素晴らしき放浪者の戯言

100年に1度の世界の大転換、50年に1度の日本の政権交代を見届けるブログです。 政治、経済、メディア、都市、映画etcの各分野を放浪しつつ 時たま核心に迫ります。

UCLA映画テレビアーカイブ  前編

   


 
    映画は何本か観ていて記事にしようかとも思ったのだが、「悪くはないのだけど・・・」で筆
   が止まってしまい、トランプ関連記事に埋もれてしまった。
    新作がイマイチなら旧作を求めて何年かぶりに国立近代美術館フィルムセンターへ足を
   運ぶ。「UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画」コレクションというが、4Kデジタルリマス
   ターとかではないようだ。日本未公開作品や散逸したフィルムの収集とかテクニカラーの
   復元につとめたそうだ。



         UCLA映画テレビ




   【7人の無頼漢】 バッド・ベティカー監督

 
    古典的な西部劇で西部劇ファンならマストの1本だ。
    私は日本の時代劇なら好きなのだが、西部劇はそれほどでもなくお恥ずかしながら今回
   初めて観た。
    私の独断かもしれんが、数学、論理学、哲学を専らとする人には西部劇好きが多いよう
   に思えてならない。高校の数学の教師がそうだったし、大学の後輩の哲学青年もまたしか
   りであるうえに私の記憶が確かならば、かの哲学者、ヴィットゲンシュタインの数少ない娯
   楽が西部劇を観ることだった。
    古典的西部劇にも例外があるが、基本、西部劇は実に明晰な文体で描かれる。
    さらに必ずといっていいほど決闘でカタがつく、結果が出るのです。
    しかも時代劇と違い刀を合わせるひまはなく、多くは一撃で決まる。
    これが方程式を解くがごとくのカタルシスにつながるから彼ら数学者、哲学者は西部劇
   に魅かれるのだろうか?
    かつて小津安二郎は山中貞雄に対して「そうか、君は数学が得意なのか、だからシナリ
   オがうまいんだね」と語ったと伝えられる。今日のようにこねくり回したシナリオではなく、
   自然界の法則を数式で表し、これを展開していくが如く「映画言語」を紡いでいくシナリオ
   が名シナリオなのだろう。

    さて、本作は妻を強盗団に殺された元保安官(ランドルフ・スコット)の復讐譚です。
    言ってしまえば至極単純な映画で、当然、“ 西部劇のお約束 ” で終わる。
    ところが、断然、これが素晴らしいのだ。
    ボツとなった最近観た映画2本とは西川美和「永い言い訳」、黒沢 清「ダゲレオタイプ
   の女」で、もちろん、作品、演出の出来栄えは今日の日本映画の水準以上であり両作品
   共にベストテンに入るだろう。(「ダゲレオタイプの女」は日仏合作であり邦画・洋画いずれ
   に入るかわからないが)
    でも、両作品共にどうもラストが気に入らない。西部劇の明晰さと真逆の韜晦と曖昧さの
   文体で描かれているが、さりとてラストで観客を置き去りに程のするミスティフィケーション
   はなく、「さもありなん」という結末を向かえる。突き離すだけのキレと勇気がない。
    西川美和の「デイアドクター」の終盤はキレと勇気の連続だった。あのラストは「さもあり
   なん」とはならない。三振とりに行く決め球がど真ん中のストレートだったら、これは勇気あ
   る行為以外の何物でもあるまい。あのラストはど真ん中にストレート投げたのだ。
    「ダゲレオタイプの女」は写真に心奪われて魂吸いとられるようなホラーストーリーだが、
   あのラストなら同じような写真に心奪われるストーリーで比較すると一発芸のようでもマノ
   エル・ド・オリビエラが102歳で撮った「アンジェリカの微笑み」の方が勇気あるぞ。
    野球の代わりにサッカーに例えるなら、本田圭祐選手がPKでど真ん中にシュートするよ
   うな勇気ある行為だ。
    彼は何のテクニックもないからど真ん中にシュートするのだろうか?
    もう敵チームも彼が絢爛たるテクニックを持っていると承知していることを前提とした敵ゴ
   ールキーパーとの心理戦だ。
     映画「7人の無頼漢」に見られる紋切り型の物語の要諦は、今日のこれ見よがしなテ
   クニックを底に沈めど真ん中にPKシュート決めることではないか。
    そういう物語にはアンドレ・パザンが語ったというこの言説がぴったりだ。
    「もっとも単純にしてもっとも美しい西部劇」
    
    この映画のPKキッカーは、ランドルフ・スコットではなく、リー・マービンだ。
    今さらながらだが、彼はホントに素晴らしい役者だ。
    何気に登場し、いつの間にか彼の空気・磁場を作りだすのだが、さりとて彼自身も役柄
   も際立たせてしまうことがない、今日、見つけずらい存在感だ。
    かつてなら日本映画にも彼みたいな役者はいた。原田芳男だ。
    今日は役者も役柄自身も際立たせようとばかりしている。キャラが立つとか言っていいと
   思っているのだろう。主役はそれでもよくてもみんなでそれやり始めたらシラけることこの
   上ないのだ。


                リーマーヴィン 攻撃
                 こちらは「攻撃」のリー・マービン


    ど真ん中にボール蹴る前のPKキッカーとGKとの心理戦、スリルを本作で体現させるた
   めの前ふりは、へなちょこ男とその妻、ランドルフ・スコットとリー・マービンが幌馬車の中
   で繰り広げる会話だ。本田圭祐がどんなシュートするのか、スルーパスするのか、ドリブ
   ルするのか、シュート打つ選手のためのくさびになるのか、パス受けるふりして流して隣
   の見方にパスさせるのか、これらを敵方GKに印象づけるからこそ、まさかど真ん中に
   シュートしてこないと思わせるのだ。この幌馬車のシーンがこれらに該当する。
    リーマーヴィンは敵なのか味方なのか、何を仕出かすかわからない、それとも悪行の限
   りをつくして悔い改めたのか、このあたりは人生の年輪を重ねれれば重ねただけ見方が
   変わってくるだろう。
    このへなちょこ男夫婦の旅の目的が明きらかにされる頃、避けることのできない運命が
   交錯し始める。

    紋切り型(ど真ん中にシュートすること)は、シナリオ、役者、監督の“ 芸 ”があって初め
   て可能となる。紋切り型はポストモダンの時代、パロディーの対象となり空洞化して笑いへ
   と転化した。

    「パロディー」、「様式美」、「ハイブリッド」、「過剰」を経て21世紀の紋切り型は可能なの
   か?
    それはどんなものとなるのか、そう思わせる1本でありました。

                                           (つづく)


   

   いなたいトラック
    帰り道、40年代?50年代?のいなたいアメ車を見かけた。
    こういうことが私はタマにあるのです。「世にも怪奇な物語」を
    レイトショーで友人2人と観た際、「円タク」のような古めかしい
    タクシーがやってきた。異界へと連れていかれそうな「円タク」
    に我々は吸い込まれるように乗り込んだ。
    このアメ車はどこへ連れていってくれるのだろう。










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小林よしのり 「 シン・ゴジラ批判 」 に反論す。 後編

    



    それにしても「シン・ゴジラ」を巡る言説は賛否両論ともにあまりにもペラい。
    ネトウヨもどきの「一致団結してして日本を外敵から守ろうというのがテーマです」とか
   (笑い)、「『シン・ゴジラ』を批判する奴は左翼の宮崎 駿でも見てろ!」とか(苦笑い)。
    そうでもなければ庵野 ⇒ 「エヴァンゲリオン」、オタクという先入観か、その回りを
   空中旋回するのとか、それを斜め横から見てひっくり返すとか、・・・・その程度。

    これは「シン・ゴジラ」に限ったことではないのかもしれない。
    先日、ある新作邦画を観に行ったのだが、その前に延々と公開予定の邦画の予告編を
   見せられて呆れた。
    邦高洋低と言われ邦画は元気があるが、総じてレベルはどんどん劣化している。
    一番多いのはうすら甘いエセヒューマニズム映画だが、原作(漫画・小説)の再現フィル
   ムのような映画、芸能人の自主映画(すなわち楽屋おち映画)等々、全く食指が動かない
   映画だらけだ。
    別に私がひねくれ者なのではなく、イギリスの映画人も明言している。

     今の日本映画にもの申す・・・「レベルが本当に低い!」
     英映画配給会社代表が苦言


     英国の映画製作・配給会社「サードウィンドウフィルムズ」代表、アダム・トレル
     氏(33)と先日話す機会があった。アダム氏は日本をはじめアジア映画を海外
     に紹介しており、現在公開中の日本映画「下衆(げす)の愛」(内田英治監督)
     のプロデューサーも務めている。

     「日本映画のレベルは本当に低い。最近すごく嫌いになってきたよ!」

     アダム氏は憤っていた。断っておくが、アダム氏は日本映画をこよなく愛している。
     だからこその“苦言”なのだろう。

                               ~ 産経ニュース ~


    製作サイドの問題もあるがペラいレビューが多いことに象徴されるように観客の劣化も
   否めない。これは黒澤 明も言っていたことで、彼が生きていた頃から続くことだからか
   れこれ20数年経つだろう。
    じわじわ劣化は進んで21世紀になってこの状況は拍車がかかった気がする。
    福島原発事故の放射能がいまだ科学的知見のない新たな病気をまき散らしたのかも
   しれない(笑い)。名付けて「ペラい病」、脳のしわが伸びきって何にも思考せず脳が空
   回りする病気。 

    ノビテル、ノビテル、石原ノビテル!

