素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

橋下 徹 VS 週刊朝日 後編

   



   穢れ思想?そんなもの21世紀の日本に関係ないと思われるかもしれない。
   そうだろうか?
   有名俳優の息子がコカイン所持で逮捕されたとしたら、本人ではなく有名俳優が謝罪
  する。

   「この度は世間をお騒がして申しわけありません」と。

   これも欧米では考えられないことです。
   悪いのは息子であって親は別個の個人なのだから関係ない、これが近代化した欧米人
  の態度だ。ところが日本ではそれは通らない。
   コカイン所持によってケガレた息子のケガレは肉親である親に“ 伝染 ”するからだ。
   「世間をお騒がせして申しわけありません」と本人以外が謝罪する光景は、程度の差
  こそあれ日常茶飯事だ。空気のように当たり前すぎて我々はいちいち詮索しないが、
  ケガレの伝染によって肉親もケガレたのだから、穢れを払う「禊(みそぎ)」をしないければ
  腑に落ちないのだ。
   このような人々の集まりは「社会」と言いつつ実は「世間」と言われる。
   日本人は21世紀現在も「社会」よりも「世間」に圧倒的に支配されている。

   橋下氏の主張「公人である私の過去はいくら暴いてもかまないが、肉親、縁戚についても
  暴かれるのは公人であるとしても容認できない」とは、西欧近代化社会では全く正論であっ
  ても日本の「世間」では正味のところ通じないのです。
   我々が一応、明治維新、戦後民主主義を通して西欧近代化を模倣して「社会」に生きてい
  るという「建前」から言えば橋下氏の主張どおりであるが、我々が実は「世間」の住人であ
  るという「本音」の部分では相いれないのだ。   
   法律も基本的に西欧合理精神そのものなのだが、法律的にはこの記事は名誉棄損には
  当たらないと判断されるそうだ。橋下氏は弁護士だが、法律ではなく「常識」による判断を
  求めているわけだが、我々の依ってたつ「常識」とは「社会の常識」では「世間の常識」で
  あります。
   空気のようでわからないが、「世間の常識」ではケガレは伝染するのです。
   いくらカッコいいこと言っても、日本人はいまだにこの「穢れ思想」に呪縛されて
  いる。

   マスゴミの橋下擁護の論調に口裏あわせても内心は違う人は少なくだろう。
   
   
   それにしても佐野眞一氏はこのまま引き下がるのだろうか?
   これら「世間論」を無視したとしても、私は政治家を政策ではなくて出自や背景等から
  品定めしようとする佐野氏のスタンスに基本的に賛成だ。
   政治家が唱える政策( ≒ 改革 ) など、結局、似たようなところに収束する。
   クリエイティブの世界ではないのだから、その独創性を吟味してもしょうがない。
   それにユニークだけど本質をつく政策はそもそもB層を中心とした有権者には受け入れら
  れない。ロン・ポール「FRB解体」とか私の「尖閣の海底油田日中共同開発」などであり
  ます。だったら人物本位という(一見、古臭い)選別が今もって有効であると考える。
   人物本位で政治家を品定めするとして出自、背景等を抉りだすのあたって佐野氏の筆致
  は行き過ぎなのだろうか?第1回を読む限り、必ずしもそうは思えない。
   確かにエグイ記述も伺えるが、それはハードコア(やり過ぎの)政治家、橋下 徹に立ち
  向かうにはハードコアの筆使いでないと拮抗できないからではないか。

   それにしても腐臭漂うのは橋下氏でも佐野氏でも週刊朝日でもなく、例によってこれに
  ついて語るマスゴミだ。小沢一郎氏に対しては過去10数年にわたる一連の人格破壊の過
  程で「これでも喰らえ」と言わんばかりに「穢れ思想」を雨あられのように報道したくせ
  に、今回は「穢れ思想」、いや正確にはケガレの伝染はけしからんと一斉に橋下氏を擁護
  する。
   もっとも、それを間に受けるB層を中心とした国民も問題だ。

   印象批評、穢れ思想から脱却して醒めた目で現実、現象を捉えることができるか否かに
  我々が「近代化」できるかどうかがかかっていると言えよう。

                                  (了)





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