素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

ゴダールが教えてくれた VOL.4

  さて、ゴダール(社会の変革 CIA)に戻ります。
熱い政治の季節は一部の人々を除いて、結局、「お祭り」だったと揶揄
されたりしますが、間違いなく「社会の変革」は達成されたのです。
 これらを共通認識として出発しましょう。

  今日の「家族」、「地域社会」、「ライフスタイル」はもはや空気のように当たり前
ですが、60~70年代の「社会の変革」がないと、今でも我々は「小津映画」の
住人ということになるでしょう。
  これら「社会の変革」は、音楽、映画、ファッションと言った「文化」の影にやや
隠れた感じで、あまり意識されません。これらの「文化」については憧憬の念を
もって語られることが多く、また「モダン」が色濃かったことから、実際、魅力的
なわけです。

  それでは社会の変革の方はどうなんでしょう。
  まず、「家族」を中心に考察します。
  先ほど小津映画を引き合いに出しましたが、あそこに描かれた「家族」を持って
  「日本の~」と言われることが多いですが、私はこれに違和感を覚えます。
  小津映画に描かれて「家族」はモダニズムを経過した東京、若しくは都会に
現れた「家族」なのであって、地方、田舎は大島渚の「儀式」の世界に近い
でしょう。地方、田舎は戦後も封建的家父長制がしっかり残っていたと思います。
  それに比べれば、現代の「家族」の方がずっといいように思われます。
  「社会の変革」のおかげであって、「社会の変革」よ、ありがとう、ですか?
  「家族」、いや「家庭」は女性に負うところが大きいのですが、女性が家に縛り
つけられなくなり、社会進出して女性の地位が向上して何よりです。
  再び問います、本当にそうですか?


麦秋
小津安二郎監督「麦秋」 民主的家族はヨコ構図。

儀式
大島渚監督「儀式」 封建的家族はタテ構図。


  80年代なら、「いや~女性の時代ですよ」なんて呑気なこと言ってられましたが、
今や違うように思います。女性の解放・地位の向上と「父性の衰退」はパラレル
のような気がします。この辺は微妙なことであり、ブログで書ききれるような話でも
ありませんし、ジェンダー論争にも発展しかねませんので、深追いしません、そんな
不毛なことをする気がありません。
  「父性が衰退」したら、社会にどういう影響を及ぼすかその点から考察します。
  毎度おなじみで申し訳ありませんが、今だにこれ以上に説得的なものを知りません
ので100年前の碩学・デュルケムに登場願います。
  父性=権威なくしては人はアノミーになり、いかなる狂的な行いをもし得る。
  もちろん、ここで父性とは必ずしも父親のことではないのですが、第一義には
家庭における父親に子供が同一化することにより形成されるでしょう。

  「父なき時代」と言われて久しい。
  世間を騒がすわけのわからない事件は、もちろんデュルケムだけでは説明が
つきませんが、デュルケムなしの言説は虚しいものでしょう。
  女性の解放・地位の向上と父性の衰退がパラレルと述べましたが、もうひとつ
忘れてはならないものがあります。それは「若者」の台頭であって、「テーンエイジャー」
という言葉で象徴されます女性の解放・地位の向上とともにテーンエイジャーの台頭
も60~70年代の「社会の変革」を通して出現したことも忘れてはならない。

(「テーンエイジャー」という言葉の出自そのものが意味深なのですが、それは後述します。)
  女性(妻)と若者(子供)が台頭すると、父親が相対的に地盤沈下することは小学生でも
わかる力学でしょう。単に「ものわかりのいいお父さん」やっているだけではなくて、
何故、「父性」が必要なのか、自覚的でない限り、早晩、「父性」は衰退化していきます。


  「父性」が衰退化してアノミーに近づくことは、世間一般の人々にとっては歓迎すべき事態
ではないのですが、ある人々にとってはご注文どおりの事態でしょう。
  完全なるアノミーとなれば、「家庭」は崩壊し、「地域社会」も霧消して、疑心暗鬼、
猜疑心に満ち満ちた、砂粒のような「個」が残るだけです。砂粒のような「個」と「国家」
がダイレクトにつながる、これこそ彼らが望む体制でしょう。
彼らとは第一義的には権力者、為政者ですが、結局は「ヘビ族」=絶対権力者のことです。
  あらゆる局面でリスク社会であると喧伝しておいてから、いきおい規制を強化して相互監視
させれば、さらに彼らの望む社会に近づくでしょう。

  ちょっと、ジョージ・オーウェル「1984年」の世界に走り過ぎちゃったかもしれませんが、
アメリカにおいて「家庭」とともに「地域社会」等のいわゆる「中間組織」が崩壊して
「個」と「国家」がダイレクトにつながるようになった様は佐伯啓思先生が正確かつ緻密に
分析されているとおりです。

  何故、そんなことになったかと言うと、直接的には国内産業が空洞化してサイバー金融
資本主義へと国家が舵切ったからですが、60年代に始まる「社会の変革」がその根底
にあることは無視できないでしょう。

                     (つづく)


ダメおやじ

                    鬼嫁や子供らに徹底的に苛め抜かれる
                    情けなくて、可哀そうなおやじ。
                    1970年連載開始の本作は未来を予言していた?




               
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