素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「1Q84」について VOL.5(その1)



〔Ⅳ 二つの月〕~その1~

 春樹先生が、J・オーウェルの方法論を援用していると以前述べた。
 ダブルミーニング――「Aではあるが、Aであるとも言い切れない」
  ①「スターリン批判であるが、スターリン批判だとも言い切れない」
  ②「(天吾と青豆は)1984年時点に生きているが、
    1984年に生きているとも言い切れない⇒「1Q84年」に生きている」

 J・オーウェルの「1984年」のダブルミーニングと春樹先生の「1Q84年」の関連をがっちり掴んでしまえば、この小説はそれほど難しくない。逆にこのダブルミーニングをおろそかにすると、決定的な間違いを犯すことになる。文芸作品は各人各様の解釈があり、間違いというのは通常ないだろう。でも、決定的な誤読、間違いは許されない。(詳細は後述します)

 この小説は、もちろん単純パラレルワールドものではなく、ダブルミーニングだとうすうす感づいても、いろいろな「二つの月」によってかく乱、幻惑されて、ついに迷宮に陥る。「二つの月」とはもちろんメタファーであって、「二つ」、「ニ重」etc、に関することが至るところに散りばめられて作用しあっている。これらはダブルミーニングより分りやすい場合もあれば、同様に不可解なこともある。

 J・オーウェル「1984年」には、ダブルミーニングの他「ニ重思考」というものが使われる。
 こんな具合だ。

  戦争は平和である。
  自由は服従である。
  過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。

 一見、深遠なる意味があるようで、結局は人々の思考を停止させるための方便なのだ。
 お経のように唱えていると本当に訳がわからなくなる。
 前々節、「親切な春樹先生」と述べたが、この小説は真逆に底意地の悪い小説でもある。ダブルミーニングのみならず、この「ニ重思考」もどきも援用している。論理的にすっきりした「二つの月」と矛盾した「二つの月」を混ぜて分けわからなくしているのだから。

 でも読み終えてもう一度冒頭から検討すると、やっぱり親切かもしれない。

  BOOK1 第1章「見かけにだまされないように」
 
 これももちろんダブルミーニングだ。第一義的には、およそ殺し屋に見えない青豆にだまされないようにということだ。でも、もう一つ意味がある。キャリアウーマン風の女性がストッキングでんせんさせながら、高速の非常階段を降りて行くなんて、まるでよくあるハリウッド映画のシナリオみたいで、何て通俗的なんだろう、村上春樹もとうとうヤキがまわったかと思わされた。

  これも見かけ、フェイクであって、通俗とはほど遠いとんでもないところに我々は連れて行かれる。~だから言ったじゃない、「見かけにだまされないように」と~

                                 (つづく)


 




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