素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

夏の戦争映画 VOL.5 「シン・ゴジラ」 その3

    



     【ゴジラを生んだ50年代】

      「ゴジラ」(1954年)が誕生した1950年代とはどんな時代だったのだろうか?
      これを詳細にやるスペースもないが大掴みでスケッチしてみよう。
      初代ゴジラがスクリーンに登場した54年の大衆文化でトピックスはプレスリー
     のレコーデイングデビュー、力道山がシャープ兄弟と戦ったことが外せない。
      プレスリーからロックミュージックは始まったといっていいだろう。
      プロレスは関係ないだろうと思われるかもしれないが、ゴジラが他の怪獣と対戦
     するようになるとまるで「プロレス興行みたいだ」と指摘される。プロレスもゴジラと
     同級生だ。そして、ゴジラと一番近い映画でいうと、「七人の侍」がこの年です。
      それではまず映画から50年代をみてみよう。

      〈映画〉
       50年 黒澤 明「羅生門」 52年 黒澤 明「生きる」 53年 小津安二郎
       「東京物語」 溝口健二「雨月物語」 55年 成瀬巳喜男「浮雲」
       といった具合に大島 渚分類による日本映画第2期黄金時代です。
       (因みに第1期黄金時代はサイレントからトーキーになった30年代。この時
        期、後述するように円谷英二は特撮技術の研鑽につとめる。)
      
       56年 中平 康「狂った果実」は日本映画史でもそれなりの位置を占めるが
       世界的にもその影響力は大きい。ゴダールらヌーベルバーグ作家は海外映
       画祭で溝口に熱狂すると共にこの「狂った果実」にも喝采を浴びせていた。
   
       日本映画黄金時代といいつつ57~58年あたりから観客動員に陰りがみえ
       始め、海外ではシネマヴァリテが台頭し58年にはルイ・マルが「恋人たち」を
       撮っている。そして59年にはゴダールが「勝手にしやがれ」で長編劇場映画
       デビューを果たす。(「カイエ・デュ・シネマ」創刊は51年であった。)
       すなわち、日本もハリウッドも撮影所システムの映画が量産され、なおかつ
       黄金時代といえる水準の作品群を輩出しつつ、50年代半ば以降はカイエ・デ
       シネマに集ったヌーベルバーグ作家が胎動し始め、50年代最期の年にヌー
       ベルバーグの記念碑的作品が生まれたのが50年代だ。
       50年代の映画界には業界全体に疾走するが如くのダイナミズムがある。

      〈音楽〉
       50年 ケルン電子スタジオ開設 51年 ミュージックコンクレート集団設立 
       52年 ジョン・ケージ「4分33秒」 オリベエ・メシアン「音色=持続」
   
       今で言うテクノの先祖の先祖、「電子音楽」が産声を上げる。後のコンピュー
       ターミュージックのみならず、ゴダールにも影響及ぼしたであろうミュージック
       コンクレートも50年代が始まりだ。要するに今日、「現代音楽」と言われる作
       家が続々とこの時代排出される。モートン・フェルドマン、シュトックハウゼン
       ピエール・ブーレーズ、武満 徹、黛 敏郎等々。  

       「現代」といえばモダンジャズも50年代だ。
       ビバップからウエストコーストジャズを経てバードバップ、さらにモードへと目ま
       ぐるしく変貌を遂げていく。「ゴジラ」が公開された年にはぎりぎりチャーリー・
       パーカーは生きていた。
       56年はモダン・ジャズ名盤の当たり年と言われている。
        Charles Mingus「Pithecanthropus Erectus」、Thelonious Monk「Brilliant
        Corners」、Clifford Brownand Max Roach 「Clifford Brownand Max Roach
        at Basin Street」、Sonny Rollins「Saxophone Colossus 」
        Miles Davis Quintet 「Cookin 」、「Relaxin」、「 Steamin」、「Workin」
        George Russell「Jazz Work Shop」                          
        そして映画と呼応するかのように59年、Miles Davisが「Kind of Blue」
        をリリースしている。

       プレスリーがデビューしたのだからロックミュ‐ジックも60年代、70年代に向け
       て胎動をはじめ、57年にはモータウンレコードが設立され、58年にはボサノバ
       が誕生している。(この年、東京タワーも竣工している。)

       「現代音楽」はもちろん、「モダンジャズ」、そしてロックやモータウンやボサノバ
       と今日のポピュラーミージックの多くの土台が50年代に出来たといって差し支
       えないだろう。

       同様に「小説」、「演劇」、「美術」、「漫画」とやっていたらあまりに逸脱すること
       から割愛させて頂きます。「科学・技術」で注目すべきことをいくつか。
       50年 クレジットカード導入 51年 原子力発電始まる 56年 ダートマス会議
       人工知能研究始まる

       軽くスケッチしただけで50年代は「現代」(=モダン)が始まった10年と言えよう。
       そんな50年代のはぼ真ん中でゴジラは産声を上げた。

       付言しておかなければならないのは、新しい才能だけがこれらモダンの推進者か
       というとそうとも言い切れない。溝口健二(1898年生まれ)、小津安二郎(1903
       年生まれ)、成瀬巳喜男(1905年生まれ)であって、彼らは20年代のモダニズム
       の洗礼を受けている。黒澤 明は1910年生まれであってモダニズムにかぶれる
       にはやや若いようにも思える。彼には4歳年上の兄、丙午(へいご)が活弁士をし
       ていたことから実年齢よりモダニズムに影響されていたのかもしれない。
       映画に限っていうと、若き日にモダニズムの洗礼を受けたこれら監督たちが、モダ
       ンが大車輪で動き出す50年代に活躍したのだと思う。



     【実験精神の塊 円谷英二】
 
      ゴジラはモダンがまさにモダンたり得た50年代のほぼ真ん中に生まれた。
      製作当初はかくもシリーズ化されることになろうとは夢にも思わなったのではない
     か?先ほどもみたように50年代に「現在」の基礎が出来たといって過言でないだろ
     う。
      「ゴジラ」という特撮映画の基礎を作ったのは戦争だった。円谷英二は以下のように
     戦前から特撮に関しての研究に余念がなかったが、戦争の教材映画、国策映画が特
     撮の完成に拍車をかけたのは間違いない。

       1931年(昭和6年)  日本で初めてホリゾント撮影を行う。

         36年(昭和11年) 日本で初めてスクリーン・プロセスを使う。
                       (日独合作映画「新しい土」)
 
         37年(昭和12年) 国産初のオプチカルプリンターの実験開始

         42年(昭和17年) 国産初のオプチカルプリンター完成 

      戦前、戦中を通じて円谷特撮はほぼ完成していたと言っていいだろう。
      「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)を観たGHQはあまりの完成度に「実録」と勘違
     いしたそうだ。「ゴジラ」の予告編の「アメリカ映画を凌ぐ特殊技術撮影」は敗戦国のか
     ら突っ張りではないのです。「ゴジラ」を観たスピルバーグ少年は「何であんなに滑らか
     な動きなのだろう」と思ったそうだ。「キングコング」はアニメのようなコマ撮り、ハリー・
     ハウゼンの「ダイナメーション」もスクリーンプロセスで俳優の動きをコマ撮りしながらそ
     れにあわせて人形を動かすもので、要するにコマ撮りで動きがぎくしゃくしている。
      これに対してゴジラは着ぐるみに人が入って撮影したのだからこれらに比べると滑ら
     かな動きとなるだろう。
      もっともコマ撮りは製作費がかかるので苦肉の策だったのだが。
      ゴジラ以外の特撮は戦前・戦中にほぼ完成していたし、ハリーハウゼンの「原子怪獣
     現る」(1953年)に影響されたにせよ、ゴジラそのものはあの雄たけび(これは伊福部
     昭)をはじめすべて一から作らなくてはならなかった。それは本多猪四郎の手腕もさる
     ことながらやはり円谷英二に負うところが多い。 
      換言するなら実験精神とパイオニア精神に富んだ円谷英二でないと成しえなかった
     であろう。円谷はそもそも発明家でもあって「自動スピード写真ボックス」を1917年
     (大正6年)に発明している。彼の実験精神とパイオニア精神の淵源はこのあたりに求
     められるが、映画人としての実験精神の源は、あのアヴァンギャルド映画、衣笠貞之
     助監督「狂った一頁」(1926年=大正15年)に参加したことにあるのではないか?
      その痕跡を今回この記事を書くにあたって私は発見してしまった。

      初代ゴジラで印象的なのはゴジラが放射線吐く時、背びれの輪郭線が光るところだ
     ろう。「狂った一頁」の冒頭、稲妻のシーンがあるが、紙の切り抜きのような幾何学的
     な稲光がサブミナル映像のようにフラッシュする。ゴジラの背びれの輪郭線が光るシ
     ーンはこの紙の切り抜きのような幾何学的な稲光にインスパイヤーされていると思う。

    ゴジラ 光る背びれ2

    狂った1頁

      

      どうもわかりづらいと言うなら動画を観て下さい。4分9秒あたりにフラッシュします。

    



      当時だって稲光の照明技術くらいあったはずだが、これはわざと紙の切り抜きのよう
     な幾何学的な稲光にしたのだと思う。1920年代はモダニズムの時代だが、映画の世
     界ではフランスアヴァンギャルド映画を中心にサイレントのアヴァンギャルド映画が潮
     流だった。
      「狂った一頁」はカリガリ博士(1920年)のようなドイツ表現主義の影響受けたものと
     思われる。思いっきりすっ飛ばすとゴジラの造形の一部の淵源はドイツ表現主義にあ
     ったということになる。それはともかくアレックスコックス監督のように初代ゴジラ絶対
     主義の人は初代ゴジラにアートを観ているのかもしれない。
  
      【ゴジラを生んだ50年代】で見たように、モダンがモダンたり得た50年代、その中心
     人物は若き日、モダニズムの洗礼を受けたミドルと若い新しい才能だったろう。
      円谷英二もそんなモダニズムの洗礼を受けたミドル(ゴジラ製作時、53歳)だった。
      彼の場合、モダニズムの洗礼を受けたミドルというだけでなく、そもそもが実験精神
     の塊のような男だった。 

      ロックミュージック界で、プレスリーと違ったカテゴリーで彼を凌駕することは可能だ
     ろう。でも、プレスリーと同じモード、同じフォーマットで彼を超えることは不可能である。
      それはプレスリーの音楽、歌唱が優れているとかいうことばかりでなく、彼が「モダン」
     という時代の先駆者だからだ。
      ゴジラも同様で、違うスタイル、例えば「ジョーズ」とか「エイリアン」とかが「初代ゴジ
     ラ」を凌駕する可能性はある。(実際、そうかどうかは定かではない。)「初代ゴジラ」と
     同じスタイル、同じフォーマットで歴代ゴジラがこれを凌駕することはできない。
      この言説にとどめを刺すのが、円谷英二がモダニズムの洗礼を受けたミドルとして
     「モダン」がモダンたり得た50年代に「ゴジラ」を作ったということだと思う。



     【ゴジラとは?怪獣とは何か?】

      「ゴジラ」(1954年)の予告編を改めて観てみると、嵐のシーンがあって、原作者・香
     山 滋、監督・本多猪四郎、特撮・円谷英二がどこまで意識していたか知らないが、や
     はりゴジラの背景には破壊神としての自然がどこに潜んでいるように思えてならない。
      もちろん、ゴジラそのものはあくまで「200万年の眠りから醒めた古代生物」ですが。
      ゴジラは「怪獣」なのであって、怪物でも異星からやってきたエイリアンでもなければ、
     まして恐竜そのものでもない。
      誰が言ったか忘れたが、外国人に「怪獣」を説明するのはとても難しいそうだ。
      第一作から「シン・ゴジラ」までの全29作で一口に「怪獣」といってもゴジラ自体が相
     当に様変わりしていることがさらに事態を錯綜させている。
      「シン・ゴジラ」は初代ゴジラの21世紀バージョンであることから多様なゴジラ像のう
     ち初代ゴジラを中心にその実像に迫ろう。
      
      人に害を及ぼす、攻撃するという点では同じだが、ゴジラは「ジョーズ」や「グエル」な
     どではない。彼ら巨大生物は放射線を吐いたりしない。外国映画では単なる巨大生物
     と神話性を帯びた生物がはっきりと別れている。ゴジラはこのあたりが判然としない。
      有名な言説なのでご存知の方も多いと思うが、第1作が山から顔を出すゴジラを捉え
     てダイダラボッチ神話を見出す人がいる。

             ゴジラ ダイダラボッチ

             ダイダラボッチ


      世界各地に巨人、巨神神話が多いが、「巨大生物が海から現れる」のは日本の場
     合、ダイダラボッチとなるようだ。
      ダイダラボッチというと我々は「もののけ姫」を想起するだろう。伝説上のダイダラボッ
     チとはだいぶ趣が異なり、背びれがあるあたりはゴジラからの“ 逆輸入 ”かと思わせ
     る。

             もののけ姫ダイダラボッチ


   
      「もののけ姫」のダイダラボッチはシシ神であり、森の生命を司る神であった。
      ゴジラの場合、同じくアミニズムの国、日本の神でも「もののけ姫」のダイダラボッ
     チとは異なり破壊神なのだいいたいところだが・・・・。         
      「怪獣とは何か?」と漠然と思い始めたのは21世紀になってからであり、ここは一
     つ、 マニア、専門家の言説を借りよう。

       わが国日本でも、仏教の伝来とともに、夜叉や羅刹(らせつ)など人に害をなす
       荒ぶる神を祀り、守護神として崇める風習=荒神信仰が始まっている。
       これこそまさに、映画内で表現されていた、怪獣信仰の原型と呼んで差し支え
       ないだろう。

                             ~ ゴジラ 解体全書 ~


      この荒神信仰をメインに扱っているのが、第25作「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪
     獣総攻撃」だという。初代ゴジラは荒神信仰でもいいが、怪獣全般となるとそうはいか
     ない。モスラやキングシーサーといった怪獣はどうしたことだ。それにシリーズ途中から
     変わってゴジラが破壊神ではなくヒーローのようになってしまうのはどうしたわけだ。
      これも海外のモンスター映画では考えられないことだ。
      日本は仏教国であるのと同時に神道の国でもあります。
      これについても都合のいい便法があるのです。「荒魂と和魂」です。

       神道には荒魂(あたみたま)という概念がある。
       戦前の刊行された「神道大辞典」には、荒魂は「外面に現れた荒荒しい、
       戦闘的な、積極的な方面の作用」と記されている。神を自然の象徴と捉 
       えるならば、人間にとって脅威となる激しい災禍を引き起こすのが荒魂と
       いえる。
       もうひとつ、荒魂と対になっているのが和魂(にぎみたま)。こちらは神霊
       の通常の状態で、緩和な作用を人間にもたらす。四季が巡り、作物が実   
       るというプラスの働きだ。おもしろいのは、荒魂と和魂がはっきり分離され
       ているわけではなく、一つの霊魂である点。

                           ~ ゴジラ解体全書 卯月鮎 ~
 
     
      これでシリーズ途中からゴジラが正義のヒーローになってしまっても得心がいくだろう
     か?私は「東宝チャンピオンまつり」世代、すなわち「怪獣総進撃」、「ゴジラ・ミニラ・ガ
     バラ オール怪獣大進撃」あたりの怪獣で育った世代であります。
      要するにウルトラマンの怪獣と変わりない。
      そんな私にはこれらだけでは説明のつかない事態があるのです。

                                       (つづく)







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