素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

歌うクジラ 後編(その1)




 
 ◎ ステレオタイプという関所を突破する通行手形
                                 以下 ネタバレを含みます。
   
   仮にも小説について論じているので、作品世界の背景ばかりではなく少しは小説そのもの
  についてもふれておこう。
   ずばりそのものかどうかは定かではないが、この小説はサイバーパンクSFの系譜で語ら
  れるべきものであろう。いや、もっと遡れば終盤、宇宙居住空間「35号棟F」での“ 神 ”の
  一人、ヨシマツとアキラ少年の対決は誰がどうみても「2001年 宇宙の旅」のコンピュター
  HAL9000とボーマン船長とのバトルを想起させる。
   “ 神 ”であるヨシマツはもやは人間であって人間でない。ヨシマツがSW遺伝子を享受し
  得る最上級層の完全無欠な存在にして、実は部分的に回路がショートする破綻している存
  在である様は、完全な人工知能HALがコンフューズしていることに通じる。

  
    その間、ごく短い時間だったが、ヨシマツは音声信号を止めた。
    何かコントロールできないことが起こって、パワーをリセットしたような全身の
    動きと沈黙だった。どうしたのだろうと単眼のレンズを覗きこんでいると、ライン
    が混乱したようだ、すまなかった、というこれまでと同じトーンの人工音声が響
    いてきた。

    すでに、アキラ、お前はわかっていると思うが、この容器の中で合成髄液に浮か
    んでいる脳だけが本来の私なのだ。

         (中略)

    唯一のわたし本来の器官である脳とケーブル制御装置に混乱が起こったようだ。
    まだ少しだけ混乱が続いているが、もう少しで回復する、特別なケーブルなので
    消耗が激しい。三年から五年経つと消耗が頂点を迎え、ごくまれに混乱が起きる。
    ケーブルの補修はわずか数十秒で終わる。ほら、もう終わった。

                  ~ 「歌うクジラ」下巻 p286 ~ 


 
   本作の評価が分かれるとするなら、その一因はおそらく下巻中盤以降がかなりステレオ
  タイプだからではないか?
   劇的な展開として描かれるはずの“ お宝の不在 ”も“ システムに組み込まれた反逆者 ”
  もいまいち不発のような気がする。

    【お宝の不在】

     父親は死ぬ前に、社会を転覆させてしまうような重大な秘密が書き込んで
     あるというチップをぼくの足首に埋めた。チップにはSW遺伝子の重大な
     秘密が書き込んであるらしかった。ヨシマツはそのことを知っているのだ
     ろうか。そして、ぼくを生んだ母親だが、彼女は本当の母親なのだろうか。

     アキラ、その通りだ。ヨシマツが細長い手足を移動させながら単眼のレン
     ズをこちらに向け、語りかける。あの、お前がその男のことを父親だと思
     っている男が入手したという秘密を書き込んだチップは、もちろんわたし
     たちが用意したものだ。
  
                  ~ 同書 下巻 p265 ~


   お宝 = SW遺伝子の重大な秘密は、アキラ少年を呼び寄せるためのまき餌(え)で
  あって、そもそも存在しないというわけだ。「宝さがし」という「物語」の亜種でもある本作で、
  これは掟破りのようでもあろうが、“ お宝 ”が開陳されたなら、本格小説としてはあまりに
  ステレオタイプでもはやゲームになってしまう。この危うい陥穽(かんせい)を村上 龍は
  さけていると思われる。
   ゲームに慣れ親しんだ人には、この点許しがたいのかもしれない。

      
    【システムに組み込まれた反逆者】

     (前略)アンジュウは文章を書きはじめて秘密の概念に気づき、わたした
     ちの世界に接近してきた。もちろん事実は逆で、接近してくるようにわた  
     したちが操作したのだ。最上層からアクセスして情報がアンジョウのネッ
     トワークに紛れこんでしまったように偽装した。

                  ~ 同書 下巻 p298 ~

 
   これは、映画「マトリックス」でネオらザイオンの反乱が予めプログラミングされていることと
  全く同じだ。
   ことほど左様に下巻中盤以降はステレオタイプではないかと思われるところがあるの
  です。
   それでも本作は、ステレオタイプという関所を突破する通行手形を携えていると思う。
   その通行手形とは「メモリアック」という書体で書かれている。

    確かにぼくは全裸の女に意識を奪われていた。だがすぐそばにいたアンジョウ
    の異変に気づかいのは不自然だった。サブロウさんが突然アンジョウの首に触
    れるのも不自然だ。まばたきすると、点滅する映像看板のように深紅のカーペ
    ットを這う裸の女の尻がフラッシュバックしてよみがえった。視線を移すと、
    まるでビデオ映像を巻き戻しているかのように、アンがペースト状のステーキ
    を食べているシーンが何度か繰り返し脳裏を横切り、ぞろぞろとスペース内に
    現れ、管理官と呼ばれる男に深々とお辞儀をしてから空いている椅子に座る男
    たちの姿がとぎれとぎれに目の裏側に映った。

    時間の感覚がおかしくなっている。アンジョウのこめかみに太く青白い血管が
    浮かび上がっている。自分は殺されるのだとアンジョウは言っていた。だが、
    サブロウさんの毒がアンジョウを殺すことは想像できなかった。

       (中略)
      
    想像せよ。またその信号が届いて、ぼくはビクンと背筋をふるわせるが、言葉
    が発せられているわけではないと気づく。想像せよ、という言葉が届いている
    わけではない。どこかにメモリアックがセットされているのかもしれない。
    視覚と、それに時間の感覚が狂っている。だが、信号は言葉としてぼくに届い 
    ているわけではない。目の前の情景、目の裏側で点滅する映像、全裸の女が発
    する汗、長い上着の男たちが口に運ぶペースト状の肉の匂い、風と鐘の音で構
    成された音楽、ステージ上で性器を勃起させた男たちの悲鳴と泣き声、それらが
    ぼくの記憶のありとあらゆる言葉を消去して、想像という名詞と、せよという動詞
    を組み合わせた言葉の意味だけを浮かび上がらせている。

                ~ 同書 下巻 p71 ~



                                (つづく)





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