素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

「生き抜く 小野田寛郎 」を観て





   年末、NHKは3年13話で総製作費約250億円と言われる「坂の上の雲」に予算使い切っ
  てしまったせいか、再放送が目立つ。そんななか、BS ベストオブベストという一連の再放
  送が気になった。その名のとおり、過去の放送のベストオブベストを放送するのだが、
  「生き抜く 小野田寛郎 」はこれが再々放送となる。

   私が10代の頃、小野田さんはフィリピンのルパング島から帰還したのだが、当時の大多
  数の日本人同様、私も彼に関して興味本位に過ぎなかった。ブラジル移住後の彼について
  は、とんと興味なく、この番組も初回(2005年)、再放送(2007年)ともにスリーして
  いた。なぜだが、今回気になったのだが、このタイミングが観てよかったと思う。
   逆に言うと、以前に観てもピンとこなかったであろうということです。



 ◎ 情報将校 小野田寛郎

   まず、最初に彼が情報将校であったことを認識しなければ、なぜルパング島で29
  年にもわたって「戦闘」を継続してきたのか、いま一つわからないだろう。
   
   小野田さんが29年もルパング島に残留したのは、単に終戦に無知だったからではなく、
 「作戦」を遂行していたからであります。

   この件は後述するとして中国で貿易商を経て兵役についた小野田さんは軍部から陸軍中
  野学校に入学すべく「スカウト」される。当時の軍部は兵役義務のある男子についての個
  人情報を掌握していたわけであり、小野田青年は情報将校にむいていると判断されたから
  「スカウト」されたわけだ。
   当時の情報将校の素養として、
  
   「語学」、「車の運転」、「写真術」、「無線」

   が挙げられるそうだ。
   小野田さんは中国で貿易を商っていたことから中国語に堪能であり、「車の運転」、
  「写真術」(自ら現像)、「無線」、これらもすべてマスターしていたうえに、剣道の達人で
  あった。これだけでもかなり有望なのだが、もっと大事な資質があったと思う。
   それは意思強固で負けん気が強く、かつ勝負好きであるのと同時に柔軟という
  ことだと思う。

   インタビュー中、何度も小野田さんの口から「負けず嫌い」、「意地が強い」という
  フレーズが出てきた。そのくせコチコチの軍国少年だったわけではなく、中国のフランス
  租界で「よく働き、よく遊んだ」そうであります。彼は「大東亜共栄圏」、「八紘一宇」
  等の帝国軍人の思想にがんじがらめであったわけではない。
   逆に言うと、そういう人間では情報将校は務まらない。
   情報将校はともかく、およそ「情報の世界の住人」にはそぐわない軍首脳部だったから
  こそ、作戦ばかり重視して「日本軍の宿痾」といわれるほど情報を軽視したのだと思うの
  であります。
   
   小野田さんへのインタビューを観ながら、私はフェルナンド・ベラスコのことを思い
  浮かべていた。ベラスコはもっとクセのある人物だと思うが、「反骨精神」(負けず嫌
  い)、「意思強固」、「物事にこだわらない」、「勝負好き」、これらはどうも両者に
  共通している。
 
   ベラスコは、闘牛士から情報の世界に入り、一線引いてから、また闘牛士に戻ったのだか
  ら、勝負好きだし、小野田さんも剣道の達人でなおかつお金があれば投資(勝負)すると言
  うのだから、やはり共通する。
   学生時代、剣道部から野球部に部員引きぬかれそうになって、「教師と生徒」の序列が今
  よりも厳格だったにも拘わらず、「先生もルールを守らないといけない」と小野田さんが
  教師に喰ってかかったというエピソードも彼の「反骨精神」の現れであろう。

   情報将校として十全な素養と資質を兼ね備えた小野田青年は、やがて一般軍人と
  全く異なる、いや真逆の命令をうけて戦地フィリピンに赴くことになる。


                              (つづく)  





 
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