素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

UCLA映画テレビアーカイブ  前編

   


 
    映画は何本か観ていて記事にしようかとも思ったのだが、「悪くはないのだけど・・・」で筆
   が止まってしまい、トランプ関連記事に埋もれてしまった。
    新作がイマイチなら旧作を求めて何年かぶりに国立近代美術館フィルムセンターへ足を
   運ぶ。「UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画」コレクションというが、4Kデジタルリマス
   ターとかではないようだ。日本未公開作品や散逸したフィルムの収集とかテクニカラーの
   復元につとめたそうだ。



         UCLA映画テレビ




   【7人の無頼漢】 バッド・ベティカー監督

 
    古典的な西部劇で西部劇ファンならマストの1本だ。
    私は日本の時代劇なら好きなのだが、西部劇はそれほどでもなくお恥ずかしながら今回
   初めて観た。
    私の独断かもしれんが、数学、論理学、哲学を専らとする人には西部劇好きが多いよう
   に思えてならない。高校の数学の教師がそうだったし、大学の後輩の哲学青年もまたしか
   りであるうえに私の記憶が確かならば、かの哲学者、ヴィットゲンシュタインの数少ない娯
   楽が西部劇を観ることだった。
    古典的西部劇にも例外があるが、基本、西部劇は実に明晰な文体で描かれる。
    さらに必ずといっていいほど決闘でカタがつく、結果が出るのです。
    しかも時代劇と違い刀を合わせるひまはなく、多くは一撃で決まる。
    これが方程式を解くがごとくのカタルシスにつながるから彼ら数学者、哲学者は西部劇
   に魅かれるのだろうか?
    かつて小津安二郎は山中貞雄に対して「そうか、君は数学が得意なのか、だからシナリ
   オがうまいんだね」と語ったと伝えられる。今日のようにこねくり回したシナリオではなく、
   自然界の法則を数式で表し、これを展開していくが如く「映画言語」を紡いでいくシナリオ
   が名シナリオなのだろう。

    さて、本作は妻を強盗団に殺された元保安官(ランドルフ・スコット)の復讐譚です。
    言ってしまえば至極単純な映画で、当然、“ 西部劇のお約束 ” で終わる。
    ところが、断然、これが素晴らしいのだ。
    ボツとなった最近観た映画2本とは西川美和「永い言い訳」、黒沢 清「ダゲレオタイプ
   の女」で、もちろん、作品、演出の出来栄えは今日の日本映画の水準以上であり両作品
   共にベストテンに入るだろう。(「ダゲレオタイプの女」は日仏合作であり邦画・洋画いずれ
   に入るかわからないが)
    でも、両作品共にどうもラストが気に入らない。西部劇の明晰さと真逆の韜晦と曖昧さの
   文体で描かれているが、さりとてラストで観客を置き去りに程のするミスティフィケーション
   はなく、「さもありなん」という結末を向かえる。突き離すだけのキレと勇気がない。
    西川美和の「デイアドクター」の終盤はキレと勇気の連続だった。あのラストは「さもあり
   なん」とはならない。三振とりに行く決め球がど真ん中のストレートだったら、これは勇気あ
   る行為以外の何物でもあるまい。あのラストはど真ん中にストレート投げたのだ。
    「ダゲレオタイプの女」は写真に心奪われて魂吸いとられるようなホラーストーリーだが、
   あのラストなら同じような写真に心奪われるストーリーで比較すると一発芸のようでもマノ
   エル・ド・オリビエラが102歳で撮った「アンジェリカの微笑み」の方が勇気あるぞ。
    野球の代わりにサッカーに例えるなら、本田圭祐選手がPKでど真ん中にシュートするよ
   うな勇気ある行為だ。
    彼は何のテクニックもないからど真ん中にシュートするのだろうか?
    もう敵チームも彼が絢爛たるテクニックを持っていると承知していることを前提とした敵ゴ
   ールキーパーとの心理戦だ。
     映画「7人の無頼漢」に見られる紋切り型の物語の要諦は、今日のこれ見よがしなテ
   クニックを底に沈めど真ん中にPKシュート決めることではないか。
    そういう物語にはアンドレ・パザンが語ったというこの言説がぴったりだ。
    「もっとも単純にしてもっとも美しい西部劇」
    
    この映画のPKキッカーは、ランドルフ・スコットではなく、リー・マービンだ。
    今さらながらだが、彼はホントに素晴らしい役者だ。
    何気に登場し、いつの間にか彼の空気・磁場を作りだすのだが、さりとて彼自身も役柄
   も際立たせてしまうことがない、今日、見つけずらい存在感だ。
    かつてなら日本映画にも彼みたいな役者はいた。原田芳男だ。
    今日は役者も役柄自身も際立たせようとばかりしている。キャラが立つとか言っていいと
   思っているのだろう。主役はそれでもよくてもみんなでそれやり始めたらシラけることこの
   上ないのだ。


                リーマーヴィン 攻撃
                 こちらは「攻撃」のリー・マービン


    ど真ん中にボール蹴る前のPKキッカーとGKとの心理戦、スリルを本作で体現させるた
   めの前ふりは、へなちょこ男とその妻、ランドルフ・スコットとリー・マービンが幌馬車の中
   で繰り広げる会話だ。本田圭祐がどんなシュートするのか、スルーパスするのか、ドリブ
   ルするのか、シュート打つ選手のためのくさびになるのか、パス受けるふりして流して隣
   の見方にパスさせるのか、これらを敵方GKに印象づけるからこそ、まさかど真ん中に
   シュートしてこないと思わせるのだ。この幌馬車のシーンがこれらに該当する。
    リーマーヴィンは敵なのか味方なのか、何を仕出かすかわからない、それとも悪行の限
   りをつくして悔い改めたのか、このあたりは人生の年輪を重ねれれば重ねただけ見方が
   変わってくるだろう。
    このへなちょこ男夫婦の旅の目的が明きらかにされる頃、避けることのできない運命が
   交錯し始める。

    紋切り型(ど真ん中にシュートすること)は、シナリオ、役者、監督の“ 芸 ”があって初め
   て可能となる。紋切り型はポストモダンの時代、パロディーの対象となり空洞化して笑いへ
   と転化した。

    「パロディー」、「様式美」、「ハイブリッド」、「過剰」を経て21世紀の紋切り型は可能なの
   か?
    それはどんなものとなるのか、そう思わせる1本でありました。

                                           (つづく)


   

   いなたいトラック
    帰り道、40年代?50年代?のいなたいアメ車を見かけた。
    こういうことが私はタマにあるのです。「世にも怪奇な物語」を
    レイトショーで友人2人と観た際、「円タク」のような古めかしい
    タクシーがやってきた。異界へと連れていかれそうな「円タク」
    に我々は吸い込まれるように乗り込んだ。
    このアメ車はどこへ連れていってくれるのだろう。









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