素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

Reboot 「デヴィッド・ボウイ」 VOL.8

   



   〔運命だった「戦メリ」への出演〕

    デヴィッド・ボウイはロックスターであるのと同時に映画俳優でもある。
    「地球へ落ちててきた男」、「ハンガー」、「ジャストジゴロ」等あるが、代表作は「地球に落
   ちてきた男」と「戦場のメリークリスマス」だと思う。
    (「地球に落ちてきた男」のラストシーンは邦画洋画問わず、私にとってオールタイムベス
     ト5に入ります。) 
    この世のものとも思えないボウイの美しさを体現した映画が「地球に落ちてきた男」だと
   するなら、今からすると肉付きの面となった「デヴィッド・ボウイ」というペルソナから垣間見
   える「デヴィッド・ロバート・ジョーンズ」(本名)をも含めた映画、すなわち運命の映画が「戦
   場のメリークリスマス」(以下、「戦メリ」と省略)だろう。
    なぜ、「戦メリ」がデヴィット・ボウイにとって運命の映画なのか、幾つかの要素に分けて
   述べていこう。

     【幼少の頃からの日本への関心】

      いくら「戦メリ」の題材、ストーリーがボウイの琴線にふれたとしてもそもそも日本や日
     本人に興味がない、若しくは毛嫌いしていては「戦メリ」出演はない。
      「戦メリ」は日本軍の捕虜となった英国軍人のストーリーだが、「猿の惑星」も原作者
     ピエール・ブールの日本軍への捕虜体験に基づいてものです。ブールにとって日本人
     はイエローモンキーだったから猿(日本人)に支配される人(白人)という「猿の惑星」が
     生まれた。ボウイが日本人に対して同様だったらこの映画出演はそもそもない。
      彼の日本への関心は少年の頃からのものだった。

       まず、日本と東洋に彼は興味を抱いていた。
       「デヴィッドは武術や東洋のものにたいへん魅かれていた。」
       とダドリーはいう。デヴィッドは目を輝かせて日本の話をしていた。

        ~ ピーター&レニ・ギルマン 著 野間けいこ 訳
           「デヴィッド・ボウイ 神話の裏側」 p52 ~


      日本のみならず、もちろん大島 渚の「愛のコリーダ」を彼が気にっていたことは言う
     までもない。


     【ボウイと義兄・テリーの関係と将校セリアーズと弟の関係との相似形】

      デヴィッド・ボウイのファンなら彼の義兄・テリーが精神病院に入ってたことは承知し
     ている。ボウイが義兄・テリーと疎遠になってしまったことは既に述べたが、そればか
     りかボウイはテリーの葬式にも出ていない。(テリーが死んだのは「戦メリ」の後だ。)
      二人は初めから仲が悪かったかというとそうではなく事実は真逆なのだ。

       当時、家のなかでもっともいい関係を保っていたのは、デヴィッドと
       テリーだった、パットはいう。二人は1階の寝室を共有し、寒い朝な
       どデヴィッドがテリーの布団にもぐり込むこともあった。
       「彼はテリーを崇拝していました。そしてテリーは彼を溺愛していま
       した」とパットはいう。
                            ~ 引用 同上 p41 ~


      一方、ボウイが演じた「戦メリ」のセリアーズと弟はどういう関係だったろう。
      下校の道すがら弟が悪ガキどもにいじめられそうになるとセリアーズは自らの身を挺
     して弟を守った。それにも拘わらず弟がパブリックスクールで新入生のイニシエーショ
     ンとしてのイジメにあっている時、見て見ぬふりをした。美しいボーイソプラノだった弟
     はそれ以後、二度と歌わなくなってしまった。
      「罪の意識」と「悔恨の情」にかられるセリアーズは軍隊を志願する。
      仲のよかった兄弟が疎遠になる、現実世界では少なからずあり得る。
      経緯は違うが、ボウイと義兄・テリー、セリアーズと弟、「罪の意識」と「悔恨の情」とい
     う点では通じるものがある。しかもボウイは少年時代、合唱隊に入っていたのだから。
      どうも私の単なる思いすごしではないようだ。カンヌ映画祭でボウイはインタビューに
     答えている。
 
        ぼくはセリアーズのなかに、ぼく自身にもある罪の意識と欠点を見
        つけたんだ。家族とはかなり離れてしまったことにとても罪悪感が
        ある。母にはめったに会わないし、もうまったく顔を会わせない義兄
        がいる。こんなに離れ離れになってしまったのはぼくのせいで、心が
        凄く痛むよ―― それでももうもどる道はないんだよ。 
        
                            ~ 引用 同上 p457 ~

   

     【受勲した職業軍人、ジェイムズ・エドワーズ・バーンズの血脈】

       映画というものは「神話作用」を伴うものです。
       リアルタイムでは、話題になった程度、若しくは全くの不人気でも「神話作用」はつ
      いてまわる。話題になって人気作はそのまま一時のブームとして忘れさられるか、
      さもなければ「名作」として語り継がれる。全くの不人気でも「カルト」して甦る場合も
      あります。これらはどちらも「神話作用」に他ならない。
       今でこそ「戦メリ」のジャック・セリアーズ少尉役=デヴィッド・ボウイで何ら違和感な
      く、むしろこの配役しかないが如くだ。
       リアルタイムで「戦メリ」観た私としては、当時、「あのやさ男のデヴィッド・ボウイが
      軍人役やるの?ボウイが軍人なぞ興味あるのかしらん。よく引きうけたな、やっぱ監
      督が大島 渚だからな」程度のものでした。多くの人同様、そんなことは忘れてしま
      い、やはりジャック・セリアーズ= デヴィッド・ボウイで定着していました。
       この評伝を読んで確信したのですが、ボウイはむしろ職業軍人の役だったからこ
      そこの役を引きうけたのです。いくら子供の頃から日本に関心が高くても、監督が大
      島 渚であっても、罪の意識の映画であっても職業軍人の役でなければ引き受けな
      かったかもしれないと思えてならない。
 
       彼の祖父、ジェイムズ・エドワーズ・バーンズは真偽の程は怪しいのですが、受勲し
      た名誉ある職業軍人でした。「このストーリーは、何代にもわたって、彼の家系で語り
      継がれ60年以上たった今でも話題にのぼっている」程であって、ファミリーヒストリー
      の中で核心中の核心の物語であります。

        ジミー(ジェイムズ)・バーンズの英雄的行為は、バーンズ家の神話で
        強力な位置を占め、困難に出合った時の頼みの綱としての役割を果た
        していた。マーガレット・バーンズにとっては、辛い運命に直面した時に、
        家族を守る武器ともなったのだ。

                        ~ 引用 同上 p18  ( )内加筆 ~
        

       ボウイもこの「英雄譚」を信じていたのでしょう。
       だからこそ「罪の意識」を「栄誉」で塗り替えようとしたジャック・セリアーズ役にボウ
      イは魅かれたのだと思います。そしてジャック・セリアーズという役を演じることによっ
      て「デヴィッド・ボウイ」というペルソナは図らずも肉づきの面となったのです。

       因みに、セリアーズの役はロバート・レッドフォードやニコラス・ケイジが断ったから
      こそデヴィット・ボウイにお鉢が回ってきたのです。これもボウイの運命が引き寄せ
      たものでしょう。

      ここまでジャック・セリアーズ=デヴィッド・ボウイだとまるで大島 渚はボウイのバ
     イオグラフィーを調査してキャスティングしたが如くです。
      もちろん、そんなことはなく大島 渚の炯眼と運命のいたずらによるものです。
      でも、「地球へ落ちてきた男」の脚本家・ポール・メイヤースバーグをスタッフに加え
     たことは大島 渚の手腕です。
      デヴィッド・ボウイのみならず義兄・テリーのことも少し知っていたメイヤースバーグ
     にはボウイに合わせて脚本を書いていたことが伺える。

       「戦場のメリークリスマス」の台本は、デヴィッドが役をを引き受けた時点
       では完成しておらず、ポール・メイヤースバーグはデヴィッドの個性に合う
       ように作り上げることができた。
       「たしかに彼を頭に描いて書いた。デヴィッドが口にしそうな台詞を書いた
       し、半ば意識的に彼に合うように変えたところもある」とメイヤースバーグ
       はいっている。
       メイヤースバーグは、デヴィッドが嬉々として演じるだろうとわかっていた
       ので、ヴァン・デル・ポストの小説にないマイムの場面を加えた。
       デヴィッドが喜ぶような「イギリス臭さ」も多くしたし、デヴィッドが好むだろ
       う意味合いを持つある台詞を書いた。セリアーズがその経歴を尋問された
       時に、捕えた側の人間たちにいう言葉、「私の過去は人には関係ない」が
       それだった。

                             ~ 引用 同上 p457 ~


     「戦メリ」との出会いもジョン・レノンとの出会い同様、デヴィッド・ボウイにとって☆だっ
    たろう。長々と述べてきたが、この評伝を読んでも結局、
    「デヴィッド・ボウイ ~ ★から☆になった男 ~」で述べた結論は変わらないし、むしろ
    補完された。ただ、「黒い太陽」は錬金術で「物質の腐敗・混沌状態、死と闇の状態」で
    あると同時に「復活と光の母胎でもある」そうだ。子供の頃から仏教に興味があり輪廻
    転生を信じていたボウイにとって死を目前とした来世における転生の前段階のシンボル
    としての「黒い太陽」だともとれる。
     ボウイの変遷、「★」のPVの動画を見ると、悪魔崇拝のシンボルとしての「黒い太陽」
    とも解せるのだ。ボウイはジョージ・オーエルの作品(1984年)をモチーフにしてアルバ
    ム(ダイヤモンド・ドックス)を作った人ですから、当然、ダブルミーニングでしょう。

     音楽そのものついて少しも述べてきませんでしたが、わたし的には「世界を売った男」
    や「アラジン・セイン」あたりが好きかな。あの時代、あんまり整音されていない録音で
    実にいい。

     最後に親友 I が送ってくれた「戦メリ」公開後、来日したデヴィッド・ボウイの動画を貼っ
    ておこう。彼曰く、「こんな豊かな時代があったんだね」だが、その通り。




     「他者」への非寛容と排除の時代の今こそ 「戦メリ」は見直さるべきだと思う。

                                            (了)







   













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