素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

沖縄返還が出来てなぜ基地一つ動かせないのだ!? (前編)

   



   「幕引き内閣」と揶揄される野田第3次改造内閣が発足した。
   政権交代時の熱気はどこへやら、普天間基地移設はとん挫したままだ。
    矮小化した政治に分け入ってもしょうもないのでここは一つ大きく捉えてこう言いたい。

    「沖縄返還が出来てなぜ基地一つ動かせないのだ」

   沖縄の基地が日米同盟に重要なのは承知している。沖縄の基地全部を動かせと言ってい
  るのではなく、たかだか基地1つ動かせないのはどうしたことだ。
   
   沖縄返還は佐藤首相によるものだが、岸首相の頃より計画されており10年計画だ。
   辺野古移設も橋本首相のころから数えれば10年計画だ。
   ようやくまとまりかけたのに鳩山首相がお盆ひっくり返した。
   外交交渉の経緯上はそのとおりだろう。
   でも、繰り返すが沖縄に37ある基地のうち1つを動かすだけのことでありあす。
   世界中に配備された米軍基地のうち撤退、返還された基地はいくらでもあります。
   それにしても基地1つに何で10年もかかるのだ。
   沖縄返還時とは何が違うのだ?

   一つには沖縄返還時は、まだインチキとはいえ「米ソ冷戦」の時代だったことが挙げら
  れる。日本は米国にとって対ソ連の橋頭堡でありました。
   それなら米軍基地固定化・強化ではないのか?
   そんなに単純ではなくて「冷戦時代」ではイデオロギーの対立が厳然と存在しました。
   日本の左翼が親ソ、親中、反米のスタンスで強大化してもらっては困るのであります。
   60年安保の時、岸内閣打倒と目指した財界の金とともに田中清玄を介してCIA
  の金が左翼活動家にわたったのは、米国が日本の左翼は分断するためだったと言われま
  す。

   親日派のライシャワー駐日大使が、日本の要求を受け入れたくらたのも日本の左翼を手
  なづける必要があったからだそうです。
   彼が親日派であったから、70年安保闘争は60年安保と比べて大きなうねりにならな
  かったと言われる。沖縄返還が左翼活動鎮静化に一役買っているでしょう。
   親日派のふりして工作しているのだが、今日の駐日米国大使とは全然スタンスが違い
  ます。日本は冷戦構造の時の橋頭保からエコノミックウォーの相手国となった。
   この“ 戦争 ”にもほぼ勝利をおさめた米国は今や終戦時のGHQのようにふるまい
  つつあるのではないでしょうか?
   
   もっとも、沖縄返還は世界史的意義を持っていると言われる。
   時の首相、佐藤栄作は非核三原則を唱え沖縄返還を求めた。

    1968年1月、下田武三駐米大使は打ち合わせのために一時帰国し、
    6日首相官邸に行きます。そこには首相、保利官房長官、木村外務大臣
    が集まります。下田大使は「核抜き」返還がむずかしいと説明します。
    そして、

    「 『 本土並み 』という条件だけなら早期の決着は可能ですが、
     『 核ぬき 』の条件が入ると、早期決着はきわめて困難になる
     と考えられます。どちらをとるべきでしょう」
    
    と首相に問いかけたのです。
    長い、息づまる緊張がつづきます。
    結局、佐藤首相は、
    「下田君、やはり核付きの返還なんて考えられんよ。あくまで核ぬき
     でいこう」と決断を下しました。そして1968年の施政方針演説
    で「核の保有をせず、もちこませず」と表明します。

          
            ~ 孫崎 享 著 「戦後史の正体」 ~ 


   今じゃ核武装する云々言うのはは保守の一部だけですが、当時、沖縄基地には核が装備
  されていたのです。佐藤首相はノーベル平和賞を受賞しましたが、沖縄返還とともに非核
  三原則が受賞の大きな要因と言われます。
   ホントにそうなのでしょうか?この一文に答えがあります。
   
    この沖縄に配備されていた中距離のサイロ型固定式核ミサイル「メースB」
    の撤去の決定をニクソンからニッコリ笑って知らされたとき、それが持つ
    世界史的意義を日本側の誰も理解していない。昨年、勇気ある戦後政治の
    裏面史を手記公開した楠田氏でさえおそらく理解していなかっただろう。
    そして、佐藤首相自身もおそらく理解していなかった。ただひたすら
    「沖縄の返還がなければ、日本の戦後は終わらない」と悲愴な気持ち
    で念じつづけた佐藤首相は、沖縄返還と、それにからめられた日米繊維
    交渉のことで頭がいっぱいだった。

         (中略)

    アメリカはあのとき、沖縄の核ミサイルを撤去したが、その核弾頭は、
    一体どこを向いていたのか。それは実は中国を向いていたのである。
    北京と上海に照準を定めていたのである。沖縄の地政学的な戦略的
    位置は今だにこの通りである。それを、「撤去する」ということは
    中国から見れば大変、嬉しいことだったはずだ。(後略)

            ~ 副島隆彦 著 「属国・日本論」 ~



                            (つづく)
   







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