素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

暴論!「 文化大革命 」 を世界記憶遺産に! VOL.4(その2)

    



    さて、石 平氏はなぜ日本人の論語研究に驚いたのか?
    それは「文化大革命」で論語および伝統文化が徹底的に破壊されたからだ。

     毛 沢東の発動した「文化大革命」は文字通り、「文化」に対する革命でもあった。
     中国の伝統文化というものに、「反動的封建思想・封建文化」のレッテルを張った
     上で、徹底的は破壊してしまう、という狂気の「革命」である。
     その中で、孔子の思想は、当然この葬り去る「反動思想」の筆頭に挙げられている。

                   ~ 石 平 著 「私はなぜ 『中国』 を捨てたのか」 ~



    石 平氏は日本で論語を再発見するのだが、子供の頃、祖父が「文化大革命」で弾圧さ
   れていたにも拘わらず「論語」を密かに教えてくれたからこそ“ 再発見 ” できたのだ。
    もっとも中国の場合、清朝時代、儒教を「国教」としながらも同時代の日本、すなわち江
   戸時代の儒学者のような人材を輩出することはなかった。
    日本は明治維新を経て近代日本となってからも儒教は脈々と生き続けた。
    中国は大幅に事情が違う。

     一方のわが中国において、近代という時代は、まさに「打倒孔家店」という過激
     な「革命スローガン」に象徴されるような、儒教の一掃運動とともに始まった。
     中国の近代は、すなわち儒教の受難の時代でもある。特に毛 沢東の共産党
     政権下の暗黒時代になると、儒教を含めた、中国のいっさいの伝統思想と文化
     は、時の権力によって意図的かつ組織的に、徹底的した破壊された。
     儒教の心が窒息させられたのは清王朝の時代であったが、その後、毛 沢東共
     産党の手によって「孔廟」という建物を除いては儒教的伝統というものがまさに根
     こそぎにされ、この中国の地から跡形もなく消え去ったのである。
     そして、今の中国の大地で生きている中国国民こそ、論語の心や儒教の考え方
     からはもっとも縁の遠い国民精神の持ち主であると、多くの中国人自身が認めざ
     るを得ない厳然たる現実なのである。
     少なくても、私自身からすれば世界にも稀に見る最悪の拝金主義にひた走りなが
     ら、古の伝統とは隔絶した精神的貧困の中で、薄っぺらな「愛国主義」に踊らされ
     ている現在のわが中国国民の姿は、まさに目を覆いたくなるような醜いものである。

                                  ~ 引用 同上 ~


   
    その結果、どうなったかというとVOL.4の冒頭で述べたような現代の中国人となったの
   だ。

     「論語の心や儒教の考え方からはもっとも縁の遠い国民精神の持ち主であると、多く
    の中国人自身が認めざると得ない厳然たる現実」―― 失ったの精神的支柱だけでは
    ない。現代中国は歴史的宗教的建築物の多くを失ってしまった。
     その様を石氏は唐代の詩人である杜牧の有名な詩「江南の春」に描かれる風景が現
    代中国には存在しないことを示して説明する。
     「江南の春」は唐代に南北朝時代の南朝の首都・建康(今の南京)の風景、「南朝四
    百八十寺」を想像して歌ったものです。  

      かつて、建康であった南京へは何度も行ったことがあるが、「四百八十寺」など
      はどこにもない。
      80年代までには、いくつかのお寺が辛うじて残されていたが、それも廃寺となる
      寸前の荒廃ぶりであった。90年代後半となると、いわば「市場経済」の氾濫す
      る風潮の中で、それらのお寺は一転して脚光を浴びた。現代風にきらびやかに
      「包装」されていて、いわば観光ポイントの一つとして活用されるようになった。

                                ~ 引用 同上 ~ 


    なぜそうなったかというと「文化大革命」で精神的支柱が破壊され尽くした後、拝金主義
   というか、限りなく純粋に近い経済人だけが中国に残ったからだ。
    石氏に詳細な語ってもらろう。

      そして1949年に、中国の歴史はその運命の年を迎えた。
      この年に樹立されたのは、かの毛 沢東の共産党政権であった。
      それから毛 沢東が死ぬまでの27年間、共産党政権はまさに、その独裁政権
      の持つあらゆる力を総動員して、中国という国の伝統と文化の一切に対する、
      根こそぎの殲滅作戦を組織的に展開したのである。
      いわば「毛沢東邪教」というものを人々の心に植え付けていくために、彼らは儒
      教と仏教と道教など、数千年にわたって中国人の心を支えてきた良き宗教と信
      仰のすべてを跡形もなく破壊し尽くした。長い歴史の中で洗練されてきた、あの
      高尚で優雅な文化的精神世界を、共産主義的野蛮と狂気の歴史の中で葬り去
      ったのである。
      中国という国はこれより、自国の伝統から完全に断然した異質な国となったわけ
      である。言ってみれば、伝統的中国と同じこの国土に、まったく違った一つの「異
      国」が誕生した。中国はもはや、あの「唐詩栄詞」の中国でもなければ、儒教的
      「礼儀之邦」や仏教的信仰世界としての中国ではなくなった。

                                 ~ 引用 同上 ~


    あまり報道されないが、中国人の中では「自分が何人なのかわからなくなる」人が存在
   するそうだ。いや、中国人でしょ、我々日本人と考えるが、精神的支柱と伝統的宗教的建
   物が破壊し尽くされた後、金ピカで安物の出来そこないのテーマパークのようなお寺だけ
   がかの国の国土には残されているのだ。
    共産主義の毒牙に犯された後、 いきなりグローバル資本主義に飲みこまれている人
   たち、それが今の中国人であって軽くアイデンティーの危機にされれてもむべなるかなと
   というものだ。そんな中国人は誰かさんにとってお誂え向きの人達ともいえる。
    

     石氏は京都・嵐山で「江南の春」に遭遇する。
     彼の感銘がいかに深いものだったかと知るにはその時、ドキュメタリー映画を撮っても
    らうのが一番わかりやすいが、そうもいかないことから石氏の修辞に頼ろう。
     石氏の感銘の深さの反射が中国の喪失の深さであることは言うまでもない。

      一面の景色が目の前に広がったその瞬間、私は息をのんだ。
      新緑に抱かれる山々が、乳いろの山麓にかすんでいる。
      山の麓からは、青く澄んだ川の水がゆったりと流れてくる。
      古風な形をもつ一本の橋が、清流の上に優雅にまたがり、川の向こうには伽藍
      らしき屋根が幾つか、煙雨の中でかすかに見ている。
      それはそのまま、一幅の水墨画のような恍惚境であった。
      私はしばらく言葉を失い、二人の連れの存在も忘れた。
      ただ目を細めて、静かに、心ゆくまでうっとりと、目の前の景色を眺めていた。

                               ~ 引用 同上 ~


     我々みは当たり前のように思っていたことが、現代中国人には貴重な宝物なのだ。
     実際、私も護国寺で観光客か留学生らしい若い二人の中国人男性が嬉々として写真
    を撮りまくっている様を目撃したことがある。
     あの時は「お寺くらい中国にもいくらでもあるだろうに」と思っていたが、護国寺のように
    江戸時代(中国では清朝)から続くお寺はもうないのだ。
     石氏はもっと冷徹に言い放っている。

    
     日本もヨーロッパに比べて歴史的町並みを保存しないと言われるが、中国は比較にな
    らないくらい徹底的に伝統的建物を破壊してしまったのだ。
    
     今では帰化したが、石 平氏は「毛 沢東の小戦士」だった。
     「毛 沢東時代の教義となった言説は真実のかけらもない100%のウソ偽り」と断じな
    ければならないほどに19歳の時、彼曰くの「精神崩壊」と共に「転向」を余儀なくされ、
    民主化運動へと挺身する「天安門世代」となった。

     毛 沢東の「文化大革命」が過ちだったと総括されたのだが・・・・・。

     現実の中国はどうだろう。

                         (つづく)



中国捨てたのか








  
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