素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

相模原19人刺殺事件に透けてみえる「現在」 前編

    



    御存じのように相模原の障害者施設で19人が刺殺(合計45人が殺傷)される痛ましい
   事件が起きた。身障者としてこの世の生を受けあのようなむごたらしい最後を向かえるよ
   うになった彼らが気の毒でならない。
    障害の程度にもよるが、私が営業マンやっていた20数年前に見聞した範囲では自宅
   で障害者をみている人が多かったように思う。子供は成長し未来があるから親は多少の
   苦労も飲みこめる。成長の見込みがなく未来も見えない子供を見ることはいかばかりの
   ものだろう。
    そんな環境にありながらある母親は気晴らしに外出して飲んでカラオケ行って騒ぐのか
   と思ったらさにあらず。また、別の身障者ケアのボランティアをやっているのだ。
    「この人の母性はどこまで深く、どこまで人間が出来ているんだ!」と驚嘆する以外に
   なかった。
    私が尊敬する高校の先輩はアメフト部への勧誘や学生時代の多くの可能性をすべて捨
   てて身障者のボランティアをやっていた。卒業以来2回しか会ったことがないので風の噂
   でしかないが、彼が身障者見ている時の写真は心の底からの笑顔だったという。
    今でもやっているかは定かではないが、就職してからしばらくは身障者のボランティア
   やっていた。「まあ~、私などとは人間の出来が違う」とひたすら感服するしかない。
    身障者ではなく発達障害だが、映画「レインマン」のレイモンド・ハビット(ダスティン・ホ
   フマン)のようなサヴァン症候群を持つ人も中にはいる。大江健三郎氏の長男、音楽家
   光氏も一種のサヴァンなのだろうか?
    親が地位も名誉も実力のあるが、子供が身障者、発達障害であったりする組み合わせ
   は意外にあったりする。親子関係のみならず他人との関係まで含めると、例示した前記の
   二人は共に本人は地位も名誉も実力もある人達だ。
    こういう組み合わせの場合、聖性させ帯びた美しい世界だ。
    ところが現実はそうは甘くない、これらの真逆でどうしようもなく最低の一例が今回の事
   件だろう。


              静かな生活
               伊丹作品では珍しく興業的に振るわな
               かった作品。渡部篤郎の怪演と共に
               私は結構好きだ。
   


    さて、私は基本的に殺人事件は記事として取り上げない。
    特にセンセーショナルな猟奇的事件はなおのこと記事にしない。
    なぜかというと、これら事件の“ 犯人捜し ”しても虚しいからだ。
    ここで “ 犯人捜し ”とはなぜそうなったか、何が悪いのか、過失・不手際を探し出すこと
   のことだ。
    私の記憶が確かなら90年代まではこれらセンセーショナルな事件の “ 犯人捜し ”が行
   われていた。必死の探索の結果、「犯人」が見つかるかというと、結局、霧の中なのだ。
    当時から私は友人らに“ 犯人捜し ”は不毛だから止めればいいと言っていた。
    なぜそうかと言うと、近代化達成した、経済的近代化を成し遂げた国では精神病と理由
   なき殺人がついてまわるからだ。もちろん、事件の背景を探ることは意義があり必要なこ
   とだ。
    だからと言って「これが犯人です」と断定してもどうしても腑に落ちない部分が残る。
    「なぜ存在するかではなく、そういう人が存在する」と考えるしかなく、それが妥当な落と
   し所だろう。近年はマスゴミもそう割り切ったスタンスが定着してきたと思う。
    「我こそは犯人捕まえた!」と拳を突き上げる知識人、専門家は少なくなってきた。
    酒鬼薔薇聖斗にしろ、少し前の「単純に人が殺してみたかった」という知能の高い女子
   にしろ精神分析的な解釈と試みただけではどうしても割り切れない部分が残ると思うのは
   私だけでしょうか?
    「そういう人が存在するのだ」と解することが現代の知恵というものだと思う。


    今回の殺人事件は殺傷者の数では衝撃的だが、酒鬼薔薇聖斗や「単純に人を殺してみ
   たかった」女子に比べれば、それほど重大でも不可解でもないと思う。数年前、秋葉原の
   ホコ天にトラックで突っ込んだ無差別殺人よりは注目すべき事件ではあるが。
    
    基本的には取り上げないとしながらも敢えてこの事件に注目し取り上げた理由は、スト
   レートなばかりではないが、この事件に久しぶりに「時代」が透けてみえるからだ。
    犯人、植松某は背中に刺青を入れていた。
    この事件から見える「時代」は刺青ほどはっきりしないが、透かし彫りのようにやがて浮
   き出てくるものなのだ。

                              (つづく)









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