素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

新・日本的経営はいつ始まるのか?(後編)

   



   1929年、大恐慌以前、日本資本主義の黎明期から勃興期は、日本も終身雇用、
  年功序列ではなかったことをご存知だろうか?

   企業の合併・買収が頻繁で、労働市場においてもより条件のいい企業を求めて人々は転
  職を繰り返していたという。終身雇用、年功序列はそれ以後のことであるようだ。
   アメリカにだって終身雇用と似た雇用形態が存在した。GMでは勤続30年のリング贈呈
  とかあって、親子3代GMの社員という家族もいる。
   JALみたいなもんだったのかもしれない。
   退職者の福祉に厚かったのでGMもJALもあ~なってしまったとも言えるか。

   日本が高度成長成し遂げたのは国民性にも由来する部分もあるが、規制だらけの「世界
  一成功した社会主義」のもと終身雇用、年功序列の安定的な雇用形態があったことは間違
  いないと思う。別に労働市場の流動化(派遣、非正規社員)で高度成長を成し遂げたわけ
  ではない。もちろん、今や時代が違うわけだが、金融、サービスならいざ知らず、メーカーの
  商品開発⇒商品化は一朝一夕にできるものではないでしょう。それをやらなきゃイカンから
  たいへんなわけだが。
   
   ホンダが数年前、富裕層向けの小型ジェット機を販売したが、あれだってホンダ創業と
  ほぼ同時期から研究開発していたと記憶している。ニコンがS3というアナログの復刻モデ
  ルを発売したのも別に一部マニアの需要に応えるだけではなく、「10年に1度くらいこういう
  製品を商品化しないと技術者、職人の手が落ちる」という事情もあるわけです。
   年功序列は無理でも、メーカーには終身雇用があっても良いと思うのです。
   今も保持しているか定かではないが、横河電機は子会社をたくさん作って、終身雇用を
  守っていた。
  
   日本人には確固とした「個」はそもそも馴染まないと思う。その代わり、日本人は世
  界に類を見ない「組織形成能力」を有している。たかが、経済効率性を追求するが
  ゆえにこの人的資源を損なうことは、経済発展のため著しく環境破壊するようなも
  のである。環境保護も結構だが、その前に人的資源を保護せよ。


   早期退職者の受け皿がないのなら、専門学校で教員として雇ったらどうだ。
   名前は大学でも実質は専門学校みたいなところがいっぱいあるのだから。
   (この件は稿を改め詳述します)

   それに今やすべてが「コモディティー化」の時代である。
   少しくらい先端技術でもブランディングが功を奏さない限り、やがてすべては「コモ
  ディティー化」し価格の叩きあいになる。
だったら、いっそのこと家電はやめして、三菱
  重工のようなリアルに重厚長大で先端技術に特化するのも選択肢かのしれない。

   もういい加減、「海外では~」「世界にとり残される」的な思考を脱し、日本は日本人に
  見合った経営を考えても良い頃ではないか?
   かつて、終身雇用、年功序列の日本的経営をすすめたように新・日本的経営が求め
  られる。 新・日本的経営がどのようなものか私にはまだ定かではない。
   それを成し遂げるのは、あなたかもしれない。
          
                        (了)




東京の合唱
小津安二郎監督作品。
サラリーマンになることが少し前の
IT企業に勤めるようにカッコ良
かった時代の映画。
 


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