    この病気は政治家の脳にも感染しているのかもしれない。
    稲田某防衛大臣は防衛省の制服組、背広組双方から総スカンくらっているそうだ。
    そりゃそうだ。
    あんな泣きべそ大臣に命預けられないもの。
    因みに稲田某防衛大臣は防衛省では「稲田ゴジラ」と言われているそうな。
    小林よしのり氏は「核攻撃される緊迫感が伝わってこない」とか言うが、政治がこんな具
   合だから今の日本に緊迫感などないのです。

    さて本論に戻ろう。
    こう言っちゃ申し訳ないが、「シン・ゴジラ」に関して「エヴァンゲリオン」と「クレヨンしん
   ちゃん」 しかないのかい?
    (「怪獣大戦争」のテーマ曲がクレヨンしんちゃんでもかかるそうだ。)
    世の中には「歴史」というものがあるのです。
    家具も100年越えてアンティーク、100年未満はビンテージだから、「歴史」とは100年
   超のものを言うのかもしれない。映画は誕生から110年超だからぎりぎり「歴史」があると
   いうことになるのかもしれないが、映画100年は小説の200~300年に匹敵するスピー
   ドで変遷を遂げたことから相応の「歴史」があるのです。
    人に歴史あり、庵野監督も50有余年生きていれば、「エヴァンゲリオン」や「新マン(帰っ
   てきたウルトラマン)」だけじゃないのです。 
    「シン・ゴジラ」は「エヴァンゲリオン」もあるだろうが、誰がどうみても村上 龍の系譜の
   映画だ。
    
     
    アメリカでは「シン・ゴジラ」を国家主義とか言うようだが、そんな単純なものではなく政治
   家、官僚らのダメさ加減をこれでもかと描いているのであって、アメリカのマッチョな国家主
   義、愛国主義とは全く違う。肌あいはだいぶ違うが、臨時政府や民間人が敵を退治する
   様はむしろティム・バートンの「マーズアタック」に近い。あれを国家主義、愛国主義という
   かね。
    政治家、官僚らの膨大な専門用語のセリフがうざいなら、もっとセリフを詰めてこの重大
   事に到っても「官僚制」から抜け出せない「笑劇(ファルス)」として描けばよかったかもしれ
   ない。ロバート・アルトマンがよくやるように。邦画でいえば「東京原発」のテイストかな。 
    ゴジラさえ出てこなければその手があるが、ゴジラが出てきたらそうはいかない。


    「歴史」との関連を言いかけたが、ある歴史的事実を知っていればこの映画の膨大な専
   門用語の羅列は何なのか氷解する。これは私の「シン・ゴジラ論」からは漏れてしまった
   が、この映画を観ると歴史的事実といっても差し支えないだろうある言説を思い出すの
   です。

     過去も今もトップ&エリートは全部ダメ!

     ~ 菅沼光弘、北芝 健、池田整治共著 「サイバイバル・インテリジェンス」 ~


    そこまで言うかと思われるかもしれないが、元公安調査庁、元警視庁刑事、元防衛省幕
   僚が異口同音にそう言うと相応の説得力を持つのだ。
    「シン・ゴジラ」では「過去」は描かれていないが、「今」についてはこれでもかと描かれて
   いる。
    膨大な専門用語が乱れ飛び必死で政府、官僚、自衛隊が防衛作戦を展開しても結局、
   ゴジラに対して無力であることが完膚なきまでに描かれる。平泉 成演じる農水大臣上が
   りのお飾り総理大臣がこの事態を際立たせている。「トホホホ」という感じね。専門用語が
   膨大でもっともらしいほどこの脱力感は効果的だ。
    そういう意味でも防衛側を「地球防衛軍」的、若しくはハリウッドエンタメ的に整理しては
   いけないのだ。
    もっとも従前の総理も官僚も専門用語で武装しているからもっともらしく見えたのであっ
   て内実はこの農水大臣上がりの総理と変わらないのかもしれない。
    少なくない政治家が「シン・ゴジラ」を何度も観ているようだが、菅官房長官は「(シン・ゴ
   ジラは)1回見れば十分だ」と述べたそうだ。
    そりゃそうでしょ、官邸を始め政治家のダメさ加減をこれでもかと描いているのだから。

    「過去」については「夏の戦争映画」シリーズ、VOL.3でたっぷりと検証した通りです。
    小林よしのりさん、私はあなたの「戦争論」の第1巻しか戦争ものは読んだことがありま
   から、断定はしませんが、あなたの著作で「日本のトップ&エリートはダメ」という視点が
   今まであったのでしょうか?あなたの視点はその真逆で国家のために戦った美しき戦士
   ではないでしょうか?
    あなたの功績は認めます。でも、あなたのお陰で「日本のトップ&エリートはダメ」とで
   も言おうものなら、「それって、自虐史観でしょ」とうそぶくエセ保守もどきばかり量産され
   てしまいました。そんな連中は「シン・ゴジラ」観ても「一致団結してして日本を外敵から
   守ろうというのがテーマです。」とか言いだす始末。
    
    「日本軍の下士官以下は世界一。でも上に上がるに従いダメになる。」―― この歴史的
   事実を知っていたなら、「シン・ゴジラ」を観ても単純な「愛国主義」にはならない。
    トップ&エリートのダメさ加減を描きつつ、「しょうがない、我々下士官以下で何とかする
   か」という逆説的愛国心が「シン・ゴジラ」の真髄となるだろう。

    引用部分にはまだ先があるのです。

   過去も今もトップ&エリートは全部ダメ!
   この国は一般庶民たるあなたたち一人ひとりが≪主任分析官≫になるほかに道はない。

                            ~ 引用 同上 ~
 

    そういうわけで不肖、私は7年前からこのブログをやっているのです。


                                            (了)






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小林よしのり 「 シン・ゴジラ批判 」 に反論す。 前編

