素晴らしき放浪者の戯言

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江戸三十三箇所 特別編 「そもそも仏教とは何ものか?」 後編

   



   著者・副島氏は、そもそも仏教は大乗仏教(衆生救済)ではなく自力本願であるとした。
   それを強調せんがため大乗仏教にキリスト教の影響が強いことを述べた。
   
   それでは自力本願を主眼とする禅宗は仏教足り得るのか?
   副島氏は禅宗にも否定的だ。
   理由は簡単、禅宗の僧侶がそもそもブッダを信じていないからだ。

    そして、何と、この日本の禅僧たちが信じたのは朱子学である。
    彼らは前述した理由の通り、仏僧のくせにブッダの思想を(仏典)を信じて
    いない。彼らは仏典より朱子学(儒教)という外国の文献を必死で学んだ。

     ~ 副島隆彦 著 「隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?」~
                引用以下同様


   次の一文はさらに手厳しい。

    このようにして江戸時代に入ると仏教を棄てた仏僧たちから朱子学そして
    国学が興っている。そういうわけだから、禅宗は「神も仏も信じない」の
    である。本当の本当は、これは「やっぱりこの世(現世)では、お金(資金、
    資本、資産)が一番大事」という思想である。禅宗は人間なるものを突きつ
    めた思想であるから、虚無(nihilism ナイアリズム)に行き着くに決まって
    いる。このナイアリズムをドイツ語でニヒリズムと言う。虚無の思想に行き着
    いた。だから、禅宗の坊主は、一切衆生の救済なんか絶対に言わない。と言い
    ながら、それではさらに何に行き着いたかと言うと、何とまぁ、「結局はお金
    が大事。自分の生活の豊かさが大事」になったのである。

                      ~ p128-129 ~


   それでも親鸞がいるではないか?
   五木寛之氏曰くの日本で一番危険な思想「歎異抄」の「悪人正機説」はどうなのか?

    悪人正機説とは、「いくら善人で善行をつんだからといっても往生できるかど
    うかは分からないのだ。どれだけ阿弥陀さまにすがりついても、極楽に行ける
    ことの保証は何もない。それと同じように、大悪人がどれほど悪行を重ねて多
    くの人を殺したからといっても極楽に行けるときは行けるのだ。悔い改めるこ
    となどどうでもいい。すべては神(仏)が決めるのだ」という意味である。

                       ~ p170 ~


    どんなに努力しても、どれほど真面目に働いてもほとんどの人間は金持ちにな
    れない。これを「予定説(予め決定されている説)という。ここで予定とは私
    たちの日常の普通の予定、スケジュールという意味ではない。
    「予めすでに、その人が神によって救済されるかどうかは、神によって決めら
    れているのである。」という思想である。これを“ 大人の思想 ”という。

                      ~ p172 ~

  

   悪人正機説はいくつか解釈があろうが、副島氏は悪人正機説 ≒ 予定説と結論づけて
  いる。
   そんなことをブッダは言っていない。著者はブッダの言葉だけが本物の思想だという。
   つまり、根本仏教に帰れということだ。

    六道輪廻とか輪廻転生という思想は、仏教には一切ない。
    このことは秘密といえば秘密である。が、すでに多くの人に知れ渡り今では 
    もうバレてしまっている。

        (中略)

    ブッダは輪廻を絶対に否定している。
    「死んでしまえばすべて無になる」からだ。

        (中略)

    仏教そのものは徹底的に無神論であり霊魂の不滅を否定する無の思想である。
    「すべては無に還る。死んでしまったらもう何も残らない」という思想だ。 

                     ~ p84-85 ~


   副島氏はブッダが涅槃に入る際のこの言葉がお気に入りのようだ。

    「すべてはうつろう。うつろうものに執着すれば苦しみが生じる。
     されば執着を去らしめよ。すべてはうつろう。ゆえに私(ブッダ)
     を頼りとするなかれ。みずから(自分だけ)を頼りにして生きよ。
     他者に依存することなかれ。自己の身(のみ)を支えとして生きよ」

                    ~ p85-86 ~
 

   こうなるとブッダの言葉はもはや宗教とは言えない。
   どちらかというと哲学に近い。欧米では仏教は宗教ではなく哲学だと語られることが
  多い。主として禅宗を指してのことだと思う。
   本人は明言していないが、著者はこれとは別の側面から仏教(ブッダの言葉)は宗教で
  はなく哲学だと述べているように思われる。
   輪廻転生も先祖供養もない根本仏教の思想が実は現代にも広がりつつあるようだ。

     今はもう、ついに「葬式は要らない」「戒名も要らない」「坊主のお経
     も要らない」「お墓も要らない」「灰と骨は野山に撒いてくれ」という
     時代である。そういう本がたくさん出版され、良い売れ行きをしている。
     人間(人類)は、ついにここまで来た。本当はお釈迦さま(ゴータマ・
     ブッダ)は「出家者(仏僧)には死にかかわるな」と言ったのだ。
     それなのに葬式仏教となり果てた。龍樹(ナーガルジュナ)によって、
     大乗仏教(ナハーヤナ)が紀元前150年頃に作られておよそ2000
     年が経つ。仏教もまた、他の多くの思想と同じく、多くのバカらしいこ
     とを山ほど積み上げたのだ。このことが私にはよくわかった。
     それらのすべてを書いた。 

                   ~ p264 あとがき ~
 

   
   本書はこの風潮とつながる。   
   暴論のようでむしろ世間の実相に即した本だといえる。
   もっとも私は輪廻転生を信じていることからこれらのスタンスとは違うが。

   いやいやちょっと待ってくれ、大事なことを忘れはいないか?
   密教(チベット仏教)はどうした?
   チベット仏教の主神、大日如来はゼウスのことであり、「密教とは何かに、たいした意味
  はない。私は秘儀秘伝の教えというものをもはや信じない。」と著者はっさり片づけている。

   そうだろうか?
   要するに副島氏はあまりに唯物論的に仏教を捉えていないか?
   「人間死ねば無になる」はあの世(霊界)の否定であり、宗教は成り立たないのだ。
   呪術の類だと密教を信じていないようだが、これは「目に見えないものは信じない」、
  「論拠の希薄なものは無意味」という主張に通じる。
   量子力学に代表される20世紀の科学そのものだと思う。
   現代最先端技術を持ってしても完全には見通せないが理論的には存在するとされるブ
  ラックマター、暗黒物質は何一つないと言っているに等しい。
   私は現在、「正統」とされている科学の先の科学を信じている。   
   今のパラダイムが科学のすべてだとは思わない。
   その先の科学とは宗教ともつながると言われる。
   いや、はっきり言うと一神教はつながらない。
   ブッダの言葉から遠いとしても、仏典の中で宗教的天才が直観的に把握した事態とその
  先の科学とつながると考える。

   本書はこの基本構造とは相いれないものであります。  
   キリスト教の影響を受けようが受けまいが、「衆生の救済」は宗教の本分であります。
   宗教と共に仏典には世界の真理が把握されていると思う。
   仏教を思想・哲学だけと捉えるのは片手落ちだと思う。

   本書の意義を認めつつも「その先の仏教解説」が読みたいものだ。

                                  (了)
 






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