素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

ドラッカーの言葉 #1( 前編)

   昨今、「ピーター・F・ドラッカー」ブームが続いている。
   きっかけはもちろん、ベストセラーになった、もし高校野球の女子マネージャーが
  ドラッカーの『マネジメント』を読んだら」だろう。
   
   私は経済学部経営学科卒であり、当然、経営学は必修科目であったのだが、バカ学生
  だったので、ほとんどすっからかんに忘れてしまったが、ドラッカーだけは印象に残って
  いる。至極当たり前のことを言っているようで、時々、思考が「八艘(はっそう)飛び」
  することろが好きであります。有名なところでは、

   「仕事とは顧客創造である」、「管理とは意思決定である」etc。

   付言するが、私は、松下幸之助や稲盛和夫らの経営指南本には全く、触手が伸びない。
   でも、ドラッカーだけは別なのだ。
   という訳で、シリーズで「ドラッカーの言葉」をピックアップしていこうと思う。
   さて、第1回は何にしようかと思案したが、今秋、放送再開したNHK番組
  「プロフェッショナル」に因んで、これにしよう。

   【プロフェッショナルの条件】

    厳しいプロは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。
    誰が正しいかではなくて、何が正しいかを考える。頭のよさではなく、真摯さを
    大切にする。つまるところ、この真摯さなる資質に欠ける者は、いかに人好きで
    人助けがうまく、人づきあいがよく、有能で頭がよくとも、組織にとって危険で
    あり、上司および紳士として不適格である。

                    ~「現代の経営」~



   NHK番組「プロフェッショナル」では各人各様のプロフェッショナル観が語られ、
  それぞれ説得的である。でも、それら多様なプロフェッショナル論の根底に流れている
  のは結局、以上のようなドラッカーの言葉ではないか。

   「誰が正しいではなくて、何が正しいかを考える」としているが、これが正しいと
  すると、今日のマスゴミ、評論家、知識人、政治家の多くは「プロフェッショナル」
  失格ではないか。少なくても、日本における彼らは「俺が正しい」と言っているように
  聞こえる。かく言う私もそんな一人かもしれない。
   この態度はまだ正攻法で、この言説の反射として現れる「あいつは間違っている」も
  まだましで、「あいつは間違っている」⇒「あいつは無価値だ」⇒「あいつはスキャン
  ダルまみれで、品性卑しい。よって、あいつの言うことは間違いに違いない」という
  具合に人物評ばかりが優先される昨今だ。
   これがさらに酷くなり、スキャンダリズムに堕するようになる。
   「堕する」なんてまでお行儀が良い方で、今やこのスキャンダリズムが常態化して固
  定されて底が抜け、でっち上げがまかり通るのが昨今のマスゴミです。



   先日、評論家・故草柳大蔵氏の回顧ミニ番組がやっていて、「週刊新潮」創刊に立ち
  会われた当時を振り返っておられた。「取材スタッフ」と「アンカー」(文章書く人)
  の分業が成立する過程が述べられたが、取材過程で主観を排さないといかにアンカーの
  筆が立ってもダメであることを穏やかであるが熱っぽく語る故草柳氏には、「プロフェ
  ッショナル」が感じられた。
   あの頃はマスゴミではなく、マスコミだったのだろう。
   

   政治家も同様で、「今、何をなすべきか」⇒「何が正しい」を主張する政治家は減り、
  「『俺が正しい』のつばぜり合い」⇒「『俺が正しい』すら放棄」⇒「国体政治」が
  大手をふってまかり通るようになっているのではないか。

                           (つづく) 

 


スポンサーサイト

箴言 | コメント:0 |
<<ドラッカーの言葉 #1(後編) | ホーム | 小沢強制起訴(やはり、「あの時」が・・・)>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |