素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

江戸三十三箇所 第四番 回向院



《回向院》

              山 号:諸宗山
              院 号:回向院
              寺 号:無縁寺
              御本尊:阿弥陀如来
              宗 派:浄土宗




  今回は、両国に所在する「回向院」です。
  縁起は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に遡ります。
  この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。

                       
  江戸後期になると勧進相撲の定場所が当院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時 代を日本相撲史上に刻したのです。

  回向院の歴史はこのように見ると一見隆盛一途をたどったかのように受け取られがちですが、当院自体も度重なる 大火に被害をこうむり、明治の廃仏毀釈、大正の大震災、更には第二次大戦下の大空襲などによって、幾度か存亡の 危機に立たされたのです。しかし、その時その時の歴代住職は檀信徒の浄信にささえられ、由緒あるこの寺院の法灯 の絶えぬよう骨を惜しまず身を砕き、その度ごとに一大危機を乗り切ることが出来ました。

                               ~「回向院」HP~


  


 回向院(門)  回向院(参道)



 力塚  阿弥陀如来
歴代相撲年寄の慰霊の為に建立された。     アートな平成の「聖観音」像。
実物はかなりデカイです。


供養塔  馬頭観音
動物(犬猫)の供養塔             中に鎮座しますは馬頭観音様。


  さて、馬頭観音様は、前回の大観音寺にもおわしました。
  「馬頭観音」とは、?




 〔超基礎からわかる佛教〕~馬頭観音の巻~
  
  【馬頭観音】・・・六観音の一つで、八大明王の一つにも数えられる。
           忿怒の相をしており、忿怒の象徴である火炎状の光背を持ち、
           頭上に化佛と白馬を頂き、三面二臂または三面八臂が弘く見ら
           れる姿である。観音の中で忿怒相(ふんぬそう)を示す唯一の
           ものであるが、忿怒は観音の慈悲を示す方便であると説かれる。
           ヴィシュヌ神の化身の一つである。

            
   要するにこんな感じだね。
   確かに怒っているし、頭の上に馬がいる。
   将軍家綱の愛馬を葬るため、回向院内に馬頭堂が建立され馬頭観音が鎮座することと
   なったそうな。


馬頭観音




  【六観音】・・・・聖、十一面、千手、如意輪、馬頭、不空羂索(ふくうけんさく)
           准堤の七観音のうち、真言宗では准堤観音を除いて他の六観音を
           正統的な伝承に基づく六観音とし、天台宗では、不空羂索を除いて
           他を六観音とする。
                      ~以上、出典「日本佛教語辞典」~




 墓標  地蔵
 手前が「明暦の大火」の供養塔。        塩地蔵さま、こちらも普通より大きいです。
 その他の墓標も全体的にデカイです。


 鼠小僧次郎吉  次郎吉削り石
 義賊「鼠小僧次郎吉」こと            なかなか捕まらず運が強いことから、
 中村次良吉の墓。                あやかろうと、みんな石を削っていくそうな。


                                (つづく)






スポンサーサイト

都市 | コメント:0 |
<<あの藤巻氏が経済破綻を・・・。 | ホーム | 小沢幹事長が果たすべき真の「説明責任」>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |