素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「MAD MAX」 とオーストラリア映画 前編

    
    暑中お見舞い申し上げます。
    あんまり言いたくありませんが、それにしても暑いっすね~。
    あれやこれや記事にしようと浮かんでも暑さで溶けてなくなってしまいます(笑い)。
    人それぞれでしょうが、暑い時は激辛がいいです。
    食事だけでなく映画もそうでありましてハードなバカっぷり満載の「MAD MAX 怒りの
   デスロード」をようやく観てきました。

    6月末ですからだいぶ前になりますが、私は年がいもなく「オール」しました。
    若い人は「オールで遊ぶ」とか言いますが、我々にとって「オール」はオールナイト映画
   のことです。プログラムはオーストラリア映画4本立てです。
    「MAD MAX」の監督、ジョージ・ミラーはオーストラリア出身ですから、まずはこれら4
   本にふれることから始めましょう。
    
   【ピクニックatハンギングロック】

    オールナイトの1本目です。
    これは以前から観たいと思って見逃していました。
    ファーストシーン、重低音が響き渡るなか森とハンギンロックがオーバーラップされた
   瞬間からこれは傑作だと直感し劇場で観て正解だと思いました。
    監督ピーター・ウィアーは「刑事ジョンブック/目撃者 」でキリスト教徒の中でも最もとい
   っていいほど厳格なアーミッシュの世界を描いていますが本作にもその萌芽が伺えます。
    寄宿舎制の女学校の生活は女校長以下厳格に規律が重んじられ、冒頭、お互いにコル
   セットを締め付けあう女学生にその端緒がメタファーされる。
    人間の定めた「規律」など世界の理(ことわり)の前には虚しいものだと言わんばか
   りに3人の女学生と教師はピクニックに出かけたハンギンロックで“ 神隠し ”にあったかの
   如く忽然と姿を消す。失踪事件の謎解きミステリーのようだと思っていると本作は肩透かし
   をくらう。謎解きではなくて、何度も述べているようにキリスト教予定説に呪縛された世界
   観が通奏低音だと思う。それはボッティチェリの「ヴィーナス」のようだと評されたミラ
   ンダのこのセリフに現れている。
    「物事は皆 定められた時と場所で始まり そして終わる」 

  


    多くの人が指摘するようにピクニックする女子学生にソフィア・コッポラ「ヴァージンスー
   サイズ」へと通じるフィルム的感性で表現された女子のたおやかさ、不可解さ、危うさ、
   大胆不敵さががよく描かれていると思う。                                 
    推理小説好きには本作のような謎解きのないストーリーなぞ許せないだろう。
    ミケランジェロ・アントニオーニ「欲望(Blow up)」やニコラス・ローグ「赤い影」が大好きな
   私にとって素晴らしいの一言に尽きます。
    なぜならある程度予想できた孤児セイラの事件はの後、まさか校長が・・・・・。
    ミステリアスな物語は2重に封印されて終わるのだが、今やさらにその先があるのだ。
    実話に基づいたと言われる原作そのものがフィクションであり、失踪事件も女学校もそ
   の存在が確認できないことがはっきりしてしまったからです。
    素晴らしいじゃないか。 ☆☆☆☆☆

              ピクニックatハンギンロック





    【WALK ABOUT 美しき冒険旅行】

    先ほどニコラス・ローグにふれましたが、本作は彼の本格的長編デビュー作です。
    「WALK ABOUT」とはオーストラリアの原住民、アボリニが成人になるためのイニシエ
   ーションとして放浪するこを言う。
    父親の無理心中からあっさりとそれこそ“ 大陸的 ”に難を逃れた姉と弟がオーストラリ
   アの砂漠を放浪している際に「WALK ABOUT」中のアボリジニの少年と出会い道行きす
   る。“ 大陸的 ”といったのは彼らが父親の死に何の感傷も持っていないからです。
    潤沢な自然水に恵まれた日本と違い砂漠の大陸・オーストラリアでは感傷など何の役
   にも立たない。それより自分たちが水を見つける、木陰を見つける、サバイバルすること
   が一番大事。
    砂漠だらけのオーストラリア大陸ではロードムービーは成り立たない。
    何とか水のありかを見つける、紫外線をしのぐ家屋を見つけることが優先するからだ。
    ロードムービーが成り立たないのだから新しい発見や自己への変化は訪れない。
    姉(ジェニー・アガタ)のセリフ、「きちんとした身なりをしていないといけない」にこの映
    画は集約される。結局、彼女は名門学校(?)の制服を脱ぎ棄てることができない。
     砂漠を放浪してもその先を求めることなく帰還する。
     確かにジェニー・アガタがオールヌードでアボリジニの少年と水浴するシーンが印象
    的だが、ほんのかりそめのバカンスに過ぎない。
     出会ったようで出会っていなのだからアボリジニの少女への切ない想いも実らない。

     幻の名作とか思い入れのある方もおられるようだが、10代で観たならともかくいさ
    さか知り過ぎたアラフィフティーの私としてはそれほど響かない。
     (知り過ぎたとは、例えば、ニコラス・ローグがその後、「ジェラシー」で見せるウィー
      ン世紀末的袋小路への反動的前哨として本作が見えてしまうことだ。)

      そういうわけで ☆☆

                           (つづく)                                                                                         
                            

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