素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

イギリス紀行 ロンドン後編

    



    「Good Vibrations」は、単にホップなヒット曲のように思われるかもしれないが、ブライア
   ンはこの曲に途方もない時間をかけて多重録音している。 
    いわゆる「Beach Boys」全盛の頃より、「Pet Sounds」以降のブライアンの方が重要な
   のであって、村上春樹氏は「陽光、大波、金髪美女、スポーツカー」にシンボライズされる
   「Beach Boys」が南カルフォニアの神話的アイコンとして輝いたのは数年にすぎないとして
   うえでこんな一文をよせている。

     「ペットサウンズ」以降のビーチ・ボーイは、より普遍的なものごとにアプローチした、
     「アメリカン・ホームメイド・ブログレッシブ・ロック」とでもいうべき独特の音楽スタイ
     ルを追求してきた。しかしそのようなブライアンの作業は、その音楽的コンセプトは、
     明らかに時代に先行したものだった。「罪のないサーフイン・ミュージック・バンド」と
     いう烙印は、彼らに終生つきまとうこととなった。そして人々に無理解は、ブライアン
     の心を深く傷つけ、現実逃避を目的としたドラッグの乱用へと向かわせ、彼の人間
     性の多くの良き部分を損なっていった。
     ブライアンは孤独だった。彼の頭の中には、表出するべき音楽のアイディアとサウ
     ンドが常に満ちていた。それは彼の存在の中枢から自然にあふれ出てきた。
     そういう意味ではブライアンはシューベルトのような、ナチュラルなタイプの音楽家
     だった。本質的に美しいものを追い求め、思惟よりは、直観を重視する音楽家だった。
     そしてシューベルトと同じように、自らの才能を実務的に制御することの不得意な  
     タイプの音楽家だった。傷つきやすく、無防備だった。そのおかげで、彼は自信と
     失望のあいだを、前進と自己破壊のあいだを、秩序と混沌のあいだを、不安定に
     行き来することを余儀なくされた。
 
      ~ 村上春樹 著 「意味がなければスイングしない」
           ブライアン・ウイルソン 南カルフォニアの神話の喪失と再生 ~
 

   
    確かに途方もない多重録音をコンピューター打ちこみのない時代、一人スタジオで繰り
   返す様は「ホームメイド」であり、多彩で多重構造の音響は「プログレシッブロック」とも言
   えるだろう。
    「Pet Sounds」はよくビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」と
   比較される。     
    ブライアン・ウイルソンとレノン/マッカトニーはお互い意識していたのであり影響しあっ
   ていた。ポール・マッカトニーはこのコンサートのパンプにこんな一文を残している。
  
      Pet Sounds was one of the greatest albums of the 20th century
      and Braian Wilson’s compositions and haramonies along with The
      Beach Boys created a work of sheer magic.
   
    先日、ロンウッドがホストしている音楽番組でポール・マッカトニーはこう語っていた。
    「ブライアンと一緒に「God only Knows」を歌う機会があったのだが、感動し過ぎて
     (キー)外してしまった」と。

     ブライアンウィルソン パンフ

       Eric Clapton、Elvis Costello、Art Garfunkel、Linda Lonstadt、
       Billy Idol、Daryl Hall、Carole King、Elton John、Alice Cooper、
       George Martin、Eric Carmen、Billy Joel、Lindsey Buckingham等々
       がコメントを寄せている。


    私はブリアン・ウィルソン再評価後から「Pet Souds」を聞いたのだが、初期「Beach boys」
   からリアルタイムでずっと聞いていた村上氏は「悪くない。ぜんぜん悪くはない。でもあの
   ハッピーで、スムーズで、スインギーな、僕のビーチ・ボーイズはいったいどこへ行ってし
   まったんだ?」と思ったという。
    有名すぎることだが、ビーチボーイズのメンバーにすら理解されず、「犬にでも聞かせる
   のか?」と言われた。私は最初聞いた時から何の違和感もなくすんなり入ってきた。
    試しに後輩に「Pet Souds」の謂われを語りつつ聞かせたが、これまた特に違和感がな
   いという。つまり、我々は「Pet Souds」の“ 子供 ”か“ 孫 ”をどこかで聞いているのだ。
    バルトークの弦楽四重奏をリアルタイムで始めて聞いた人は「何じゃこりゃ?」と思った
   に違いない。この楽曲も私は何の違和感もないし、楽曲の音楽的アイデイァが豊富で聞き
   飽きない。これまた、我々はどこかで既にバルトークの“ 子供 ”か“ 孫 ”を既に聞いている
   のだ。試しに映画「サイコ」でジャネット・リーが会社の金を横領して車で逃げるシーンにバ
   ルトークの弦楽四重奏をかぶせてみればいい。何の違和感なくピタリとはまるから。
    この映画の音楽担当、バーバード・ハーマンはバルトークの“ 子供 ”か“ 孫 ”だろう。
    天才の仕事とはそういうものだ。
    ブライアンを天才という人は多い。彼の仕事は「時代」を超えているのだ。 

    
    さて、帰国後私は「やはり『 Pet Souds 』 とは縁があるな」と思っていたが、それが何だっ
   たのか村上春樹氏の著作を再読して鮮明になった。    
    私には彼以上の文章書けないので引用する。

     「アメリカには第二章というものは存在しない」と、かつてスコット・フィッツジェラルド 
     は書いた。しかしブライアン・ウィルソンの人生には、第二章が紛れもなく存在した
     のだ。

            (中略)

     長く続いた荒廃した生活は、彼の中の何かを確実に破壊してしまったように見える。
     そしてその声には、若いころのあのスィートな張りはない。多くの貴重なものが失わ
     れてしまったのだ。しかしそれでも、ブライアンの歌は確実に、聞くものの心を打つ。
     そこには人生の「第二章」だけが持つ、深い説得力がある。

                             ~ 引用 同上 ~ 
              

    最初にこの本を読んだ時はさらりとやり過ごした一節だが、今読み返してみると「ズシリ」
   と胸に響く。「Pet Souds」を最初に聞いた時、私は「第二章」の扉に手がかかるか届かない
   かという時だった。
    今回、イギリス旅行でブライアン・ウイルソンの「Pet Souds」に再会して「第二章」の扉は
   完全に開き、もう歩み出していることがわかった。
    誰でもその気になって探せば「第二章」は必ずある。
    
    今回、旅日記という極私的なことでさぞかし退屈しただろうが、「第二章」を向かえた時、
   海外旅行すると私同様、きっと何か見つかるはずだという言葉をもってこの旅日記の結び
   とします。

                                                  (了)




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