素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

暴論! 「 文化大革命 」 を世界記憶遺産に! VOL.6 (その2)

    



    毛 沢東がなぜ日本軍に感謝したのか考察する前に、そもそもなぜ昔は「南京大虐殺」
   が問題視されなかったのかを分析しよう。
    その答えは簡単で、毛 沢東存命中は、すなわち「文化大革命」時は、いわゆる「南京
   大虐殺」についてほんとんどの中国人は知らなかったのだ。
    それどころか「文化大革命」時は、「南京大虐殺」をとりあげようものなら「反革命分子」
   とされてしまった。このあたりは歴史通なら御存じだろう。
    中国にだって歴史通はいるはずで、当然、「なぜ、毛 沢東は『 南京大虐殺 』 にふれ
   なかったのか」ネット上で議論になっているそうだ。
    いまだに毛 沢東の正体を知らない中国人民がいくら議論してもこの疑問について正解
   に辿りつくことはできまい。結論から言うと、毛 沢東は日本が中国と戦争することをむし
   ろ歓迎していたというしかないのだ。

     盧溝橋事件の第一報が入ると、毛 沢東は「災禍を引き起こすあの厄介者の
     蒋介石もついにこれで日本と正面衝突さ!」と言い、張 聞天は「抗日戦争が
     ついに始まったぞ!これで蒋介石には我々をやっつける余力がなくなっただ
     ろう!」と言って喜んだという。

              ~ 遠藤 誉 著 「毛 沢東 日本軍と共謀した男」 ~



    北京五輪の金メダリストのインタビューに反応して毛 沢東信仰をあからさまな現代の
   中国国民は「偉大なる毛主席がそんなこと言うはずがない」と決して信じないだろう。
    確かに1937年、陝西省洛川県で開かれた中共中央政治局拡大会議では、「日本帝
   国主義を打倒せよ!」とか「抗日のため団結せよ!」とスローガンを掲げてはいる。

     しかしこれはあくまで人心を掌握するための宣伝文句であって、「日本軍との
     正面衝突を避けよ」という命令が出されていたことを、多くの元中共指導層が
     悪びれることもなく伝記に記している。
    
                                 ~ 引用 同上 ~
 

    日本軍と戦ってきたのは国民党軍であることはつとに知られている。
    そうは言っても八路軍(中国人民解放軍)も国共合作後、少しは戦ったのではないか?                    
    「長征」などといって逃げまくっていた毛 沢東は1940年、八路軍の幹部にこう訓示を
    たれている。        


     中日の戦いは、我が党の発展にとって絶好の機会だ。われわれの決めた政
     策は「70%は我が党の発展のために使い、20%は(国民党との)妥協のために
     使う。残りの10%だけ対日作戦のために使う」ということである。

                                   ~ 引用 同上 ~


    毛 沢東はそもそも「愛国」とか言う言葉は使わなかった。
    この時代、「愛国」とは国民党の「愛国」を指すからだ。
    さらに、今日、中国が常に問題視する日本の歴史認識にはふれずじまいだった。

     毛 沢東は一度も日本に歴史問題を突きつけたことはないし、また生きている
     間、ただの一度も抗日勝利記念日を祝ったことがない。
     中国が歴史問題を論じ始めたのは、毛 沢東が逝去してから数年経ったあとの
     ことでるある。それまで中国人民は「南京大虐殺」に関してさえ、広くは知らさ
     れていなかった。

                                   ~ 引用 同上 ~


    これは歴史的事実であるが、中国人のみならず日本の歴史家もなぜそうなのか明確な
   根拠を示したことはかつてなかったのではないか?
    毛 沢東は国民党を滅ぼし、共産党独裁を確立するため日本軍を利用してきたし、戦後
   も日本の元軍人を歓迎してきた。
    戦後の日本軍元軍人歓待も台湾(国民党)ではなく中共を日本に認めさせ、ひいては国
   際的に中共こそ「中国」とするためのものであった。
    遠藤女史は「我、皇軍に感謝す ― 元日本軍人を歓迎したわけ」と一章を設けて詳述し
   ている。(これについては別稿に譲ります。)
    
    毛 沢東がなぜ「南京大虐殺」についてふれなかったか、いや、ふれるわけにいかなか
   ったのか、もうおわかりだろう。毛=人民解放軍は日本軍と戦わなかったばかりか、戦中
   戦後と利用してきたことから「南京大虐殺」を問題視することなど出来るはずがないのだ。

    さて、国共合作の相手方、国民党の蒋 介石は中共をどう捉えていたのだろうか?  
    共産主義者だから忌み嫌っていた?彼はネトウヨではないし、さらに日本軍と戦ってい
   たのだからそんなこと言っていられない。
    1923年、孫文の命をうけて蒋 介石はモスクワに赴いた。
    彼はイデオロギーとは別の見方で中共の背後にいるコミンテルンの怪しさ、その正体
   を見切っていた。
     
     コミンテルンは、きれいごとばかり言って、実は国民党を利用して中国共産党
     を強大化させようともくろんでいるのではないかと見抜くのである。このとき蒋
     介石は、「寄生虫」、「ヤドカリ」といったイメージを、中国共産党と、それを後ろ
     であやつるコミンテルンに対して抱くのだ。

                                   ~ 引用 同上 ~


    彼の悪い予感は的中し、国共合作しているのに中共軍によって南昌が制圧されている
   様をみるにつけ、中共軍を叩くための諜報組織、AB団(Anti‐Bolshebik)を組織するに
   到る。 
    国共合作後の事態の推移は、たまたま仲間割れしたとか、途中で気が変わったとかい
   う問題ではないのだ。中共にとってそれはコミンテルンから指示された当初からのアジェ
   ンダだったのだ。


     このままでは中国に共産主義を打ち建てることなど何十年先になるかわから
     ない。まずは絶大な力を持っている孫文が創設した国民党に「寄生」して、
     そこから発展していくしかないのではないかと、コミンテルンでは大変な論議
     が行われていた。その結果、国民党に「ヤドカリ」しながら国民党を内部から
     切り崩し、「宿主」の中で共産党が大きく成長していくことにしようという「陰謀」
     が決議されたのだ。そのためコミンテルンでは、まずは孫文を説得するための
     手順から始まり、「ヤドカリ」を始めたあとの共産党員の動き方まで、緻密に検
     討してから孫文の説得に取り掛かった。

                                   ~ 引用 同上 ~



    「ボルシェビキ」、「寄生」と何となくキーフレーズが出てきましたね。

                                     (つづく)



遠藤 誉 毛 沢東
本年度新書ベスト1はこの本だと思います。






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