素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

歌うクジラ 後編(その3)

 
 ◎ 「神殺し」を超えて 

   「歌うクジラ」は一面において「1Q84」と同様、「神殺し」の物語であります。
   前者では、ヨシマツが後者ではさきがけのリーダー・深田が “ 神 ” です。
   両者共にアサシン(暗殺者)の訪問を予期し、半面において死にたがっている。
   「歌うクジラ」は圧倒的情報量と小説の舞台設定によって、「1Q84」は抜き差しならない緻
  密な構成と多層的な小説形態に覆い隠されているが、どちらも「神殺し」が重要なモチーフ
  です。
 
   「1Q84」の場合、ニューエイジカルトに踏み込むかという構えだけで、さきがけのリーダー
  深田に物語構成の多重的支点という重要な役割を演じさせているが、彼の実態は謎の存
  在、リトルピープルの引き立て役でしかない。「歌うクジラ」のヨシマツは小説世界のAI、
  すなわちもう一人の作者のような重要な存在だが宗教性・神秘性は微塵もなくこの点
  「1Q84」と好対照といえる。
   村上 龍はかつて少しはふれた神秘主義を一切排し、徹頭徹尾、科学的思考に基づいて
  書いている。だから、「歌うクジラ」はいわゆる「陰謀論的」ディストピアではなく、空想科学
  小説(SF)だと考えていいのでしょうか?
   そもそも「ディストピア」としてカテゴライズされる小説に「陰謀論的」と冠すること自体奇妙
  なことなのであります。「ディストピア」と言いたいところですが、そうすると私のいう小説世界
  は「ディストピア」ではなく陰謀論だと言い張って譲らない輩がいることから「陰謀論的」ディ
  ストピアと言ったまでです。
   カテゴリーとして「ディストピア」とラベル貼って納得する人が多い。
   「ディストピア」の祖と称されるH・G・ウェルズがどんな存在だったかと知れば、このラベル
  はあっさりはがれるだろう。私にしてみれば「ディストピア」とは、すなわち「NWOもの」
  に他ならない。欧米ではこの「NWOもの」が脈々と受け継がれている。特にH・G・ウェルズ
  を含む初期ディストピアは彼らのアジェンダのプロパガンダであります。もちろん、村上 龍
  のように純粋に思考力と想像力だけで「ディストピア」(≒NWOもの)を上梓している作家
  も多いでしょう。それは、現実の政治・経済・社会が進んで、彼らのアジェンダに近づいてき
  ているからです。彼らにしてみれば自身の思考力と想像力で「NWOもの」書き上げた作家
  たちは、彼らのアジェンダのPRに協力してくれた有り難い存在ということになります。
   いかにプロテストしようと、彼らのシステムにプログラミングされた存在です。
   「マトリックス」のネオや「歌うクジラ」のアンジョウのように。

 
 
          リトルピープル 
           地元のリトルピープル。火事で今や跡形もない。
           彼らが姿を消したのは私が彼らの秘密を暴いたから?
           冗談ですよ(笑い)。


   そうは言っても科学は違うのでは?
   科学(的思考)だから、客観的で必然性が高くリアルだと誰もが考える。
   我々はもはや、この “ お墨つき ” すら怪しいと言わざるを得ないところまで旅してしまい
  ました。
   イルミナティー(バーバリアン・イルミナティーのこと)のグランドマスターはピタゴラスに始
  まって、歴代、教科書にのるような哲学者、科学者等でした。(ライプニッツ、ヘーゲル等)
   我々が「歴史の真実」の一端しか知らないように、いわゆる科学者の知る「科学」もイルミ
  ナティーのグランドマスターからすれば「科学」の半面くらいなのではないでしょうか?
   彼らの説く「すべてが始まった0次元」などノーベル賞学者でも理解不能なのでは?

   わき道にそれましたが、科学的思考だから陰謀論に無縁だということにはならないの
  です。これが前・中編を通しての結論でした。
   実証しようがないことなので、実に反科学的な科学論ですが、世間一般の「科学」であろ
  うとイルミナティーの「科学」であろうと、いずれの立場をとろうと共通して明解な事柄が
  あります。
   
   いずれの科学も神(ヤハウェ)を信じていないということであります。
 
   イルミナティーの科学者はルシファーを信じており、グノーシス主義に奉じていると
  言われます。グノーシス主義とは簡単に言ってしまえば、人間自身が聖なる存在であり、
  神にもなり得るという思潮です。つまり、彼らにとって最も優れた者が神となるのは必然
  なのです。優生学があろうとなかろうとグノーシス主義がある限りやがて “ 神 ” が現れ
  るのです。そんなものとは無縁だと世間一般の科学者が言っても多くが無神論者である
  彼らは科学の飛躍的進歩によって “ 神 ” を作り出すのです。これが「歌うクジラ」の
  ヨシマツでした。
   飛躍が過ぎるように思われるかもしれませんが、世間一般の「科学」であろうとイルミ
  ナティーの「科学」であろうと終局的には人間が “ 神 ” になるのか、神をつくり出す
  ことに変わりはないと考えます。
   でも、この “ 神 ” はどうも悪魔的なのです。
   確かに絶対神との対話、契約から論理が必要となり哲学、数学が生まれ、やがて科学に
  発展していきました。日本のような汎神論的「八百万の神々」では、同一律、矛盾律、
  拝中律などの論理学の基礎は曖昧なままだったかもしれません。科学が生まれるために
  はどうしても絶対神が必要なのです。その一方、唯一絶対神との対峙から生まれた科学は
  悪魔も生み出したと考えます。悪魔もいろいろいるのですが、その一つが「非対称性」で
  あると思います。非対称性の権化である資本主義が究極の資本主義に向かうに従い、一極
  へ集中していくのは当然でしょう。一極の頂点に立つものはやはり、“ 神 ”となります。
   この神殿で唱えられる勅(みことのり)は社会科学たる経済学の合理性・効率性に基づ
  いています。
   自然科学であろうと社会科学であろうと、西欧科学の淵源には神(ヤハウェ)との対峙
  対立があるのですから、アンチ・キリストではないですが、“ 神 ”とは神(ヤハウェ)
  と似て非なるもの、すなわち悪魔的なのです。
   科学万能主義の正体はここに求められると思います。
   さらに言うと私はここに西欧科学の限界をみるのです。

   淵源まで遡らなくても科学は宗教(一神教)とどうしても対立します。
   ところが仏教は必ずしも科学と対立しません。僧侶でもないので私には隅っこをか
  する程度しかわかりませんが、仏教の深遠な世界は物理学の発展によってようやく理解さ
  れ、腑に堕ちる一面があるようです。
   
   西欧科学的思考の果て、村上 龍は小説世界で “ 神 ” ≒ 悪魔を作り出したのだと
  思います。この悪魔の支配から逃れるには「神殺し」しかないのです。
   例え、「神殺し」に成功したとしても西欧科学を金科玉条のものとする限り、また新た
  な “ 神 ”を作り出すことになるでしょう。
   まさに無間地獄であります。
   「神殺し」を超える救済は西洋にはなく東洋の叡智に求められると思います。
   気功は西欧科学ではインチキの類でしょう。
   私は「20世紀のパラダイム」たる量子力学の先、ブラックマター、暗黒物質の世界と
  気功の原理はつながると推論します。もちろんそれは仏教にもつながっている。
   「宗教 VS 科学」は20世紀的パラダイムであって、21世紀は宗教と科学がつなが
  ると考えます。宗教といっても1神教ではなく仏教をはじめとする東洋の叡智によって
  もたらされる事態だと思います。

   村上 龍にはもう西欧科学的思考は捨てて、東洋の叡智に根差した幻想小説を書いて
  欲しいというは無理な相談だろうか?

                    (了)



スターウォーズ
 ジェダイの「フォース」とは「気」の
 強力なやつだと私は考えています。



 
  


 
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