素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「ライプチヒの奇跡の行進」(A面)

以前、告知したTV「時空タイムス」は、ご覧になられただろうか?
私は、全部録画して観ましたが、正直いって「アラビアのロレンス」、「リンカーン」は
期待はずれだった。「アリvsフレイジャー」の素晴らしさについては既に書いたので、
今回は残る1本、「ライプチヒの奇跡の行進」についてです。

東西冷戦の象徴、「ベルリンの壁」は1989年末、崩壊して冷戦は終焉をむかえた
わけだが、「ベルリンの壁」崩壊に大きく寄与したのが、「ライプチヒの奇跡の行進」と
呼ばれる民衆デモだという。

ドイツでさえ、たいした知識があるわけじゃないが、東ドイツとなるとほとんど何も知らない
というのが世間のとおり相場じゃないだろうか?ベルリンからみてライプチヒって、東西南北
どの辺に位置するの?こんなことすら我々は知らない。
当時の東ドイツはエーリッヒ・ホーネッカー率いる社会主義統一党独裁政権であり、
「シュタージ」と呼ばれる秘密警察を持っていた。

「シュタージ」はライプチヒだけで2,000人のメンバーがいて、その他に“隠れた”秘密警察
たる密告者が存在した。
東ドイツ全体ではプロパーの密告者が17万人、パートタイムの密告者までいれると200万人
くらいいたという。約1,700万人の東ドイツ国民の約8人に1人くらいが密告者だった計算だ。

東ドイツは社会主義体制のおそろしき監視社会だったわけだが、まさに
ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界だろう。

やっぱり、「1984年」をスターリン批判とかいうのは、あまりに作品世界を矮小化している。
スターリンが死に、ゴルバチョフがペレストロイカ唱えても、東ドイツほか社会主義国には
「1984年」の世界は残っていた。いや、もっと言うなら社会主義体制が終わっても、
より洗練されて巧妙なかたちとなって、未来で我々を待ち構えている。
(これについては、機会を改めて別稿で書こう)

さて、番組は1989年、10/9「ライプチヒの奇跡の行進」と呼ばれるデモ行進に向けて
再現ビデオと実写に当事者のインタビューを交えて進行していく。
1989年9月、反体制デモはライプチヒで始まった。最初は数十人が横断幕ひろげて行進する
だけだった。日本の常識ではどうってことないが、当時の東ドイツでは常識破りの「勇気」ある
行動だった。何せ言論の自由はなく、国民の約8分の1は密告者で秘密警察「シュタージ」が
目を光らせるこの国では、考えられないことであり、行進をみて道行く人は「ギョ」としたという。
案の定、デモ隊は私服の秘密警察に逮捕されてしまう。
彼ら反体制主義者が賢かったのは、このデモを西側カメラの前で行ったことだ。
理不尽にも逮捕されていく様を西側のカメラはしっかりと捉えていた。
この点は重要なポイントだろう。


9/25のデモでは参加者は5,000人になり、10/2にはその数1万人に達する。
最初の頃は警察も見守っていたが、10/2には棍棒持った警察、機動隊、警察予備隊、
民兵が導入されるに至る。何しろ総人口が約1,700万人、東京都民と千葉県民合わせた
くらいしかいないのだから、狭いライフチヒの街では、デモに参加する息子、娘と民兵の父親が
対峙するという構図になる。
デモの度ごとに参加者は逮捕されていくのだが、ベルリンの社会主義統一党ももはや
放置できないレベルに達して、空挺部隊の投入まで検討されるようになる。
月曜日ごとに行われていたデモは、次回には数万人の参加者が予定され、危機感を
つのらせた党本部は、「これ以上デモを大きくしてはならない」とデモつぶしが至上命令となる。
警察は実弾発砲が許可される。息子、娘、友人でも、歯向かうものは撃つべしと命令される。

この辺の事情を番組では、元・秘密警察の中佐、警察、空挺部隊、反体制派学生、牧師、
社会主義統一党幹部等の証言を積み重ねて多重的に構成されていく。

そして、運命の日、10/9(月)をむかえる。
                           (つづく)



ホーネッカー
エーリッヒ・ホーネッカー。
東ドイツでは、子供を家庭ではなく国家で
育てる実験も検討されていた。
恐るべし。


スポンサーサイト

メディア | コメント:0 |
<<「ライプチヒの奇跡の行進」(B面) | ホーム | 民主党マニフェスト説明会に参加  VOL.4>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |