素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「1Q84」について VOL.6(その2)




〔Ⅴ 1Q84〕~その2~

  「(・・・前略)しかしこの現実の一九八四年にあっては、ビッグ・ブラザーは、あまりに有名に
   なり、あまりにも見え透いた存在になってしまった。もしここにビッグ・ブラザーが現実に現
   れたら、我々はその人物を指してこう言うだろう、『気をつけろ。あいつはビッグ・ブラザー
    だ!』と。
   言い換えるなら、この現実の世界にもうビッグ・ブラザーの出てくる幕はないんだよ。
   (後略・・・)」

        -BOOK1 第18章「もうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない」 p422-

  若手論客(将来ある方なので名前は伏せよう)は、この一節を引いて、「この現実の世界にもうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない」とするのは、春樹先生の認識不足である旨、説いている。
  残念ながら、この方は春樹先生の仕掛けたワナにまんまと引っ掛かっている。
  こう、はっきり書いてあるよ。

   ビッグ・ブラザーはあなたを見ている。

                         -BOOK2 第23章 p473-

  繰り返すが、文芸作品をどう読もうと各人の自由であり、これが正解というものはない
 だろう。だが、決定的誤り、読み間違いは許されない。
  なんで、この方がこんな誤りを犯したかは2つの理由による。

   ①お若いが故に1984年、80年代をリアルに体験していないため。
   ②「1Q84年」というダブルミーニングについて切り込まなかったため。

  
  お軽く、おバカな80年代に青春を過ごした者から言わせてもらえば、80年代においては引用部分のように考えるのが普通のことだと思われる。私が1984年にJ・オーウェルの「1984年」を読まなかったのも同様の理由だ。「何を今さら・・・」とわかってもいないのにわかったフリをしていた。

  引用部分は、作者が登場人物(戎野先生)に言わせている訳だが、彼は「1984年」の住人である。この点を押さえておこう。
  
  次に「1Q84年」のダブルミーニングについて考察しよう。
  小説「1Q84」は、90年代に最初の構想があったかもしれないが、書き上げられたのは、間違いなく21世紀です。「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている」は、青豆の心情なのか、地の文章(春樹先生の言葉)なのかよくわからない。いずれにせよ、第1義的には、21世紀時点の発言とも解することができる。でも、それはチト変であり、メタ「メタフィクション」で文字通りフィクションをメタメタしても、この小説はあくまで1984年に起こった物語だ。(スイマセン、オヤジギャクでした)とすると、「ビッグ・ブラザーは~」は青豆の心情であり、彼女は「1Q84年」に住んでいるのだから、この発言は「1Q84年」の住人の発言だということができよう。ここも押さえておこう。

  でも、「1Q84年」の世界とは青豆と天吾の過酷な純愛物語の方便ではなかったのか?
  せっかく、11、13章ですっきりしたのに、また逆もどりだ、「2つの月」の世界に。
  「2つの月」といえば・・・。

   「しかしここにいるすべての人に二つの月が見えるわけではない、いや、むしろ
    ほとんどの人はそのことに気づかない。言い換えれば、今が1Q84年であることを
    知る人の数は限られているということだ」

                       -BOOK2 第13章 p272-

  やはり、一九八四年時点でも、「1984年」に住んでいる人と「1Q84年」に住んでいる人が
 いるわけだ。でも、・・・・・。

  もう、すべてを総動員させないと、小説「1Q84」の奥の院には辿りつけないことがおわかりだろう。
  反「親切な春樹先生」、反「やさしい日本人の小説」、小説「1Q84」にならっていうなら、反「小説『1Q84』」モーメントを駆使し、BOOK2、第23章をクラッシュさせることによって、「1Q84年」及び小説「1Q84」はダブルミーニングであり、入れ子構造となっており、さらにその外に「見えない小説」が存在することが明らかにされる。つまり、

  ○「1Q84年」はダブルミーニングであり、過酷な純愛物語を成立させるための方便で
   あるが、もう一つの意味がある。
 

  ○小説「1Q84」は入れ子構造になっており、その外側に
   「見えない小説」≒「見世物の世界」≒「(いつの時代かわからないが)現実」が存在する。


                               (「最終回」につづく)




V フォーバンデッタ

                古典的ビッグ・ブラザーが登場する。
                ウォシャオスキー兄弟が本作をプロデュース 
                したのは「マトリックス」の種あかしのため?

                それにしても・・・。
                ビッグ・ブラザーの犬、検察、マスゴミに
                この映画のラストのようなことできないかな。




   


スポンサーサイト

文化 | コメント:0 |
<<「1Q84」について VOL.6(その3) | ホーム | 「1Q84」について VOL.6(その1)>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |