素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「 1ドル50円時代を生き抜く日本経済 」 を読み直す 前編

    



    トランプ氏が米国大統領に就任してから1ヶ月あまりが過ぎた。
    “ 暴言王 ” トランプという印象批評だけでは米国没落中間層のみならず、なぜ、トランプ
   がペンタゴンや白人知識人(NY州、カルフォニア州を除く)の支持をも集めているのかわ
   からない。 
    彼らが期待しているのは「革命家」としてのトランプであり、私も同様であります。
    この「革命」の大義の前には、トランプが政治家として到らなくても目をつぶろうというの
   が彼の後見人、H・キッシンジャーのスタンスだろう。

    トランプに期待される「革命」はいくつかあるが、その一つとして新基軸通貨への橋渡し
   としての大幅なドル切り下げが挙げられるだろう。FXやっている人には常識のようだが、
   大手メディアでも大統領就任時に既に「第2のプラザ合意」が指摘されています。

     トランプ氏就任 「第2のプラザ合意」目指せ 
     元米財務次官補 フレッド・バーグステン氏

      トランプ新大統領の就任を前に、元米財務次官補のフレッド・バーグステン氏は、
      保護主義の台頭を食い止めるには1985年の「プラザ合意」と同様、主要国
      がドル高是正に向け一致して行動する必要があるとの考えを明らかにした。

                                   ~ 毎日新聞  ~ 
 


    「第2のプラザ合意」といってもバブル崩壊後の世界しか知らない世代にとっては、あくま
   で「円安株高」であって「円高株高」だったバブル時代はまるで見当がつかないようだ。
    取引先と話しているとそう感じざるを得ない。
    そこで、チト気が早いかもしれないが、日本は何を目指していけばいいのか、その羅針
   盤として「 1ドル50円時代を生き抜く日本経済」(浜 矩子 著)を読み返して見たいと思う。
    
    本書の予想、「2011年は超円高」は当時、大ハズレだった。
    浜女史のみならず副島隆彦氏も「ドル亡き後の世界」(2009円)で「1ドル=50円」、「1
   ドル=10円」を予想しているが、これまた大ハズレだった。副島氏によれば、

     2012年 IMF・世界銀行体制の終焉

     2015年 新しい世界銀行の誕生

    ということになっているが、今だにそうなっていない。
    彼曰くの修正IMF体制(石油本位制)が間もなく終わることは間違いないことであり、当
   初のスケジュールが5年くらい後にズレ込んでいると思う。
 
    新基軸通貨への橋渡しとしての大幅なドル切り下げがこれから断行されるだろう。
    この荒業を成し得る腕力のある政治家としてトランプに白羽の矢があたったのだ。
    このような認識に基づけば、当時、大ハズレだった「 1ドル50円時代を生き抜く日本経
   済 」を読み返す意義もあるだろう。

   1ドル=100円以上に慣れてしまったが、バブル崩壊後、我々は過去2度、1ドル=70円
   代を経験している。1回目は、まだ日本が「失われた10年」の真っただ中、何かと大きな
   事件が続いた1995年だ。この年、4月19日に1ドル=79円75銭をつけた。
    この時期、海外では韓国、台湾、シンガポール、香港、タイなどが経済成長めざましく「ア
   ジアの奇跡」とか言われた。日本企業は円高を奇貨として成長エリアであるアジアへ進出
   して行った。日本国内の産業の空洞化という問題はあったにせよ、日本経済は95年の円
   高を乗り切った。 
    リーマンショック後、2011年10月31日に1ドル=75円32銭という円高を向かえたが、
   浜  矩子女史が説くように「グローバル化の進展に伴いサプライチェーンが地球規模に
   広がりをもった」ことにより95年の円高に比べれば日本は円高耐久力が強化されてい
   た。

ドル円 長期

                              ― 出典 「社会実情データ図録」― 



    リーマンショック後の円高を浜女史は「高すぎたドルが相応水準に落ち着くプロセス」と
   看破した。「円高は困ったことでできれば円安に戻って欲しい」と多くの企業家が思って
   いる。 
    ニクソンショックの昔から「円高脅威論」が展開されているが、女史はプラザ合意後の円
   高不況を克服しようとした日本の経済(金融)政策そのものに異論を唱えている。

     猛烈な円高の進行という点で思い出されるのが、1995年のプラザ合意である。
     ある意味では、あのときが日本の通貨政策の大失敗の始まりであった。
     プラザ合意による為替関係の大きな変位に、日本はどう対応するか。その判断
     を当時の日本の政策当局は決定的に間違えたと思う。この読み間違いが、今日
     に到る失敗連鎖の出発点だったと言わざるを得ない。

            (中略)
   
     円高不況阻止の大役は、結局のところ、もっぱら金融政策に課せられることにな
     ったのである。かくして、日銀は大幅な金融緩和に踏み切った。

            (中略)

     この金融緩和の狙いは、もとより国内向けの不況対策だった。
     金利を引き下げることで企業のコスト負担を軽減し、内需拡大を実現するというこ
     とだ。円高そのものは、もうプラザ合意で決まってしまったからしかたがない。
     露骨な円高阻止策は打てない。となれば、円高に伴う痛みを最大限緩和する対応
     を進めるしかない。日本の内需拡大は、アメリカからの強い要請だったし、プラザ合
     意の中に盛り込まれた日本の役割分担でもあった。そこを追求する限りでは、文句
     を言われる筋合いはない。かくして、プラザ合意の日本の政策対応はひたすら金融
     緩和による内需拡大に集中することになった。金融大緩和は、マネーサプライの急
     膨張をもたらした。過剰流動性の大発生である。この過剰流動性すなわち余りガネ
     が、土地や株への投資に向かい、かつてない大バブルを生み出すことになった。
         
                ~ 浜 矩子 著 「1ドル50円時代を生き抜く日本経済」 ~
 

     「大幅な金融緩和」といっても、85年当時は公定歩合が5.0%であったのだ。
     段階的に引き下げられて87年には「当時の感覚ではおよそ考えられない超低金利」
    といっても2.5%であります。
       
     バブル崩壊後の世界しか知らない人には隔世の感があるだろう。

                                             (つづく)






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