素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「 京都新聞 」から (シェイクスピアはペンネーム!? 前編)

     



     京都旅行の際、ホテルの新聞は「 京都新聞 」をオーダーした。
     全国紙はほとんど読まない私ですが、地方紙は面白いのではないかと思ったから
    です。

     1面に哲学者・梅原 猛氏が寄稿していてシュイクスピアについて自説を展開してい
    た。同氏は「ヤマトタケル」、「オグリ」と歌舞伎の劇作をものしているのだが、劇作の
    勉強のため齢(よわい)90を過ぎて今、はじめて真剣にシェークスピアを読んでいると
    いう。実に正直な方だ。まともに読んでいなくてもこれくらいの大家になれば誤魔化せ
    ばいいのにあっさり告白している。
     かく言う私も「マクベス」、「リア王」、「ハムレット」、「オセロ」、「から騒ぎ」くらいは映
    画、演劇で観ているが、まともに原作は読んだことがない。今からでも遅くはないとい
    うことだ。軽く勇気づけられる。
     
     年を重ねないとわからないことも少なくないのだが、同時にいろいろ知ってしまったが
    故にどうもストレートにフィクションに入っていけないという側面がついてまわる。
     私の場合、或る意味「フィクションの死」という事態に立ち向かわざるを得ないというと
    ころまで行ってしまったのかもしれない。
     さて、「 ウィリアム・シェークスピア 」 という固有名詞が 「 人物 」 を指すものではなく、
    「 ペンネーム 」 だったという説をご存知だろうか?
     ご存知の方はいまさらかもしれないが、これはかれこれ200年以上喧々諤々、議論
    されていることなのだが、“ 正統 ” 英米文学者はこれを完全に無視する。
     そんなことでシェークスピアの文学的、演劇的価値が変わるわけではなく、それより重
    要なことはシェークスピアのテクストそのものだということだろうか?

     有名だから実像が定まったものとするのは如何なものだろうか?
     本邦でも東洲斎写楽とは何者だったかを巡ってさんざん推理されてきた。
     
     初代歌川豊国、歌舞妓堂艶鏡、葛飾北斎、喜多川歌麿、司馬江漢、谷文晁、
     円山応挙、歌舞伎役者の中村此蔵、洋画家の土井有隣、戯作者でもあった
     山東京伝、十返舎一九、俳人の谷素外等々。

     現在、写楽の正体は、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者、斎藤十郎兵衛で決
    まりといっていいだろう。
   
  
     もう一人、有名なるが故に疑念を挟む余地がないと思われているのが西郷隆盛だ。
     彼については「歪められた歴史」と 「大河ドラマ 『 八重の桜 』 の隠された新傾向 」
    述べたことから繰り返さないが、もう一度写真を見比べてみよう。

      西郷隆盛 キヨソーネ西郷菊次郎
            偽・西郷隆盛             息子・西郷菊次郎    


       永山弥一郎吉川 西郷
        影武者・永山弥一郎           西郷役の吉川晃司さん


     本物の西郷隆盛は息子・西郷菊次郎、影武者・永山弥一郎のようなベース型のエラ
    の張った輪郭の人物だったのだ。
     ずばり、フルベッキ写真の人物としている人もいるが、私はそこまで断定しない。
     
     有名だからといっても、少し調べればその相貌はにじんで怪しいものとなってくる。
  

     本論に戻ると、「シェイクスピア=ペンネーム説(別人説)」はWIKIでも確認できるこ
    とで、「ウィリアム・シェイクスピア」とは別項目となっているほどだ。
     別人説の代表的なものとしてこんな人物が挙げられる。

      ① フランシス・ベーコン

      ② クルストファー・マーロウ

      ③ サー・ヘンリーネヴィル他多数

    結論からいうと、私はこれらのすべてだと考えます。
    中に怪しい別人候補のいますが、これは「シェイクスピア」の正体がばれては困る人達
   の撹乱作戦でしょう。
    シェイクスピア別人説の根拠はいろいろあり、それぞれ反論もあり答えが出ない。
    それより私はチャップリンのこの言説を支持する。

     「天才の作品のうちにも、どこかしら に卑賤の出自が顔を出すものだ。
      しかし、シェイクスピアの作品にはそうした兆候が まったく見出せない。
      シェイクスピア作品を書いたのは、それが誰であれ貴族的な人物だ 」

    つまり、「ウィリアム・シェイクスピア」という名前で知られる人物は王侯・貴族の出では
   ないかという仮説が成り立つ。巷間喧伝される、「ウィリアム・シェイクスピア」という人物
   は裕福とはいえ中産階級の出であって王侯・貴族ではない。
    チャップリン曰くのように「生まれ育ち」は長い間、膨大な著作をものしていれば、いくら
   言葉を選んで王侯貴族のことをお勉強しても覆い隠せるものではなく必ず文章の端々に
   出てしまうものだ。
    チャップリンの視点に立てば、貴族の出のフランシス・ベーコンは「ウィリアム・シェイクス
   ピア」の有力な候補となります。

    フランシス・ベーコンは誰がどう見ても当時随一の知識人であることから「ウィリアム・シ
   ェイクスピア」たり得るでしょう。
    (フランシス・ベーコン説のより具体的な根拠については資料をあたって下さい。
     本稿では省略します。)

                                    (つづく)






      
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