素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

映画 「 神々のたそがれ 」 後編




  〔カメラから覗く「地獄絵」というアート〕

     もう勘弁してくださいというくらい俗悪で修羅の世界なのだが、雨、霧、炎、衣装、小道
    具、美術(オープンセット)、役者の顔・体型で構成される画面は見事というしかない。    
     どうも監督アレクセイ・ゲルマンは画面の隅々まで完璧にコントロールしているようだ。
     
      「ありとあらゆる場面が、アレクセイの手になるドローリングやスケッチに基づい
       て作り上げられました。監督自身の確認を経ずに作られた要素は一つもあり
       ません。」
                          ~ 「神々のたそがれ」 パンフ ~


     さらに彼はエキストラという言葉を嫌い、前景俳優、中景俳優、後景俳優と読んでいた
    そうだ。つまり、主役、準主役ばかりか画面に映るすべての役者を厳選し演出していた
    というわけだ。

神々のたそがれ 1
                             - 出典 「神々のたそがれ」 パンフ ー

     そればかりでなくドキュメンタリー的視点とか批されるだが、私としてはアンジェイ・ワ
    イダ的と思えるあざといカメラとの遊戯もここまで徹底していれば、もはや「様式」といっ
    てもいいのではないだろうか?これはカメラを意識させてカメラなめでフレームイン・アウ
    トしたり、パン、移動撮影して画面構成するゲルマン的演出のことです。
     (このカメラとの遊戯はゲルマンの専売特許ではなく多くの監督が試みていることだ。
      一番洗練されているのが小津安二郎でテオ・アンゲロプロス、黒沢 明、チャツプリン
      等々いるが、淀川長治さんが「アンジェイ・ワイダはあざといのね」と評した時、このこ
      とは指していると解している。)
     背景で回転ドアのように回転する鏡が発する乱反射、カメラがパンすると幕落としなら
    ぬレンガ崩しによって皆殺しの惨劇が広がる、虐殺した人の体から腸が垂れても鼓動す
    る心臓等々。
     あちらもこちらもぬるい画面は一つもなく、印象的な場面がつるべ打ちだ。 

     どうやらゲルマンは、玄人、素人、有名、無名を問わずあらゆる機会を捉えて俳優をオ
    ーディションしていたようだ。 

      こうした俳優たちはさまざまなオフィスや病院や街なかや劇場―― 要するに、
      いたるところ―― で探し出されました。見つけた人々を、頻繁にオーデイション
      してましたね。アレクセイは「演技経験のない者がカメラの前で人間の感情の変
      化を表現できるとすれば、その人物は生まれながらの俳優だということだ。
      単に自覚していないだけで」と言っていました。 

                                  ~ 引用 同上 ~ 
 

     何かこのキャスティングスタンスは「影武者」の頃の黒沢 明に似ているね。
     ゲルマンはフェリーニ、タルコフスキー、ベルイマンと共に黒沢 明もよく観ていたとい
    う。
     目をそむけたくなるような俗悪な「地獄絵」でも画面の隅々にいたるまでのゲルマンの
    こだわりは20世紀の巨匠たちと比肩しうるものであり、昨今の映画には望むべきもない
    ものである。
     ソクーロフの「エルミタージュ幻想」同様、DVDで何度でも見返したいし、その価値の
    ある映画だろう。  



   〔神はプロダクツに宿る〕

     私の記憶が確かなら映画の冒頭で「地球より800年遅れてルネサンスは始まらず~
    アートもなく・・・」とナレーションされた。
     上映がはねてから道すがら親友 I に「Art は芸術と共に技術のことだろう。だからあ
    いつらはルネサンス、科学技術の前に技術がないんだよ。」と告げると頷いていた。
     でも、パンフを見ると結構、細工する技術があるんだよね。

 神々のたそがれ 2
                              - 出典 「神々のたそがれ」 パンフ ー

     こんな細工はあいつらに出来るだろうか?そう思わざるを得ない。
     これは中世から現代までの歴史を承知しているドン・ルマータが作った、若しくは作
    らせたんじゃないかな。そういえば彼はソプラノサックスとリコーダーの折衷型の楽器
    を吹いていたが、アドルフ・サックスがサクソフォン作ったのは19世紀のことだ。
     こんな楽器つくるのも彼らには無理だろう。
     これもドン・ルマータが作ったか、地球から持ってきたんじゃないのか?
     これらの細工を作る技術を見るにつけドン・ルマータが「神」たり得たのはこれらを作
    る技術によるものではないかと思いたくなる。

     それは勘ぐり過ぎ、それとも日本的思考だろうか?
     やはり「神」なんて概念は日本人に馴染まない。
     日本はものづくりの国と言われる。例えば、日本刀を作る技術(鍛造)は西洋には存
    在しないものだ。日本刀作る技術は単なる技術だけでなく精神、美意識、倫理などが
    込められている。
     日本人は汎神論的アミニズムとか言われるが、MIJ(Made In Japan)のプロダクト作
    りの過程に神が宿っているんじゃないか。換言するならものづくりの他にも日本人は
    「~ 道」(どう)を醸成することが多い。だから「神」ではなくて「~神様」とかよく言われ
    るのだ。「野球の神様」、「ラーメンの神様」etc。

     そんなわけで「たたらば製鉄」をモチーフにした映画(「もののけ姫」)の監督、宮崎
    駿氏は映画「ストーカー」を途中で投げ出しても「本質的に自分(日本人)とは関係ない
    さ」と涼しい顔をしていられるのだと思う。

     構想35年、撮影6年、編集5年。
     編集を終え最終ミキシングの際、2013年2月21日、アレクセイ・ゲルマン永眠。
     
                                           合掌

                                               (了)



神々のたそがれ
ゲルマン曰く「映画は本を読むのに飽きた人々
のためにあるものに成り果ててしまった。
そのために、本に書かれている内容を俳優が
物語ってくれるかたちになってしまっている。」  
全く同感。そうではない映画を見せてくれた
アレクセイ・ゲルマンに感謝!






   

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