素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

50代男だけが劣化したのか 前編

    



    トルコでロシア大使殺害、ドイツでトラックテロらしき暴走と何やら血なまぐさいが、それら
   についてはもう少し情報分析してからにします。
    
    いつもは人様の批評、批判、もっと言うなら悪口書いてきた私だが、今回は我々50代男
   が攻められ批判に晒される番であります。
    テクストは香山リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」です。
    私のスタンスは彼女ほど左に巻いていないし、本書にも違和感を覚える箇所もあるが、
   「全くもってそのとおり」と共感するところが多い。彼女の主張の核となる部分はこの7~8
   年、いや10年以上か、私の身の回りの同世代の友人・知人に折にふれ語ってきたことを
   凝縮したものだ。それ故、煙たがれ、友人・知人はどんどん離れていった。それは致し方
   ないことで、世代は違っても同調、共感する新しい友人・知人も出来たことからよしとする
   しかない。

    香山女史は心理学者であるが、政治的言動を隠さない御仁だ。
    安保関連法案のデモにも参加している。
    そんな彼女からすると50代男の傍観者ぶりが我慢ならないらしい。

     こういった新しい保守派たちの動きに対して、高度成長時代に子ども期を、バブル
     時代に青年期を過ごした人たちは、「なんか違う・・・・・」と思いながら、大きな声で
     は批判したり議論したりしようとしなかった。

          (中略)

     ここに及んでも、私の世代は「まあ、なんとかなるだろう」と楽観的にかまえる姿勢
     を変えようとしなかったのである。この人たち、つまり冒頭の定義で言うところの
     50オトコたちはいつ動くだろう、私は思っていた。
     そして、ついに50オトコは動かなかった。
     時代はそのまま。21世紀に突入した。

                   ~ 香山リカ 著 「50オトコはなぜ劣化したのか」 ~


    2015年夏、安保法制反対運動の際、香山女史はこんなことをよく耳にしたそうだ。

     「誰か新しい時代のリーダーにふさわしい人、いないかな?アメリカのオバマ
      大統領が出てきたような感じで、みんなが “ この人なら日本を託せる! ”
      と熱狂できるような、自由と平和のシンボルになれる人。
      できれば50歳くらいの男性がいい。もちろん女性でもいいのだけど、まずは
      頼りがいのある男性ということで」
     もうおわかりのように、私までそんなことを聞くということは「該当者は誰もいない」
     からだ。

                                  ~ 引用同上 ~
 

    50代男は傍観者ばかりやっていたからリーダーが育たないのか、同世代にリーダー 
   がいないから50代男はいつまでも傍観者なのか?
    いずれにせよ、古賀茂明氏が解説するように仕事に追われているサラリーマンにアク
   ション起こせといっても無理な相談であり、彼女の批判の対象は50代の学者、ジャーナ
   リスト、知識人ら自由業に求めるしかない。
    とりあえず彼女の主張どおり50代男を「傍観者」とするなら、彼らはいかにして「傍観者」
   となってしまったのだろうか?
    女史曰く、それは価値相対主義に求められる。

     このように異なる意見を目にしたときに、自分の立場を明確にせず、評論家の
     ように両者のプラス面、マイナス面を冷静に判断する態度を「相対主義」と言う。
     「人にはいろんな考え方があるのだから、それをいちいち良い、悪いと判断する
     のは失礼だ」などというのも、「相対主義」だ。
     相対主義は、60年代から70年代にかけて主に文化人類学や社会学などの分
     野でひとつの流行となり、その後、日本の知識人にも大きな影響を与えた。
     価値相対主義、文化相対主義などとも言われる。
     そしてその影響を受けたエッセイストやライターも相対主義的な文章を書くように
     なり、結果的に80年代前後に学生時代を送った50オトコは、この相対主義の洗
     礼を知らないあいだに受けているのである。

                                 ~ 引用 同上 ~

 
    これはだいぶ以前から指摘されることであります。
    香山女史が冒頭で述べているようにこの価値相対主義は「大きな物語」の終わりと表裏
   一体の関係だろう。
    「大きな物語」の終わりの時代、50代男はどこへ向かい何を嗜好するのか?
    彼女は、50代男の好きな作家、理想の生き方を体現した人物として村上春樹氏を取り
   上げている。

     村上春樹氏は多くの50オトコがその顔をなんとなくでも思い浮かべることが
     できて、「バーを経営したこともある」「マラソンをしている」「いまは日本に住
     んでいないらしい」などと、そのライフスタイルを含めて、“ よく知っている ”
     作家と言えるのではない。もっと言えば、50オトコにとってはなんとなくで
     あっても、「こんな生き方ができたらいいだろうな」と思う小説家の代表なの
     ではないか。
                              ~ 引用 同上 ~
   

    
    このあたりは多くの50代男も納得するところだろうが、村上春樹氏は「アンダーグランド」
   あたりから現実社会へのコミットメント回避からコミットするようになった。    
    村上氏のデタッチメントからコミットメントへの転換を目の当たりにして「傍観者」たる50
   代男も背筋に冷や汗が一筋流れただろうか、それすらないかもしれない。
    そんな50代男に対して香山女史は辛辣だ。

     つまり、「まだ十分元気」なのに、自分の持てるエネルギーを社会のため、
     他者のため、未来のためにではなく、「自分と自分のごく近い人のため、
     過去のため」にのみ惜しみなくつぎ込んでいる、ということだ。

                              ~ 引用 同上 ~


    
    彼女は50代男を「ニューアカデミズム」(以下、「ニューアカ」と省略)に象徴されるポスト
   モダンの洗礼を受けた世代として捉える。
    香山女史が50代男を「傍観者」と呼ぶ時、それは反体制的政治活動においてです。
    50代男の中にいる「ニューアカ」を経て「保守」へと変遷、転向した一群を見落として
   いる。それら「保守 50代」は「傍観者」どころか、安倍内閣の一員だったり、官邸のメン
   バーに食い込んだり、大きく言えば安倍ちゃん応援団の政治家、官僚、財界人だったり
   する。
    この「保守 50代」を彼女は考慮していない。

    もっともこの「保守 50代」を考慮しても事態は香山女史の指摘の発展形であることに
   ついては次回、詳述します。

                                (つづく)





スポンサーサイト

社会 | コメント:0 |
<<50代男だけが劣化したのか 中篇 | ホーム | A I 時代の教育>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |