素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

しんぼる VOL.4

 



  映画「しんぼる」について、賛否両論で述べてきたが、何のかんの言っても2時間以内で終わったのでOKです。~撮影所の経験のない(要するに今日ほとんどの)新人監督に2時間以上、撮らせてはいけません~  

  新人監督、及び駆け出しの監督にウエルメイドとか、映画文法を期待してはいけません。
  私、デビュー作、2作目程度には、「作家性」、「才能」、「心意気」があれば完成度は問いません。
  最初から「映画」を心得ていて、なおかつ才能豊かな人も確かにいましたが、撮影所システムが健在な時は、後に「巨匠」、「鬼才」となる新人も「普通」の映画、プログラムピクチャーを獲っていた訳です。撮影所システムが崩壊してから、特別な才能がないと次回作撮れないような環境になってしまい、たまたま異分野から監督業に参入して、たまたま成功したりなんかしたものだから、映画文法も才能も最初から備わっていないとイケナイとなってしまっただけです。そういうわけで、紙媒体を中心に映画も知っていて才能もなきゃ、ボロカスに叩きまくるという何とも倒錯的な状況となったのがだいぶ前の話です。近年は、(興業的に)邦画が息を吹き返し、誰でもホイホイ撮れるようになったので、この傾向はやや薄まったのかもしれません。


 異分野で才能があっても、処女作から傑作撮れるとは限らない。
 映画はそんなに甘くない。
 でも、テクニックが稚拙でも、映画知らなくても「才能」だけは隠せない。
 例えば、ルキノ・ヴィスコンティーの処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を見てみればいい。
 本作の編集技術はお世辞にもうまいとはいえず、今日の新人監督の方がずっと達者です。でも、処女作とはいえ、ヴィスコンティーは、今日の新人にはない、作劇術と人間把握力を持っているのです。
 
 どの分野でも、おそらく当てはまると思いますが、この20数年、技術、技量は間違いなく上がっております。
 ですが・・・なのです。
 観客呼べないと、次回作は撮れない訳ですから、ウエルメイドな作品に傾きがちですが、新人までも軒並み「右へならえ」する必要ないでしょう、そろそろ。
 一般観客は、「投資(チケット代、期待値)」に対してどれほどの「リターン(満足度、感動)」があるかだけが問題でしょう。それはそれでいいわけです。プロの批評家がAMAZON等ネットの印象批評と同じレベルじゃアカンのです。それは批評家の仕事じゃなくて、映画会社の宣伝部の仕事でしょ。
 そろそろ批評家も「次なる観客」を動員すべく挑発しなければならない時期に来ていると思います。
 
 結果として、「しんぼる」は成功しているとは言い難い。
 でも、松本人志には、これらを突き破ろうとする心意気というか、意思だけは感じられる。「アラン・レネ」という固有名詞に連なるかもしれない、というほど凡庸な、よくいって古典的な実験性は、彼が「映画なんか知らないよ」とうそぶき、クセ球ばかり投げているようで、実は映画に真正面からぶつかっている証左なのです。
 そういう意味で彼には、まだまだ撮り続けてもらいたい。
 いつか、彼が撮るかもしれない、テレビの方論捨てたコメディーや、お笑い封印したストレートストーリーを観てみたい。


 ラスト「未来」で松っちゃんは、ポコチンをクリックすることなく立ちすくむ。
 (クリックしてマンガの第6巻が出てきたらおもしろいオチだという人もいるが、「そういうことはテレビでおやんなさい」と淀川さんなら言ったであろう。このラストでいいのだ)
 彼は、案外、正直な人かもしれない。
 「未来」に立ちすくむからこそ、密室に幽閉されているのだ。

                               (了) 
 



郵便配達

ヴィスコンティーは巨匠になってからも、
実はあまり頂けない技術的欠陥を残している。
だって、ズームの使い方なんかヘタだもの。






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