    



    車を転がしていたら、「あなたは『 シン・ゴジラ』 派、それとも 『 君の名は。』 派」というリ
   スナーアンケート・コーナーがラジオから流れていた。
    「シン・ゴジラ」については散々書いたからいいやと思いつつ、小林よしのり氏の「シン・
   ゴジラ」批判が以前から引っかかっていたことから、この機会に今一度検討しよう。
    小林氏曰く、

     シン・ゴジラ』のアメリカでの映画評は、かなり厳しい。

     「愛国心むき出しの国家主義的リメイク」・・・・・・・・・・・・・・   a
      「おしゃべりが過ぎる」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    b
      「日本のひどく不快な軍国主義の過去が蘇る」・・・・・・・・    a
      「セリフが多く、ゴジラのアクションが少ない」・・・・・・・・・・    b 
      「会議室での会話が多過ぎてわかりづらい」・・・・・・・・・・・   b
      「大量の地名や登場人物の肩書きがスクリーン上に現れる」  b
      「アメリカ人が傲慢で高圧的に描かれている」
      「 石原さとみの英語力が「説得力に欠ける」
      「米公開の際には英語の吹き替えが必要かも」
 
     相当にフラストレーションが溜まる映画だったようだ。

                        ~ 小林よしのり 公式HP ~

                          ( 符合 当ブログ管理人加筆 )

     bについての反論は「シン・ゴジラ その1」で述べたのでくり返さない。
     aについては古くは「ランボー 怒りのアフガン」、「インディペンダンスデー」を始め、アメ
    リカのマッチョ的愛国心むき出しの映画は枚挙のいとまがないではないか?
     自国のことを棚にあげて何をいっとるか!
     それに「シン・ゴジラ」に見られる愛国心は彼らがいうほど単純ではない。
     どこ観ているのだといいたい。
     
     そもそもハリウッド(米国)が云々を引用する小林氏は自己の映画鑑定眼に自信がな
    いのだ。「ゴーマンかませない」のだ。
     淀川長治さんは、オスカー取ろうが、アメリカでどれだけヒットしようが、「ハリウッドもバ
    カになりましたね~。」でお終いだ。己の眼力に自信持っているのでハリウッドがどうの
    は関係ない。
     小林氏の「シン・ゴジラ」批判は今に始まったことではなく公開直後からあったのだ。

      第一に、官僚VSゴジラの構図が感情移入できない。

       これは多くの人が指摘するところだろう。
       要するに専門知識と情報が多すぎて「映画になってない」、「芝居にならない」、
       映画的不自然ということだ。これについての反論は「シン・ゴジラ その1」に
       書きました。あれが観念的というならこう言い換えよう。
       製作サイド(興業的側面)に押し込まれて従前のゴジラ映画のような「地球防衛軍」
       的、もしくはハリウッド・エンタメ的に防衛側を描いたなら庵野監督は一生後悔する
       と思う。なぜかというと、初代ゴジラはビキニ環礁の水爆実験が招いたゴジラとする
       ならシン・ゴジラは間違いなく「3.11」、フクイチ原発事故が呼び寄せたものだから
       だ。あれから6年経って「太陽の蓋」というフクイチ原発事故のセミドキュメンタリー
       のような映画が公開された。この映画を意識したわけではないが、原発事故の傷
       跡が癒えたとはいえない今、いくらエンタメとはいえ、フクイチ原発事故が引き寄せ
       たシン・ゴジラを描くにあたってハリウッドエンタメ風に整理された防衛側を描くこ
       とは庵野監督の作家として良心が許さないと考える。
       何と言われようと圧倒的情報量でリアルを追求した庵野監督がエライ。
       実際にゴジラが現れたら現場はもっと錯綜、混乱していると思う。
       あれでもだいぶ整理されていると考える。

       小林氏は危機を前にして政治家や官僚があんなに硬直化した議論するはずがな
       いというが、そうでしょうか、我々はフクイチ原発事故で目撃したではないか。
       官邸と保安院と東電の大きな意味での「官僚制」、しょうもなさを。

       外国人はこれら政治家、官僚の議論のシーンを無意味、日本人にしかわからない
       というが、当たり前じゃないか、お前らにはわかんないよ。
       今後何十年も放射能をつき合っていかなければならない日本人の心象がわかると
       いうのか。口先ではお見舞いの言葉言っても所詮は他人事だろ。
       福島原発の遮水壁だっていつ決壊するかわからないのだ。
       「Not Under Ccontrol」だ。あまつさえ事故当時も現在も政治家は無能で世界は再
       生可能エネルギーにシフトしようとしているのにまたぞろなし崩しに原発再稼働しよ
       うとしているこのしょうもない状況を外国人がわかるかって!

       そもそも怪獣映画にそんなものはいらない?
       それは「怪獣」というものがわかっていないというもんです。

      第二に、アメリカ帰りの女性の実在感がなくて笑ってしまう。

       はい、その通りです、特に異論ありません。

      第三に、あんな姿の芋虫がゴジラになってはいけない。
      あんな変態をもしハリウッドがやったらボロクソに文句言ったはずである。
      本家・日本があんな反則をやって、日本人が許すのは疑問だ。
      ゴジラは初めからゴジラの姿で出現しなければならない。
       なぜなら、「神秘性」が失われるからだ。


       これが許せないなら「シン・ゴジラ」はつまらないだろう。
       この変態(メタモルフォーゼ)こそ「シン・ゴジラ」の肝であることは「その6」で述べた
       通りです。海外の人はここにはそんなに異論唱えないのでは?
       それはこういう事情によるのです。

       映画における変身は最初のトリックであるのみならず原型的なトリックでもあった。

               ~ 哲学者・社会学者・映画監督 エドガール・モラン ~ 

       それに小林さん、第2形態に対して「あれはゴジラじゃない」とおしゃいましたが、
       第3形態に対しても同様でしょ。あの変態(メタモルフォーゼ)は監督・庵野秀明が
       仕掛けた反射鏡的な罠なんですよ。「あれはゴジラじゃない」、「これもゴジラじゃ
       ない」と言いますが、「じゃ、あなたにとってゴジラって何なんですか?」と監督は
       問うているのです。
       すなわち、「シン・ゴジラ」はどうしたって観客を「ゴジラ論」へと誘うのです。

       小林さん、あなたにとってゴジラは「神秘的」でないといけないようですね。
       つまり、初代ゴジラこそ素晴らしいということでしょうか?
       神秘的ゴジラって初代ゴジラくらいですから。   


      第四に、あんな無敵の光線が出るようになってもいけない。
      
       これもオートクチュールメゾンの顧客が「これはディオールじゃない、ジバンシーじゃ
       ない」と言っているようなものです。
       庵野デザイナーはパンクですから、当然です。
       このパンクを楽しめるか否かが「シン・ゴジラ」評価の別れ道です。

      第五に、超絶な力を持つゴジラに対して、あんなに原始的な攻撃でぶっ倒して、
      しかもその隙に口から凝固剤注入なんて、そんな幼稚な作戦が成功するわけ
      がない。


       それを言っちゃ、ほとんどの怪獣映画は観れません(笑い)。
       小林さん、あなたは「わしゃ、好かん」といいながら防御側の圧倒的リアリティーに
       知らず知らずの間に引きずりこまれているからこそここにもリアリティーを求めるの
       です。        
      

      第六に、多国籍軍の核攻撃という緊迫感が全然伝わらない。
    
       後編でも述べますが、おっしゃる緊迫感のなさが今の日本じゃないでしょうか?


     第七に、突っ立ったまま終わるというのが、まるで原発を暗示しているようでシラケる。
      
       子供はともかく大人はそうあるべきです。
       第一への反論で述べたように我々は原発(放射能)と何十年のつき会わなくてはな
       らないのですから。 

      第八に、大人向けの映画になり過ぎていて、新たな子供のファンを増やせない。

       確かにそうかもしれませんね。
       特に異論ありません。 

      第九に、ゴジラの心理的な怖さを感じない。

       このゴジラは怖いゴジラではなく「カッコイイ」ゴジラとして記憶されるでしょう。


                         ~ 以上 引用 BLOGOS ~


                                           (つづく)   





 

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夏の戦争映画 VOL.5 「シン・ゴジラ」 その6

   



    【シン・ゴジラ誕生】

     外国人に「怪獣」を説明することはとても困難を伴うと述べた。
     彼らにとって基本、怪物は怪物でしかないし、せいぜいがローランド・エメリッヒの恐竜
    ゴジラでしかない。
     「荒神信仰」、「荒魂・和魂」、「大和魂(大和心)」?何のことかさっぱりわからないだ
    ろう。「GODZI LLA is GOD?why~、Japanese people~!」と厚切りジェンソンが絶叫
    しそうだ。
     一方、日本人の「Japanese kawaii」は妖怪ウォッチ、ポケモンまで行ってしまって、
    今さら怪獣で「可愛い」やってもしょうがいないとクリエーター達が思っているのか、エイ
    リアン、プレディテター等リアルにグロくて気色悪い奴に観客が慣れてしまったのか、
    かつてのような可愛いゴジラはもう出番がないのかもしれない。
     可愛いゴジラは正義の味方ゴジラでもあったわけだが、ゴジラと怪獣たちのプロレス
    ごっこが罷り通るには1億総中流の安定した社会が必要だったのかもしれない。
     ミレニアム頃から格差社会、ブラック企業が当たり前の世の中ではグロくて気色悪い
    怪獣こそリアルなのだろう。
     これらの状況に加えて、前回述べたように不死身のゴジラを防衛側のリアリティーと
    紛いなりにも拮抗させるには、ゴジラは生命を超えた存在、神・ゴジラでなければなら
    ない。神といっても初代ゴジラが体現するアミニズムの象徴のような神や巨神伝説や
    仏教や神道の延長でもなく、21世紀的な神、すなわち反=自然としての神を必要と
    するだろう。井筒監督はゴジラを放射能の化身のように忌み嫌う。反原発は20世紀か
    ら存在するが、鉄腕アトムが原子力の平和利用のキャンペーンシンボルとされてしま
    ったようにどこかリアリティーのない脅威だった。リアルに制御できない邪神として
    放射能が我々の前に立ちはだかったのは福島原発事故以後のことだ。
     平成ゴジラも体内に原子炉を持っていてギャレス・エドワーズのゴジラも同様だが、
    井筒監督が好むと好まざると福島原発事故後のシン・ゴジラこそ体内原子炉がふ
    さわしい。 
     
