もても戦争をさせられるように仕組まれる。日本の国家戦略家(ナショナル・スト
     ラテジスト)を自称して恥じない私は、いつもこのことを、自分への自戒として生
     きている。

     東条英機首相たちは、極東軍事裁判(東京裁判)に掛けられて、有罪判決を受けて、
     そして絞首刑になった。このとき、国際社会(世界の大勢)が、この者たちは有罪
     だと決断したのだ。有罪を言い渡された者たちも静かにこれを受け入れている。
     控訴した者はいないはずだ。

     だから、昭和天皇は、日本国の戦争犯罪を認めて、「自分たちは間違っていた。
     周囲を冷静に見る目を失って、世界を相手に無謀な戦争などするものではなかった」
     と反省したのである。
     だから、日本国と自分の責任を自覚して受け容れたのだから、だから、彼ら戦争犯罪
     者(ウォー・クリミナル)たちを、いかに「戦勝国側による勝手な裁判だ」と言っても、国
     際社会に向かって称揚するわけにはいかない。

     だから、国際社会(世界)の何たるかを知っている昭和天皇は、東条英機大将ら、
     自分の部下だった者たちを、戦没者慰霊碑(どこの国にもある、国家の鎮魂の公式の
     場所だ。より正しくは、世界基準では「無名戦士の墓」だ) に入れることを是認しな
     かったのである。
     この判断は、日本国内での好き嫌いの議論の問題ではない。世界が許すかどうかの
     問題だ。
                ~ 副島隆彦の学問道場 重たい掲示版 1368 ~



    ここで「アメリカに大きく騙された」、「国際社会(世界)の何たるかを知っている昭和天
   皇」とはどういうことだろう。これらに注目してみよう。
    反東京裁判史観の人々は「戦勝国」とか「敗戦国」とか言うが、彼らは国(国民国家)と国
   の関係性に国際政治をみている。戦争とは国と国の争いとするのは実に表層的な認識で
   あり、深層は実に多面的なものであるのが本質だ。(これについては今回は深く分け入ら
   ない。)副島氏曰くの「世界を知らなかった、読み誤った」とは戦前、戦争を領土、主権、資
   源を巡る争いとだけ捉えていることに起因すると考える。
    この思考から抜け出せない限り、戦争の大義が云々、国際法に準拠しているか等、正当
   性が主たる論点となり反東京裁判史観のようなものが出来あがるだろう。
    戦前、日本は世界を知らなかったが、グローバリズムの時代、そんなことはないと思っ
   たら大間違いだ。
    国連(国際連合)とか言っている時点でもうボタンの掛け違いが始まっているのであり、
   UN(United Nations)がどうして「国際連合」と訳されてしまうのだろうか?
    UNを直訳すれば、「連合諸国、連合国」だろう。
    国際(Inter)はどこにも出てこない。
    戦勝国である連合国が戦後作った世界組織、それが日本でいう「国際連合(国連)」だ。
    UN(日本でいう国連)が、世界が連合国の都合がいいように出来ているのは残念なが
   ら当たり前だというしかない。彼らに都合がよくてもそれが「戦後世界秩序」というものだ。
    そもそもUN(United Nations)を作ることが第二次世界大戦の目的の一つだったろうと
   私は考えている。これと付随するものとして世界通貨をつくることも目的だったろう。
    これはかの経済学者・ケンインズが主張したが、結局、アメリカのハリー・ホワイトが主
   張するドル基軸通貨体制となった。
    これらは戦争を領土、主権、資源を巡る国同士の争いとする思考からは出てこないと考
   える。

    終戦後、天皇陛下の戦争責任は問われないことになった。
    これについても当然だと反東京裁判史観の人々は主張するだろうが、それはあくまで
   「内部」(国内)でしか流通しない言説であって、「世界」は日本のことなど全く意に介さず
   冷徹であったろうと推察される。それでも天皇陛下の戦争責任が問われなかったのはな 
   ぜだろうか?これについても諸説いわれているが、天皇陛下の戦争責任を問わないよう
   に尽力したのはガーター騎士団だといわれている。真偽のほどは藪の中であるが、ネット
   賢人なら御承知のように明治天皇以来現在に至るまで天皇が有色人種唯一のガーター
   騎士団のメンバーであることは事実です。メンバーが危機の時、救いの手を差し伸べるの
   は当然のことだろう。
    イギリス国王ジョージ6世以外ガーター騎士団のメンバーがどうかは定かでないが、
   デンマーク国王フレドリック9世、オランダのウィルヘルミナ女王、ルクセンブルグのシャル
   ロッテ大公妃が昭和天皇に戦争責任を問わないように尽力したと伝えられている。

                                         (つづく)


  
               ガーター騎士団  
               ガーター騎士団の正装をされた大正天皇






 
スポンサーサイト

歴史 | コメント:0 |
<<昭和天皇のご意思 VS 反東京裁判史観 VOL.5 | ホーム | 昭和天皇のご意思 VS 反東京裁判史観 VOL.3>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |