素晴らしき放浪者の戯言

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江戸三十三箇所 特別編 「そもそも仏教とは何ものか?」 前編

   



   かねてより予告されていた「隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?」が上梓され、か
  なり前に読み終えていたのだが、どうも書きあぐねていた。
   何故だろうか?
   著者・副島隆彦はベンさんを否定し、いわゆる「陰謀論」を排する。
   (共同謀議は認めているが。)
   おそらく、量子力学の先、ブラックマター、暗黒物質もとりあえずネグるだろう。
   だから、量子力学の最高傑作の一つ、原子力発電を否定しないしどこかで擁護している。
   全く関係ないようでこのことが本書の基本構造と連関する。   
   例によって仏教の「隠れた歴史」をあばく手さばきは見事だが、本書の基本構造にどうも
  不満が残り、これが書きあぐねていた理由だ。
   この件後述するとして観音様巡りしている私としては本書にふれないわけにはいかない。

  
  ◎ 阿弥陀如来、観世音菩薩、弥勒菩薩 

   私のような仏教に知識のない人間でも本書が説く阿弥陀如来、観世音菩薩、弥勒菩薩の
  真実は注目に値する。
   副島氏はこの三者はどう見ても女性であり、その正体はすべてイエス・キリストの
  妻マグダラのマリアであると推定、いや断定する。

   何で阿弥陀如来がマグダラのマリアなのか随所で説明されるが、どうもガンダーラ地方の
  仏教のあり方に集約されるようだ。紀元前2~3世紀、中央アジアから現在の北インドの
  パミール高原、すなわちガンダーラまでクシャーナ朝が支配していた。この時代、仏教にキ
  リスト教が流れ込んできたという。

    カニシカ王のクシャーナ帝国でキリスト教と混じった仏像であるガンダーラ
    美術が繁栄した。多くの仏教建物も建立された。この仏教文化は、
    ギリシャ彫刻(ヘレニズム)のようでもあり完全にキリスト教と混じっている。
    だから阿弥陀如来もまた、この2~3世紀に、北インドのこのガンダーラで
    生まれたのだろう。阿弥陀如来の像も明らかにマグダラのマリアのマリア像
    そのものである。

      ~ 副島隆彦 著 「隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?」~
  


   「そうなんですか?」と言うしかない。
   でも、この数ページ先にはこう書かれているのであります。
  
    特筆すべきはガンダーラには阿弥陀如来などの像はない。
    ブッダの像だけである。


   そもそも釈迦周辺には偶像崇拝はなかったのだが、ギリシャ、ローマの影響で仏像が作
  られ「仏」を拡大しブッダ以外の仏様が出現するに至ったと説明される。
   その後、ガンダーラでマリア信仰が阿弥陀如来信仰に変形され、3世紀に中国に阿弥陀
  如来が広まり日本へも渡ってきた。
   この一連の流れは腑に落ちるとしても、それでは何故、阿弥陀如来発祥の地、ガンダーラ
  に「阿弥陀如来などの像はない」のか、そのあたりは詳らかではない。
   
   観音菩薩、弥勒菩薩に関してはさらに錯綜していて、その原型は敦煌の石窟美術に見ら
  れるという。

    石窟寺院であるから、釈迦三尊像の原型がたくさん彫られている。石窟の中に
    造られている。敦煌莫高窟の第45窟の像はとりわけ興味深い。釈迦の左隣に
    阿難(アーナンダ)がいて右隣に目蓮(モッガラーナ)がいる。  

           (中略)

    その阿難と目蓮の両側にそれぞれ白い肌をした女官のような美しい女性がいる。
    そして、これがのちの観世音菩薩と弥勒菩薩の2人なのである。そのように私
    は決めつける。
                     ~ 前掲同書 p50 ~
    
  

   阿弥陀如来、観世音菩薩、弥勒菩薩共にマグダラのマリアの変形としながらも、もう一つ
  の原型の存在を認めるわけだ。「マグダラのマリアだ」と主張しながらもイメージが混同
  する仏教的世界にさすがの副島隆彦も絡め取られる。 

   
   さて、本書の論考はひとまず置くとして私は「江戸三十三箇所」で「日本佛教語辞典」
  に準拠して観世音菩薩とは何かひもといている。

    【菩薩】・・・・「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略。
            ①前世におけるブッダの呼び名
            ②大乗佛教の修行者
            ③大乗佛教における信仰・礼拝の対象。
             大乗佛教において「佛(ぶつ)」と並んで数多くの菩薩が登場し、
             信仰・礼拝の対象となった。文殊(もんじゅ)・普賢(ふげん)
             地蔵・虚空蔵などがそれで、いずれも「佛」の特性を象徴化し、
             神格化したほとけである。
             なお、異教徒の神も佛教の中に採り入れられ、菩薩と呼ばれ、
             ほとけとして尊崇された。観世音菩薩、弥勒菩薩などが、それ
             である。
   
      これだね、と思いもう一度「観世音」をよく読んでみる。


    【観世音】・・・アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)で直訳すると、
           「観自在」であるが、古くはアヴァローキタ=スヴァラであったらしく
           (スヴァラは「音声」の意)。
            元来はイラン系の女神で、「変性男子」の説に従って佛教では
            男子化された。

                       -出典 「日本佛教語辞典」-


 
   本書の説明もほぼこれと符合している。

    だから菩薩は佛教の修行者の意味である。

          (中略)

    ここで一つの説を説く。「観世音菩薩とは、若い頃の王子様の時の
    ゴータマ・シッダルタ(ブッダ)の姿」とするものだ。

          (中略)
 
    それではこの観音菩薩はどこからやって来た女神様か?
    どうやら、ペルシャ(イラン)高原で生まれたソロアスター教の主神
    であるアフラ・マズダの長女のアナーヒターから来たらしい。

            ~ 前掲同書 p15~18 ~
 
   
   著者は後段(p188)で観世音菩薩とは、アナヒーターのことであるしている。
   これは第1義的な定義であり、インド・中国を経由して時代が下るとさらにやや
  こしい。ブッダの思想はヒンドゥー教の中に入ったゾロアスター教であろうとした
  うえで、ヒンドゥー教の読経、「オン・マニ・パドメ・フーム」(蓮華の宝珠よ、
  幸いあれ)のマニパドメ(白または赤の蓮華の花)が「法華経」の「(妙)法
  (蓮)華経」そのものを指すという。
   さらに、この白連(パドメ)が観音さまと説明される。
   まだまだマリアさまには辿りつきませんな~。
   長大になることから大胆に省略するが、著者曰くのそのそも仏教は小乗だったものが大
  乗の思想がおこると「衆生の救済」という概念が加わり、つまるところ大乗仏教 ≒ キリ
  スト教と捉えれる。
 
    そして、ブッダから650年後に龍樹が大乗仏教の1つとして「般若心教」を
    書いたとき、冒頭に出てくる観音さまは、元々パドメ(白い蓮の花の女神)で
    あったが、当時、西方からアジアに押し寄せて来て女神マリアに取って代わら
    れ、姿を変えたのだろう。

                 ~ 前掲同書 p196 ~ 

    
   ナルホドと納得しそうだが、副島氏を直接インスパイヤーしたものは映画「スターウォー
  ズ」だろう。
   
    「スターウォーズ」の一作の中で、パドメは自分が仕えるクイーン・アミダラ
    (阿弥陀羅女王)を警護する侍女の役目として登場した。アミダラ女王と侍女
    パドメの二役をイスラエル出身の女優ナタリー・ポートマンが演じた。
    アミダラにパドメが入れ替わることで女王が命を落とすことから逃れる。
    パドメの方が、本当のアミダラ女王と分かる。

       (中略)

    今のアメリカ帝国(世界覇権国)のジョージ・ルーカス監督が、ここに阿弥陀
    如来(アミダラ)と観音菩薩(パドメ)のアジアの二人の仏教の女神を出現さ
    せる脚本と構成を作った。私はこのことに、歴史の「時空を超えた力」を感じる。

     
               ~ 前掲同書 p196~197 ~


   役者が二役をやり入れ変わることから阿弥陀如来も観世音菩薩も同じだと私(ルーカス)
  見切っているよと仄めかしているのか。実際、ルーカスは世界中の神話、伝説、宗教等を
  徹底的研究して「スターウォーズ」と作っている。さもありなんというものだ。

   ただ、「第9章 現代の阿弥陀如来」で現代の阿弥陀如来、観音さまはオタクたちが好む
  マンガ、アニメの少女のだと説くに至って、崇拝の対象しての女性という意味なら、受験
  予備校の「今年もズバリ的中」と一緒ではないかと思うのだ(笑い)
   阿弥陀如来、観世音菩薩、弥勒菩薩がマグダラのマリアとしたのは、仏教もキリスト教
  の影響下にあるということを示さんがためだろう。おそらく、それは日本仏教界の「公然
  の秘密」なのだ。

   著者はさらに小乗仏教、いや根本仏教こそがブッダの教えなのだと説いていく。

                                  (つづく)

 





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