素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

電気の祭典 VOL.3

 

   
     タンスがきてその持ち主が会場にいないわけがない。
     秋田氏に続いて松武秀樹氏のプレイとなった。
     こちらはノイズと違ってどこかメロディーがあって刻々と曲想が変わっていった。
     秋田氏のド・ノイズも宇宙空間に聞こえる音はあんな調子かもしれんが、松武氏の場
    合、ファンタジーの色彩を帯びたスペースミュージックに聞こえた。

    松武3
                     松武 秀樹 氏

   松武1 松武2


     それにしても不思議に思えるのは、一応、譜面があるのだろうか?
     それともすべてインプロビゼーションなのだろうか?
     何せアナログシンセなので音を作り出すまでの作業時間があるわけで、そのタイムラ
    グも計算しているのだろうか?素人考えかもしれんが、そのあたりをインタビューして欲
    しかった。
     アナログシンセサイザーは正弦波(サイン波)を重ねて倍音、不協和音を含む音を作っ
    ていくわけです。

    正弦波

              - 出典 「STEREO SOUND」 NO.99 1991 SUMMER -

   
     御存じの方もあろうかと思うが、ここで基音と倍音についておさらいしましょう。
  
      【倍音】
       楽音の音高とされる周波数に対し、2以上の整数倍の周波数を持つ音の
       こと。音の複合体のうち最も低い周波数の音を基音と呼ぶ。
       楽器の音も正弦波で分解していくと、基音とその倍音の集合体になる。
       (この逆、基音の正弦波と倍音の正弦波を合成していくことがシンセサ
        イザーで現実の音を再現することになる。)
       例えば周波数300HZの音が基音とすると、2倍音(600HZ)、3倍音(900Hz)
       4倍音(1200Hz)・・・・と倍音が存在することになる。
       2倍音、3倍音・・・・で2オクターブ、3オクターブ・・・という音程に符合するが、
       正確にはほんのわずかずれるそうだ。

     同じ周波数の音でも楽器によって音色が違うのは倍音成分が違うからです。
     楽器によっては基音より倍音の方が重要だったりします。
     トランペットはその1例でしょう。

    トランペット倍音
     棒グラフの一番左が基音、順番に2倍音、3倍音・・・と並ぶ。
     3~6倍音あたりが大きなウエイトをしめているか。

              - 出典 「STEREO SOUND」 NO.99 1991 SUMMER -
 

    冨田1
      冨田 勲氏(中央) 松武 秀樹氏(右)       - 撮影 親友 I -            
     
     いよいよ冨田 勲氏が登場して、弟子・松武秀樹氏を交えてのインタビューとなりま
    した。
     宇川・齊藤の両氏が解説する。
     「冨田先生のつくる音は現実の音のモノマネじゃないいんですよ」
     冨田先生  「何・・・?モノマネ?・・・・あのねモノマネはとても重要なんですよ。」
     宇川・齊藤 「あれ?くつがえされました!」
     冨田先生は続ける。「当時はこのシンセをもってしても誰もが普通のポップスにヘ
    ンテコな電子音をつけて演奏していただけ。私はそのデッサンをするために一生懸命
    自然の音を再現、つまりモノマネをしたんです。どうやったら似るか、それはその音を
    必死に聞いて分析しなくてはならない。」  

     この言説は現代でものをつくる人にとって宿命的な命題でしょう。
     小林秀雄「モオツァルト」まで遡ることです。

      モーツアルトは、歩き方の達人であった。現代の芸術家にはほとんど
      信じられないくらいの達人であった。これは彼の天賦と結んだ深刻な
      音楽的教養の贈り物だったのである。
                 (中略)
      ある他人の音楽の手法を理解するとは、その手法を実際の制作の
      上で模倣してみるという一行為を意味した。
                 (中略)
      模倣は独創の母である。唯一のほんとうの母親である。
      二人を引き離してしまったのは、ほんの近代の趣味にすぎない。
      模倣してみないでどうして模倣できぬものに出会えようか。

                   ~ 小林秀雄 著 「モオツァルト」 ~



     現代の芸術はやたら個性的・独創的であろうとします。
     中世だったら「個性」は「異端」とされた。
     個性的・独創的であらんとするは小林秀雄曰くのように「ほんの近代の趣味にすぎな
    い」ことです。
     現代でこの小林秀雄曰くの「モオツァルトの歩き方」の忠実な実践は主に古典芸能に
    見てとれる。能、狂言、歌舞伎、長唄等々。
     形(カタ)を学(まね)ぶことを繰り返さねばならず、変に個性を出そうとすると罵声を浴
    びるか、鉄拳が飛んでくるだろう。

     冨田・松武の両氏も現実の楽器、自然の音をまねぶうちに思わぬところへつれていか
    れた。
     何の手本もなかった冨田氏の思考錯誤は映画「ラジヲの時間」でラジオの効果音マン
    が悪戦苦闘している様を思い起こさせる。苦し紛れから思わぬ効果を生み出したことも
    あるようです。(詳しくは「電子音楽 IN JAPAN」を読まれたし。)
     ノーベル賞をもらうような科学の大発見だって、本来指向した実験が失敗して偶然発
    見されることが少ないない。
     同様なことがアナログシンセにもあるのではないか?

                                   (つづく) 






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