     だからといって庵野監督はシン・ゴジラ=放射能の化身の如く芸のないことはしな
    い。(そもそも体内原子炉も仄めかされている程度で定かではない)原発は人間が
    作ったものだが、放射能そのものは自然界に存在するものであるから反自然ではな
    いのだ。あくまで反=自然でないと。さらに、歴代ゴジラとハリウッドゴジラも存在す
    るこの状況に神(シン)・ゴジラをいかに誕生させるか。
     庵野監督はこれらの命題を前に一計講じた。
     生物の進化のようにゴジラを変態(メテモルフォーゼ)させることにしたのだ。
     シン・ゴジラ最大のポイントはこのゴジラの変態(メタモルフォーゼ)だと思う。

       第一形態  オタマジャクシのようなもの

       第二形態  両性類

       第三形態  恐 竜

       第四形態  ゴジラ


     庵野監督は西洋の怪物映画のモンスター、ハリウッドゴジラさえも変態(メタモル
    フォーゼ)の過程に取り込み止揚して神(シン)・ゴジラを誕生させたのだ。
     私の身の回りには第二形態の両性類のような、目がいっちゃっているゴジラの気色
    悪さがいいという人がいる。フィギュアの世界でも第二形態はきも可愛いと人気がある
    ようだ。何でも「可愛い」にしてしまう「Japanese Kawaii」恐るべし。

          ゴジラ 第二形態
            第二形態 「蒲田くん」とか呼ばれているそうな。

     これは海外のモンスター映画の怪物であってまだ怪獣になっていない。
     いわば「コロンブスの卵」であるが、この第二形態のゴジラもどきを考えた庵野秀明は
    凄いと思う。ゴジラはすでにスタイルは動かしようがなく、今までは「デザイン」を変える
    だけだった。この第二形態はゴジラの「コンセプト」を変えたしまったのだ。進化の一過
    程ではあるにせよ、「怪獣」ではなく「怪物」のゴジラを提示したのだから。
     それは洋服の「コンセプト(概念)」ぶっ壊したマルタン・マルジェラのようだ。
     やはり庵野秀明はパンクだったのであります。
 
     第三形態で恐竜らしくなったが、これはローランド・エメリッヒのゴジラで日本のゴジラ
    でもシン・ゴジラでもない。「エメリッヒさんよ、あんたのゴジラは『シン・ゴジラ』では第三
    形態に過ぎないんだぜ!」と言っているが如くだ。


          ゴジラ 第三形態
            第三形態 こちらは「品川くん」だそうな。

     第四形態でゴジラになるわけだが、ギャレス・エドワーズのゴジラは平成ゴジラから
    の体内原子炉を引き継ぎ、確か「神(GOD)」とさえ言っていたわけだからその立ち位置
    はシン・ゴジラとさして変わらないかのようです。でも、いきなり神と言われるより進化の
    ように変態(メタモルフォーゼ)を経てから生物を超えた存在、完全生物、神(シン)ゴジラ
    になった方がより説得的だろう。
     第一から第四形態へと進化していく過程と同時に防御側も使用する武器がエスカレ
    ートしていきMOPⅡでも死なない不死身のゴジラ、神(シン)ゴジラの存在がはっきりと
    提示される。
     進化の過程と不死身ゴジラの出現が交差する点で神(シン)呉爾羅(ゴジラ)を誕生さ
    せるシナリオ構成は秀逸だと思う。

     別に防御側のリアリティーに拮抗させるために神(シン)・ゴジラとなったわけではな
    く、神(シン)ゴジラが先にあったのかもしれない。
     説話論が主題論を規定し、主題論が説話論を導き出す。
     両者が緊密に絡みあった作品は、印象批評とは別次元で優れていると評されるべ
    きであると思う。


           シンゴジラ 横2



    【現代ゴジラ映画としての「シン・ゴジラ」】

     「シン・ゴジラ」を観て私は2度鳥肌が立った。
     まさかこの年になって怪獣映画を観て鳥肌が立つとは夢にも思わなかった。
     1回目は米軍のMOPⅡ攻撃をくらってゴジラが口から背びれから尾から放射能吐き
    まくって一暴れした後のゴジラのアップショットだ。
     「ゴジラ、カッケー!」とつぶやきそうになった(笑い)。
     以前、平成ガメラを捉えて岩井俊二が「(家族愛だったと記憶するが)そんなものより
    いかにガメラがカッコよく飛ぶかが問題だ」と述べていたが、ゴジラも恐怖心を抱かせ
    つつもカッコいい破壊神でなくてはならない。

     もう1回は・・・・・、もういい加減公開から日が経っていることからネタばれさせてもい 
    いのかもしれないが、やっぱり明示するのはやめておこう。
     その前から伊福部 昭の音楽は使われていたが、「ここで 『 怪獣大戦争 』 のテーマ
    曲使うかね、庵野よ!やってくれるじゃないの!」と思いつつ鳥肌が立った。
     「シン・ゴジラ」公開を記念した番組で山田五郎氏はファーストゴジラとして「怪獣大
    戦争」を挙げていた。格闘家・佐竹雅昭氏の入場テーマソングは「怪獣大戦争」のテー
    マ曲だった。私は山田氏と佐竹氏の間の年齢だが、我々世代にとってあのテーマ曲は
    必殺のツボだ。必殺仕事人に必殺のツボを一刺しされてしまうようなものだ。
     今まで延々と書いてきたことをすべて吹き飛ばして子供に逆もどり・・・・・・ということは
    ないが、一瞬だけそうなる。
     こういう瞬間こそ「映画」だと思う。
     それに政府、自衛隊がダメだから臨時政府みたいな面々とオタクのような官僚、学者
    であの方法でゴジラを退治することは「大和魂(=何とかする)」の発露以外の何物で
    もない。
     井筒監督も「シェー」するゴジラが好きだそうだから、「怪獣大戦争」が嫌いではないは
    ずだ。怪獣映画なので御都合主義といえばそれまでだが、このシーンからラストまでの
    展開を観て「夢も希望もない」という奴はよっぽどひねくれた奴だ。
     「どうせ夢も希望もない映画なんやろ」と毒づいた井筒監督、映画は最後まで観ないと
    いけません。

     シン・ゴジラそのものよりも初代ゴジラを中心に「ゴジラ論」めいたものを展開してきた。
     庵野秀明の根性と気合いと覚悟がそうさせたのだ。
     この映画は人々を「ゴジラ論」へと誘う。
     「現代音楽」、「現代美術」、「現代詩」、これらは単にup to dateを言うものではなく、
    それぞれ「作品」であるのと同時に「音楽論」であり「美術論」であり「詩歌論」であった
    りするものだ。
     「シン・ゴジラ」はそう言う意味で「現代ゴジラ映画」であると私は考える。

     因みに「シン・ゴジラ」は私の本年度邦画NO.1であります。
     理由その一は、未見の方が多いが、おそらくどの映画観ようと2度も鳥肌が立たない
    だろうからです。理由その二は、俳優、女優さんには申し訳ないが、このゴジラほど大
    画面で観たいと思う対象が見当たらないからです。

     「君の名は。」は未見だが、おそらくリアルにはこちらがNO.1となるのであろう。
     「君の名は。」は本稿「その4」でふれた「大和魂(大和心)」のうち、②の方の意味、
     「日本人の優美で柔和な心情」を体現したものとしてNO.1なのだろう。

     私は仮にも政治ブログやっているのであって「大和魂(大和心)」のうち①の方の意味
    「何とかする」が体現された「シン・ゴジラ」を選びます。

                          (「 夏の戦争映画 」 シリーズ  完)

       


           シン・ゴジラ 後
             庵野秀明はゴジラの監督は1作だけと言っているそ
             うだが、あのラストはどうみても続編がある。
             あと2本くらいやって欲しいものだ。



     〔参考資料〕

     
      「シン・ゴジラ」のパンフ、「ゴジラ解体全書」、「美術手帖 1981年12月号」

  
      「人生読本 映画」、「フランソワ・トリュフォー回顧展」のパンフ、

  
      松岡正剛編 「増補版 情報の歴史」、イアン・ビュルマ 著「日本のサブカルチャー」

      菊地成孔、大谷能生 共著「東京大学のアルバートアイラー 歴史編」

      田中雄二 著 「 電子音楽 in JAPAN 」







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夏の戦争映画 VOL.5 「シン・ゴジラ」 その5

   



    【ゴジラブランド継承者の条件】

     初代ゴジラはどんな時代に生まれたのか?ゴジラを作った円谷英二はとはどんな人物
    だったのか?ゴジラとは、怪獣とは何なのか?について述べてきました。
     私と同世代である庵野秀明もこれらのうちいくつかは共有していると思います。
     もっとも外野でわいわい言っている私と違って「シン・ゴジラ」の監督を引き受けてしまっ
    た庵野監督は重い十字架を背負ってしまったのだが。
     初代ゴジラだけで一冊の本になるくらいのレジェンドであるうえに東宝チャンピオンま
    つりゴジラ(初代以外のプレ東宝チャンピオンまつりゴジラもここに含めよう)、平成ゴジ
    ラ、ミレニアムゴジラを巡るオタクたちの蘊蓄(うんちく)は、本稿をはるかに凌ぐ広大な
    沃野として監督庵野秀明の前に広がっていたであろう。
     庵野監督が当初、「シン・ゴジラ」の監督を固辞していたのは当然だ。

     一方、東宝のプロデューサーとて事情は同じだ。
     平成ゴジラは「ゴジラ VS デストロイヤー」でゴジラが死んで完結してるし、ミレニアム
    ゴジラも初代ゴジラを意識しつつ様々なアプローチを試みて「ゴジラ Final Wars」で終
    わっていることに加えてハリウッドゴジラが2本も作られている。
     この先、一体何をやろうというのか、何をやればいいのか?
     初代ゴジラが「第五福竜丸」がビキニ環礁で水爆実験の灰を浴びたことが直接の動機
    としてもその9年前、広島、長崎の原爆が投下されたこと、唯一の被爆国であることが根
    底にあろうだろう。
     初代ゴジラから60有余年、原爆ではないが日本は「3.11」で再び放射能にまみれ
    た。東京(江戸)という街が破壊と再生の物語を引き寄せるように放射能はゴジラを呼
    び寄せてしまうのだ。原爆は後遺症の人は別として街そのものは何十年も放射能と
    つきあうことはない。福島原発事故の場合、廃炉まで何十年も放射能とつきあわない
    といけない。
     この21世紀のリアルを前に新しい時代のゴジラが必要になったのだろう。
     それにしてもこの困難な仕事を成し得るのはどんな人選がいいのだろうか?
     
     伝統的なブランドの継承にあたってはオーセンティック・ファションブランドの場合が参
    考になるだろう。

      ディオール ⇒ ジョン・ガリアーノ、ジバンシー ⇒ アレクサンダー・マックイーン

      エルメス ⇒ マルタン・マルジェラ、ジャン・ポール・ゴルチエ


     現在はここからさらに変わっているものもあるが、これらオーセンティク・ブランドを継承
    したのはアヴァンギャルドでパンクな連中ばかりであります。
     今の日本映画界にそんな人材はいるでしょうか?
     かつてはそうだった人も今やずいぶんと大人しくなってしまいました。
     いわゆる「アニメ」にはアヴァンギャルドはなく、「アニメ」ではなく「アニメーション」(とい
    いいつつ以下、~アニメと省略)と呼ばれる分野にしかアヴァンギャルドは存在しない。
     チェコ・アニメとかカナダ・アニメとか、エンタメじゃなくて手塚治虫が「実験アニメ」とか
    いう分野でやっていたことがこれに該当する。
     庵野秀明はアヴァンギャルドではないが、「エヴァンゲリオン」は一種のパンクと言って
    いいのでしょう。「シン・ゴジラ」として「ゴジラ」をRebootするにあたって、庵野秀明を監
    督に抜擢することは、円谷英二が若き日アヴァンギャルド映画に接していたこと、及び
    この伝統ブランド継承の法則を考え合わせるとまことに理にかなった人選だったので
   す。


               シン・ゴジラ 斜め後ろ



    【 「シン・ゴジラはなぜ死なないのか?」 ⇒ 神・ゴジラ 】

     井筒和幸監督は「シン・ゴジラ」に否定的だ。
      
      自衛隊なんか、大昔から戦車とミサイルで出動していたが、ゴジラの噴く放射能
      火炎で丸焼きにされたもんだ。
      ゴジラに自衛隊のあらゆる武器は通用しないなんて小学生でも知っている。
      いつまで自衛隊なんだ、他に芸がないのか、(後略)

                         ~ 日刊 ゲンダイ  9月17日 ~


     申し訳ないがもっと虚心に映画を観れないものかといいたい。
     「シン・ゴジラ」における自衛隊の描写が歴代ゴジラ映画と同じとはあまりに大雑把な
    見方であろう。徹底的にリアルを追求したことは「その1」で述べたが、ミリタリーオタク
    のように使う兵器の種類はおろか型番まで明示しているのだ。
     監督は途中で劇場出たそうだが、ゴジラが放射能吐くところを観たなら、自衛隊の手
    に負えず米軍によって地中貫通型爆弾MOPⅡがゴジラに撃ちこまれたあたりまでは
    観たはずだ。「他に芸がないのか」ではないでしょう、米軍によるゴジラ攻撃なんて日本
    製ゴジラ映画にあったかいな。さらにMOPⅡ撃ちこまれてもしなないゴジラに米軍は東
    京に核ミサイル撃ちこもうとするが、こんな描写が歴代ゴジラにあっただろうか?
     ここまで日本が米国の属国であると明確に描ききったゴジラ映画を私は初めて観た。
     怪獣映画であるのと同時に政治的背景に力点を置いたパニック映画という所以はこ
    こにあるのです。子供にはわからない?いや、子供だからこそ、真っ白なキャンバスに
    はっきりと刷り込まれ10数年後に覚醒することだろうよ。
     
     さて、政府、官僚、自衛隊がゴジラに対してどう対応するかを徹底調査してリアルに
    描こうとすればするほど監督・庵野秀明の首は締まってくる。
     「なぜ、ゴジラは死なないのか?」という問いに対して例え「空想科学」であっても説
    得力を持って説明できないといけないからだ。そうしなければ防衛する側のリアリティー
    に対してゴジラの存在自体が実に空虚になってしまう。ここが本作の一番弱いところ
    ではないか。
     一方で徹底してリアリティーを追い求めつつ他方で「空想科学」でしかない点だ。
     自衛隊の武器はともかく米軍の地中貫通型爆弾撃ち込まれたら普通死ぬでしょ。
     どう考えても不自然だ。「それを言っちゃお終いよ~、それが怪獣映画なのだから」
    ということになるかもしれないが、「空想科学」だけでなく防衛側のリアルに拮抗する
    くらいの説得力が欲しいところだ。
     「完全生物」とか言っているが、生物を超えた存在、神(シン)・ゴジラを誕生させる
    しかないのです。

                            (つづく)
   





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